パラダイム転換の話が、かなり遠いところまで、来てしまいました。といいつつ、引き続き、話を広げます。
世の中の「ものの見方の革命」や「考え方の転換」という視点からは、次のような場合もあります。
パラダイム転換という言葉は、元は、科学の学説の転換に使われました。それが、科学だけでなく、企業などに応用されます。「新製品や新しいビジネス・モデルが必要だ」と主張する際に、「そのためには、考え方を革命的に変えなければならない」「パラダイムの転換が必要だ」というように。
もっとも、その転換は、商品やサービスの世界の中での「革命」です。その会社や業界の考え方を、革命的に変えることになったり、国民の生活を変えることはあっても、モノがそれだけで、国民の考え方を革命的に変えることはありません。
電話、テレビ、パソコン、洗濯機、電気炊飯器、インスタントラーメン、自動車、飛行機、宅配便、コンビニ、カラオケ、キャッシュカード、インターネット、携帯電話・・。
これらは、これまでにないモノであって、私たちの生活を便利にし、暮らし方を大きく変えました。そして、それらが国民に普及することで、ものの見方を変えました。
挨拶の仕方はどうあるべきか。お金とは何か。家事はどのようなものかなど。携帯電話によって、子どもたちの友達付き合いも変わります。すると、「友達とは何か」についての考え方も、変わるのでしょう。
また、新聞などマスコミや書物は、それが運ぶ「情報」によって、国民の考え方を「規定」します。新聞やテレビのニュースが伝える情報が、国民の共通認識をつくりあげるのです。ただし、それも一朝一夕にではなく、じわじわと国民の意識を変えていくのだと思います。
諸外国の新聞やテレビを見ると、各国によってものの見方が違うことが実感されます。
パラダイムから始まったこのシリーズも、だんだん、とりとめがなくなってきました(反省)。(2013年7月17日。内容を反対の結論に書き換えました。我ながら、ええ加減な記述です。補足説明は、追って書きます。
カテゴリーアーカイブ:社会の見方
日本の製造業の課題、力を失ったのではない
7月18日、朝日新聞オピニオン欄「よみがえれ製造業」、坂根正弘さん(コマツ相談役)の発言から。
・・この国の製造業は何でこんなに自信をなくしているのだろうか。それが私の最大の疑問です。製造業が力を失ったという認識は誤りだし、政治が何かをしてくれたらデフレから脱却できるなんてこともありえない。この国の一番深刻な問題は、民間が生産能力や労働力といった供給面(サプライサイド)の調整を、限界に達するまで先送りしてきたことです。
日本が低成長時代に入っているにもかかわらず、多くの経営者が雇用を守るという名目でいろんな事業に手を出してきた。不採算事業も放さず、子会社に抱え込んだ。そんな余分な事業や固定費が収益を圧迫してきたのです。部品や材料の購入費、生産現場で働く人の人件費など、本来の物づくりに絞り込んで国際比較をしてみると、自信をなくすほど日本の生産コストが高いわけではない・・
・・アベノミクスとは一体、何か。政府も日本銀行もリスクを取った、だから民間もリスクを取って攻めに転じよ、というメッセージを発しているのだと思います。
日本企業の多くは技術力があり、ミドル(中間管理職)は強くて連帯感がある。しかし彼らには何かを犠牲にしたり、足りないものを外部から買ってきたりする発想はない。無駄な生産設備を廃棄し、過度な自前主義を捨て、先進国型の付加価値の高い製品に移行する―そんな企業内の新陳代謝は、トップが血を流す覚悟で決断しなければ到底実現しません・・
ラーメンから見る明治、アジアが作った日本の近代化
朝日新聞7月9日オピニオン欄、バラック・クシュナー・ケンブリッジ大学准教授の「ラーメンから見る日中関係」から。
・・明治半ばになると、中国(清)から留学生がやってきます。その数は日清戦争後に急に増えました。なぜ日本が短い間に近代化を成し遂げたのかを、学びにきたのです。清朝政府は奨学金制度をつくり、中国の富裕層も若者が日本で学ぶのを支援しました。そもそも漢字のおかげで勉強もしやすかった。
ところが彼らも僕と同様、日本の食事に苦しんだ。当時の彼らの日記を読むと、やれ魚くさい、やれ肉がない、量が少ないとさんざん嘆いている。「こんな貧しいものを食べる日本人が、なぜ中国人に勝てたのか」とね。
明治後期から大正にかけて、食べ盛りの留学生や華僑たちの食欲を満たすため、今のラーメンにつながる料理を出す店が現れました。札幌の「竹屋食堂」は北海道大学に交換留学で来た中国人学生に人気だったし、長崎の「四海樓」はちゃんぽんの発祥地になりました・・
・・そこ(ラーメンが日本人に広がる過程)に、日本の近代化プロセスが関係してくるわけです。江戸時代までの日本人の食事スタイルは、今とはかなり違ってました。江戸っ子は朝昼晩と決まった時間に食べるのではなく、スナックのように小刻みに食べては休憩する。
今と違って、時間感覚もゆるかった。明治初期に日本に西洋の技術や制度を教えにきたお雇い外国人の日記を読むと、愚痴で満載です。「日本人の野郎、いったいいつやって来るんだ」と書いてある。
でも明治維新で身分制度が崩れて人々が自由に移動できるようになりました。給与生活者や学生が現れた。朝から夕まで外で働いたり勉強したりしなければならないので、カロリーが必要です。そうした庶民の需要に応えたのが、ラーメンのようなスタミナのある料理だったのです・・
・・日本の近代化において、それまでに豊富な交流の積み重ねがあった中国大陸、台湾、朝鮮半島が果たした役割をもっと注目してほしい。実は、僕も以前は西洋が日本を開国させたのだと思っていました。でも調べると、「帝国」だった明治大正期の日本は、アジアから多様な人材が集まり、文化が出合う場でした。日本人の側も外の文化を積極的に受け入れ、それが経済発展を後押しした。
確かに法律や政党政治のシステム、社会制度は欧米から採り入れたけれど、庶民が食べるものや、テーブルを囲んで食べ、飲み、しゃべるといったコミュニケーションなどの多くをアジアから得たのです・・
パラダイム転換。考え方を固定化する仕組みと、改革する仕組み
法律や役所機構は、ある政策を継続的に実行させるための「仕組み」です。政府として、国民に対し「このような方針や基準で、政策を行います。これに従ってください」と示し、公務員に対しては「この方針や基準に従って、仕事をせよ」と命じます。
その観点からは、政策やものの考え方を「固定」するものであって、改革する志向は内在していません。制度とは、関係者の行動を定型化するための仕組みであり、それは改革とは相容れません。
ところが、大学の教授には、二つの側面があります。一つは、定説を学生に教える教育者です。もう一つは、新しい事実や学説を探す研究者です。前者は固定化作用であり、後者は改革作用です。
そこから育った卒業生にも、その2つの志向があります。特に科学技術者にあっては、大学に残って研究や教育に従事する人の他に、会社に入って現場や研究所で、大学で習ったことを現場で実践するだけでなく、新しい技術や新製品を開発します。すると、大学や研究所は、改革志向を内在しているのです。もっとも、ここまでに述べてきたように、それは通常科学の範囲であって、パラダイム転換は期待できません。
では、社会科学の分野では、どうでしょうか。教師、公務員、弁護士、ジャーナリスト。そこにも、大学で習ったことを実践するだけでなく、新しい課題を拾い上げ解決する志向があるはずです。ただし、ここでも通常の改革や改善の範囲であって、大きな改革は期待できないということでしょうか。
また、役所にあっては、企画部や総合政策局のように、既存政策を実行するのではなく、新しい政策を考える部局も作られています。すると、この企画部や総合政策局に、どのような課題を与えるか。その責任者の考え方と職員の発想が、重要になります。もっとも、それら部局も、所属する組織を否定するような改革案は出せません。
なお、自然科学と社会科学の未来志向の違いについて、かつてこのページで、次のようなことを紹介しました(2005年6月24日)。
・・東京大学出版会のPR誌「UP」6月号に、原島博教授が「理系の人間から見ると、文系の先生は過去の分析が主で、過去から現在を見て、現在で止まっているように見える。未来のことはあまり語らない。一方、工学は、現在の部分は産業界がやっているで、工学部はいつも5年先、10年先の未来を考えていないと成り立たない」といった趣旨のことを話しておられます・・。
オフレコ
「オフレコ」という言葉を、ご存じですか。私はかつて、「オフレコ」=「オフ・ザ・レコード」=「記録に取らない、公表しない取材」だと思っていました。しかし、この業界(マスコミ)では、そのような意味では使われません。
例えば、北海道新聞の記者が、7月12日に取材メモを他の政党などにメールで送った件について、同社は次のように発表しています。
・・道内の日本維新の会関係者から、取材源を明らかにしないことを条件に話を聞くオフレコで取材。同党の参院選対応などについて、取材先の氏名とともに内容をメモにし、北海道新聞の参院選取材班の記者全員にメールで一斉送信しようとした・・
ここでは、オフレコであっても「メモにする」と、記録に取ることを認めています。また、「取材源を明らかにしないことを条件に」と公表することも、否定していません。さらに、これまでにも大臣などが、オフレコで記者と話した内容を報道され、辞職するような事例もありました。ウィキペディアは、その点を明確に指摘しています。
オフレコという表現は誤解を招くので、別の言い方に代えた方がよいでしょうね。