「社会の見方」カテゴリーアーカイブ

生命倫理をどう議論するか。政治と生命倫理、2

そして、もう一つこの問題が提起していることがあります。それは、専門家に任せておけないということです。
まず、科学一般について、科学者や技術者に任せておけないということが、原発事故でわかりました。核分裂によって大きなエネルギーが取り出せること、そしてそれをうまく制御すれば役に立つことまでは、科学者と技術者に任せておけば良いです。しかし、それを実際に建設し運転するか、運転する際にはどのような安全装置をつけるか。それを専門家任せにはできないことが、今回の事故で示されました。もちろん、私たち素人が審査や検査をする訳ではありません。誰にどのように委ねるか。それを決めるのは、国民であり政府であり、国会です。
よく似た例を上げれば、軍隊は専門家集団です。戦闘を素人が行うわけにはいきません。しかし、その編成や出動範囲を、政府が監督する必要があるのです。シビリアン・コントロールです。それと似ているでしょう。警察についても、同様です。
さて、今挙げた例は、専門家集団に委ねなければならないが、その管理と制御は政治が行わなければならないということです。

他方、何をもって人の死と認めるか。どこまで延命治療は認めるのか。遺伝子はどこまで改変して良いのか。これらは、基礎的事実は専門家の説明に頼るとして、その判断を国民が決めなければならないという、もう一つの専門家に任せられない問題です。
そこには、どこで線を引くのかという一般的な判断が、一つあります。そして、自分の家族がそのような状態になったときに判断を迫られるという個別の避けられない判断の、二つの問題があります。
前者については、政府や国会で決めなければなりません。しかしこれは、これまで政治が扱ってきた、安全や公平や経済といった課題ではなく、どちらかといえば避けてきた問題です。科学者や経済学者に意見を聞いて決めるというものではないのでしょう。また、どこに専門家がいるのでしょうか。医者ではないでしょう。彼らは技術については意見を述べることができますが、人の命を決めるといった判断はできません。哲学者も、これまでの議論を整理してはくれるでしょうが、「各人が考えることです」と答えるでしょう。相談できる専門家がいるとしたら、宗教家でしょうか(出版物を検索すると、医学部で哲学者が教えている例があるようです)。
後者については、出生前診断結果で、おなかの赤ちゃんに異常が発見された場合に、生むのか生まないのか。寝たきりの家族が苦しんでいる場合に、どこまで延命治療を続けるのか。いずれにしても、専門家に任せるだけではすまず、あなた自身の判断が求められます。原発稼働の問題や戦争については、「私は素人なので、政治家に任せます」という言い逃れもありますが、延命治療や人工中絶については素人であろうがなかろうが判断を迫られます。

生命倫理をどう議論するか。政治と生命倫理

尾関章著『科学をいまどう語るかー啓蒙から批評へ』(新聞報道を自己検証する。4月26日)には、次のような指摘もあります。
遺伝子など医療や生殖の倫理をめぐる問題についてです(p109、p175)。日本に比べ、欧米では政治家のこの問題に関する感度が高いのです。それは政治家だけの意識でなく、有権者の関心を代弁しているのだろうということです。
アメリカでは、1970年代に連邦議会に置かれた技術評価局(OTA)が、遺伝子鑑定による証拠の問題について指摘しました。また、大統領選挙戦で、医療と生命倫理の問題が大きな争点になります。 フランスでは、1994年に生命倫理法を定めました。そのときのことが、紹介されています。「法案審議の際に、議員一人ひとりが自分の立場で討論した。発言も、主語は「我々」ではなく、「私」がほとんどだった」。
臓器移植の際には、提供者をどの時点で死と認めるか、特に脳死が問題になります。日本でも1990年代初めに、脳死臨調が作られました。これは政府の審議会の一つですが、審議会の答申で生と死の境目が決まるわけではありません。臓器移植法は、1997年に作られました。また、臓器移植の際に、「本人同意」をどう確認するかの問題もあります。これは、子どもについて大きな問題になりました。小さな子どもに臓器移植するには、子どもからの提供でないと、大人の大きな臓器では手術できない場合があります。これについては、2009年の法改正で家族の同意でできるようになりました。この法案の採決の状況を、覚えています。他の法律とは違った雰囲気でした。1つの案の可否でなく、4案が提案され採決されました。
この問題は、医者ではなく、政治に大きな議論を提起しています。先端医療や遺伝子解析は、どこまで利用してい良いか。人体を管理して良いのか。延命治療はどこまで行うべきか。人工中絶はどこまで認めるのか。出生前診断で胎児に大きな異常が発見されたらどうするか。本人が望むことなら、何をしても良いのか。それを、誰がどのように決めるかです。
これらは倫理の問題であって、安全や経済や公平といったこれまで政治や法律が扱ってきた社会問題と違った次元にあります。そして、個人個人の考えが異なり、宗教とも近いです。これまで学校では議論されず、また学問や行政とも「離れた世界」で扱われてきました。極端な言い方ですが、「命の大切さ」「個人の平等」という言葉以上の、踏み込んだ議論はされてこなかったのです。戦後日本においては、政教分離という原則で触らずに来たのですが、臓器移植や遺伝子治療で、避けて通れなくなったのです。
すると、これまで政府や国会で議論してこなかったテーマであり、マスコミでも議論してこなかった分野なので、それをどう扱ったら良いかという「作法」が必要になります。
政府内では、どの省が所管するのかという問題になります。医療は厚生労働省ですが、ここで取り上げているのは「生命倫理」です。また学問としては、何学部の範囲になるのでしょうか。個人の内面には立ち入らないというのが、近代民主主義国家の原則ですが、この問題は内面ではありません。憲法が想定していなかった状況、近代民主主義も想定していなかった問題かもしれません。

日本は異質だという思い込み

4月27日日経新聞中外時評、小林省太論説委員の「五輪を機にというならば」は、考えさせられます。日本とフランスとの間の翻訳をめぐるシンポジウムについてです。
・・なかには「仏訳がある岩波新書は1点しかない」という指摘もあった。岩波書店に尋ねるとその情報は不正確だったが、それでも仏語に訳されたのは4点だけ。中国語、韓国語訳は多数ある。しかし英訳でさえ17、独訳9、伊訳1という数字は、問題が日仏間にとどまらないことを示している・・
社会科学系の研究書の「入超」については、先日「大学、社会との関わり方の変遷、2」(4月18日)で疑問を呈しました。
次のような指摘もあります。
・・仏国立東洋言語文化研究所のエマニュエル・ロズラン教授は言う。「日本はお茶や生け花、武士道、今なら漫画、アニメということになってしまう。それはウソではないが、ずれている。日本人も世界の人々と同じ問題を抱えて生きる普通の国の普通の人だという感覚が我々にもない。自然科学は別だとしても、少子高齢化でも原発問題でも、世界に伝えるべき日本の思想や施策がもっとあるのではないか。それが西洋中心主義を考え直すきっかけにもなる」。
「美しい日本」「クールジャパン」。そんなせりふが先走り、地球を覆う課題を考える共通の土俵に日本が立っていない。その指摘には耳を傾けなければならないだろう・・
「日本は西洋に比べ遅れている」という主張も、「日本は各国と違い優れている」という主張も、どちらも「日本は異質だ」という「自尊心」の現れでしょう。

新聞報道を自己検証する

尾関章著『科学をいまどう語るかー啓蒙から批評へ』(2013年、岩波書店)が勉強になりました。長年、朝日新聞科学部記者として勤めた著者が、福島第一原発事故をきっかけに、過去の朝日新聞の科学報道を検証したものです。自己評価、自己反省の書になっています。
まず、朝日新聞という日本の言論界で大きな位置を占めている組織の、自己評価であることが、大きな意味があります。
そして、率直に、過去の科学報道の欠点を述べています。それは、副題にもあるように、これまでの新聞による科学報道は啓蒙型のジャーナリズムであって、批評型のジャーナリズムでなかったという反省です。その結果、国策宣伝の一端を担った、しかし他の道もあったのではないかという反省です。その背景には、科学が社会を進歩させる、科学は善であるという思い込みが、続いていたからです。原子力発電、医療、宇宙開発など具体例で、検証しています。
この本は、一記者による検証ですが、組織として、新聞社や各編集部が、自らの報道を振り返って評価や反省することは、重要な意味をもつと思います。個別の記事の検証やこの1年の回顧でなく、中長期的な位置づけです。社会に大きな影響をもつ存在であるほど、それが必要でしょう。第3者を交えた評価も良いでしょう。
その点では、私たち官僚も、各省がこの半世紀、あるいはこの20年間に、何をして何をしなかったか、何に成功して何に失敗したかを、大きな視点から振り返る必要があると思っています。もちろん、自己評価は難しいです。よいことばかりが書かれて、不利な評価はあまり期待できません。しかし、今後も国民の期待に応えていくならば、何がよかって何が足らなかったということの反省に立って、次の仕事を組み立てる必要があります。
かつて連載「行政構造改革―日本の行政と官僚の未来」で、官僚の失敗と官僚制の限界を論じたことがあります。もちろん、現役官僚が一人で検証するには、大きすぎるテーマですが、議論のきっかけになると思って試みました。途中で、総理秘書官になって忙しくて中断してしまいました。

経済成長を支えた工業高校卒業生

加藤忠一さんから、御著書『高度経済成長を支えた昭和30年代の工業高校卒業生』(2014年、ブイツーソリューション)をいただきました。著者の加藤さんは、昭和35年に福井工業高校を卒業されました。大学を経て、富士製鉄(後の新日鉄。現在の新日鉄住金)に勤められ、鉄鋼研究所長などを歴任された技術者です。
ある日、加藤さんから、「岡本のホームページの記述を引用したいので、許可を得たい」という趣旨の電子メールが届きました。引用か所は、「戦後日本の経済成長、GDPの軌跡と諸外国比較」の図です。本の第1章1の書き出しで、高度経済成長を説明する際に、私のこの図を使ってくださったのです。光栄なことなので、喜んで使っていただきました。
全く存じ上げない方です。「ところで、どのようにして、私のホームページの記述を見つけられましたか?」とうかがうと、「インターネットで探した」とのことでした。
ご本は大部なもので、かつユニークです。第1部では、高度経済成長期に、工業高校教育が果たした役割、そして卒業生がどこに就職しどのような貢献をしたかの分析です。第2部は、78人の方が寄稿された「自分史」です。第3部は、大卒の人から見た工業高校卒業生の評価です。単なる回顧録ではありません。
昭和30年代の工業高校卒業生は、総数120万人と推計されるそうです。この方々の活躍なくしては、戦後の工業化、そして高度経済成長はなかったのでしょう。産業史、社会史論です。まさにその時代を生きた方々でなくては、書くことのできなかった研究書でしょう。
全国の工業高校や県立図書館寄贈されたとのことです。600ページを超える大部の本なのに、2,160円で買うことができます。ご関心ある方は、どうぞお買い求めください。