田久保善彦・グロービス経営大学院研究科長の「企業経営から見たCSR」(7月11日)の続き。
・・日本企業のこれまでのカギ括弧付きのCSRの特徴として、環境対応とコンプライアンスの二分野への重点が置かれすぎてきたことが挙げられる。過去の公害問題という苦い経験から、特に日本の製造業の環境対策は世界的にみてもトップクラスであり、それ自身は非常に素晴らしいことである。また、コンプライアンスが守られなければその企業は社会的に抹殺され存在する事すらできないため、その企業の価値発揮の根源である生業の発展と、ここを重視するのは基本中の基本である。
更に最近では、各種のNPOやNGOへの資金的支援や協業の実施などを、強く志向する企業も多く出てきている。これも、様々な種類の主体が活躍する環境を整えるという観点から一般的には喜ばしいことであるが、支援活動自体が目的化してしまっているようなもの、また目的意識や当該企業の活動内容との関連性などが希薄なものなども散見される。
しかし、このように、特定の分野への対応のみがフォーカスされた結果、近年のグローバル社会からの要請に応え切れていない部分があることも否めない。例えば、海外における二次受け、三次受けの労働管理などに関しては、日本企業は課題を指摘されることも少なくない・・
ポスト他著『企業と社会―企業戦略・公共政策・倫理』上下(邦訳2012年、ミネルヴァ書房)が、参考になります。目次を見ていただくと、企業が社会と、いかにいろいろな分野で関わっているかがわかります(上巻、下巻)。
「社会の見方」カテゴリーアーカイブ
内にこもるか、攻めて出るか
6月16日の日経新聞の国際面に、ドイツポスト社長の発言が載っていました(古い話で、申し訳ありません)。
・・同社は、欧州の郵便市場自由化を転機に大型の合併・買収をしかけ、国際郵便・物流企業に脱皮した。DHLブランドの国際貨物などが売上高の4分の3を占める・・
これを読んで、10年前に、ドイツポストを訪問したことを思い出しました。衆議院総務委員会の欧州視察に同行して、訪問したのです。私の記録によると、2004年8月19日です。ドイツ・ポストが民営化され、郵政民営化を試みていた日本が、お手本としていたのです。ドイツも、決して順調ではありませんでしたが。私が感心したのは、アメリカのDHLを買収して国際市場に攻めていること、そして中国を市場と考える発想でした。日本には、そのような動きは見えませんでした。あの時感じたことが、今なお続いているのだなあという感慨です。でも、10年も経ちました。若い人には、昔のことです。
ここでの教訓は、「10年先を考えて手を打つこと」です。市場が国際化した現代では、今ある商圏とビジネスモデルを守っているだけでは、生き残れないのです。
このページの他、当時はあんなことを考えていたのですね。興味あれば、ご覧ください。欧州随行記その2、ヨーロッパで考えたこと、ヨーロッパで考えたこと2。
社会はどのようにして進歩するか、させるか
近藤和彦先生の「グローバル化の世界史」を読んで、ロードレース史観の見直しについて考えました。社会や国家は、進歩します。しかし、諸国が同じ路線を順番に進んでいるのではありません。単純な、後先はないのです。
明治以降の日本は、「進んだ西欧、遅れた日本と東洋」という図式で社会を理解し、産業や技術だけでなく、社会制度を輸入し、西欧を追いかけました。技術や産業なら、先進と後進があるのでしょう。しかし、「社会」については、各国がそれぞれの置かれた条件(地理的条件、資源、気候、歴史、文化)の中で、それに適合した社会をつくりあげてきました。社会について、進んだとか遅れたという評価はあるのでしょうか、あるとしたらその物差しは何でしょうか。
一人当たりのGDPは、一つの物差しでしょう。また、物をたくさん持っている方が進歩していると、通常は評価されます。私もそう考えて、生きてきました。「豊臣秀吉でも飲んでいないおいしい酒を飲んで、徳川家康が食べたこともないアイスクリームを食べている」とか「クレオパトラが見たことのないロンドンを見て、始皇帝が乗ったこともない飛行機に乗った」と自慢しています。しかし、それは豊かさの比較です。それをもって、社会の進歩とみて良いのでしょうか。時代と地理的条件が違う社会で、単純にどちらが進歩しているか、比較はできるのでしょうか。
例えば、このホームページでは、労働慣行をしばしば取り上げています(2013年12月26日、2014年4月20日)。日本型の内部労働市場と、欧米型の外部労働市場とで、先進と後発はあるのでしょうか。それぞれに、長所と短所のある慣行だとおもいます。どちらが進歩しているとは言いにくいです。
さて、社会の進歩に話を戻すと、それぞれの社会に「進歩」はあるが、それぞれの社会の間で「優劣の比較」はない、ということでしょうか。
また、国民の努力によって、社会は変えることができます。しかし、ご先祖さまから相続した歴史を白紙にして、新しい社会を作ることは困難です。文化の移植は、難しいでしょう。特に、国民の末端まで意識を変えることができるか(ここでは、社会の単位を、国家として考えています。もちろん、国家の中に、いくつもの社会が存在します)。
そうしてみると、フランス革命、ロシア革命、中国革命(1949年)は、どこまでそれぞれの社会を変えたのでしょうか。また、変えなかったのでしょうか。家族のあり方、親子の関係、宗教、習俗、教育への考え方、隣近所との付き合い方などなど。英雄や革命では、変えることは難しいです。
ところが、戦後日本の経済成長は、家族の暮らしや、村の生活を大きく変えました。現在もなお、過疎化、少子化、都市への集中、若者の非正規雇用の増加などは、社会と個人の暮らしを大きく変えています。インターネットやスマートフォンの普及もそうです。革命以上の変化をもたらしています。
そうしてみると、社会を変えるエンジンは何なのでしょうか。そして、私たちは、何をどのように変えれば良いのでしょうか。生煮えな議論で、すみません。
偏った報道、媚びる発言。復興の真実を伝えて欲しい
復興庁の職員が、災害に関する国際会議に出席して、東日本大震災からの復興状況を発表しました。彼の帰国報告から。
出席者(海外の研究者)の発言、「日本の報道からは、復興が遅れているという印象しか持っていなかった。日本政府がこれほどしっかり復興に取り組んでいるとは、知らなかった」。
日本人研究者の発言「インドネシアでは、3年で住宅が復旧した。日本はようやく着工した程度で、遅い」に対して、インドネシアの研究者は、「住民が自ら周辺の木材を使って家を元通りにしただけ。日本のように、防潮堤や高台移転などの安全対策をしっかり議論した上で住宅を再建していく方が、時間はかかるが賢明だ」と発言しました。
日本のマスコミの偏った報道は、困ったものです。マスコミの人と議論すると、「遅れている点を指摘することが、マスコミの使命」とおっしゃいます。そのような役割はあるでしょう。しかし、進んでいることも取り上げないと、偏った情報は、間違った情報になります。
また、この研究者の自虐趣味も、良くないですね。外国人に媚びを売るのも、悪い癖です。そうすることで、相手国を賞賛しているとでも思っているのでしょうか。学問や研究の世界で媚びを売っても、評価されないでしょう。
インドネシアの津波からの復興への取り組みの方が、日本政府の取り組みより優れていると、本気で考えているのでしょうか。もちろん、インドネシア政府も、復旧に力を入れています。しかし、日本のインフラや住宅の復旧は、技術と言い予算と言い、世界最高級のものです。
歩きスマホの危険性
7月7日の朝日新聞夕刊に、「混乱、歩きスマホ1500人」という記事が載っていました。渋谷駅前の交差点を、通行人全員が「歩きスマホ」で横断したらどうなるかという、NTTドコモが作った仮想の動画です。
青信号が点灯する46秒間で横断できたのは547人で、4割。衝突446件、転倒103件、スマホの落下21件が発生しました。動画を見てください。
駅の構内でも、危ないですよね。よけてくれないのですから。電車内でスマホに集中して、通路を空けてくれない人も、困ったものです。