少子化が、日本の大きな政治課題に上ってきました。合計特殊出生率が、1989年に1.57に下がり、「1.57ショック」と呼ばれました。1994年には、エンゼルプランと緊急保育対策等5か年事業が始まりました。保育サービスはかなり改善されましたが、出生率はその後も下がり、2005年には1.26と最低になりました。昨年は1.43に回復していますが、まだ1.57にも戻っていません(9月2日付日経新聞経済教室、松田茂樹・中京大学教授)。
ここでは、社会の課題と対策について述べてみます。
同時期に問題となり対策が取られたのが、高齢者介護です。ゴールドプランが策定され、ホームヘルパーや老人ホームを急速に増やしました。2000年には、介護保険制度を導入しました。私は当時、自治省財政局の課長補佐をしていて、「こんな急速に財源手当(交付税措置)を増やして良いのかな」と、少し自信がなかったのです。しかし、これは大成功でした。高齢者が増え、介護の必要な人が急速に増えました。それだけの需要があったのです。
保険制度を取っていますが、公金でサービスを提供することは、行政は得意です。このように、成果が出ています。介護保険の場合は、それまで行政が直接サービスを提供していたものを、民間によるサービス提供に切り替え、経費や質の合理化も目指しました。
保育サービスも、お金をかければ、そして仕組みを工夫すれば、よりよいサービスが提供できると思います。
社会には公的サービス(お金や制度)だけでは、改善しない課題も多いです。しかし、そのような中でも、改善が進んでいるものがあります。女性の年齢階級別労働力率(M字カーブ)です。
結婚や妊娠を機に働くことをやめる女性がおられます。子育てにめどがついてから、もう一度働きに出ます。これをグラフにするとM字に似ているので、M字カーブと呼ばれています。諸外国に比べ、真ん中の落ち込みがひどかったのです。ところが、これも徐々に改善しています。9月15日の読売新聞が、「ママ世代74%労働力に。25~44歳過去最高」を伝えていました。『男女共同参画白書』平成25年版には、次のように書かれています。
・・女性の年齢階級別労働力率について昭和50年からの変化を見ると,現在も依然として「M字カーブ」を描いているものの,そのカーブは以前に比べて浅くなっており,M字の底となる年齢階級も上昇している。
昭和50年では25~29歳(42.6%)がM字の底となっていたが,25~29歳の労働力率は次第に上がり,平成24年では,年齢階級別で最も高い労働力率(77.6%)となっている。24年を見ると35~39歳(67.7%)の年齢階級がM字の底となっているが,30~34歳の年齢階級と共に30代の労働力率は上昇しており,M字カーブは台形に近づきつつある(第1-2-1図)・・
子育て中の女性が働きやすいように、環境が改善されてきたということでしょう。それは、保育サービスの改善であり、社会の見方が変化してきた、すなわち結婚や出産を機に「やめるのが当たり前」という意識が変わってきたということです。
サービスの改善、これには公的サービスと私的サービスがあります。そして、国民の意識改革、これにも当人だけでなく周りの者の改革が必要です。社会の意識を変えるのは難しいです。しかし、できないことではありません。
現在の日本が抱えている社会問題の多くは、サービス改善では解決しません。子どもの虐待、いじめ、引きこもり、家庭内暴力、ストーカー行為、自殺、孤独死、認知症老人の迷子、男女共同参画、地方の衰退・・。続きは、次回に。
「社会の見方」カテゴリーアーカイブ
資本主義は不平等をもたらすか、2
原著を読んでいないので、的が外れているかもしれませんが。
資本主義や市場経済は、競争の世界ですから、強い者・目先の利く者・才能のある者が勝ちます。そして、強い者はさらに豊かに、貧しい者はさらに貧しくなります。しかし、社会が豊かに便利になるためには、適した経済システムですから、やめるわけには生きません。
すると、負けた人、あるいはそもそも競争に参加できない人を支え・支援することが、社会や政治の役割になります。子どもや高齢者、障害者、何らかのハンディを負った人です。
また、競争といっても、対等の条件で競争しないと、スタート時点から差が付いていては、恵まれた者はさらに勝ちます。ところで、「大貧民ゲーム」あるいは「大富豪ゲーム」というトランプ遊びがあります。言い得て妙な、命名です。ゲーム開始早々に、貧乏人は自分の持っている良い札を、富豪に進上するのです。若いときに、よく遊びました。自分が貧民になったときは不条理だと思いつつ、時に革命が起きることもあり、それなりに納得できるルールでした。
そもそも、一定の秩序ある社会や権力が支配する社会でないと、資本主義や市場経済は成り立ちません。私有財産が保護されること、契約は守られること、守られない場合は権力が実行してくれること。人の命までは取られないことなどなど。競争には限界があり、競争を成り立たせるには、政治権力が必要なのです。議論は、その市場経済に、どこまで政治が介入するかです。
資本主義は不平等をもたらすか
朝日新聞9月12日オピニオン欄は、「ピケティ論争、格差は宿命か」でした。フランスの経済学者トマ・ピケティ教授の著書『21世紀の資本論』が、世界中で議論を呼んでいるとのことです。資本主義の下で経済的不平等が進む、という主張です。
稲葉振一郎・明治学院大学教授
・・そもそも、なぜ不平等がいけないのかを考える必要もある。格差と成長の関係を考える場合、「レベリングダウン問題」というものがあります。全体の賃金水準を下げながら格差を縮めるという考え方は採用に値するか、ということです。みんなが平等に貧乏になるという政策は本当に正当化できるのでしょうか。
平等主義の本来の目的は、不平等な社会で困っている人や弱者を助けることです。でも、手段はいろいろある。平等主義はそのひとつにすぎず、困っている人を助けることと同じではない。重要なのは平等ではなく、全員がある最低水準をクリアしていることだという考え方もある。むしろこちらの発想のほうが現実の制度づくりには直結してくるかもしれません・・
大竹文雄・大阪大学教授
・・私たちはできることから始めるべきです。まず、リーマン・ショック時に発覚したような、常識外に高い報酬を経営者たちに取らせないよう、株主や市場が経営監視を強めることです。格差拡大を一定程度和らげることができます。
加えて、日本で喫緊の課題は教育支援です。大学など高等教育機関へ進む道は、資産のない家庭の子どもたちにも同等に開かれなくてはなりません。子どもたちは将来のイノベーションを担う成長の糧です。高等教育を受ける機会を一定の所得層に限定してしまう状況になれば、日本そのものの成長余力が損なわれてしまいます。
競争の機会を等しくするような教育支援は、福祉的な観点から必要なだけではありません。技術革新を促して生産性を高め、社会の持続可能性を維持するためにも欠かせない投資なのです・・
サービス産業時代の成長戦略
9月9日朝日新聞オピニオン欄、冨山和彦さんの「成長戦略の勘違い」から
「円安で自動車や電機メーカーの業績が好転し、ようやく景気が回復してきたように見えますが」という問に対して。
・・確かに、ものづくりのグローバル企業がしっかり稼ぐことは日本経済にとってプラスです。国際収支の上でも必要です。しかし、そのことが日本経済の全体を浮揚させるわけではありません。
先進国に共通する皮肉な現象ですが、グローバル化が進むほど国内経済におけるグローバル企業の比重は下がります。かつて加工貿易で高度成長をしていた時代は、頂点に製造業の大企業があり、中堅・中小企業が連なって、ざっと日本人の半分はこのピラミッドの中で働いていました。頂点が潤えば、水がしたたるように幅広く恩恵が広がる「トリクルダウン」が起きた。ところがグローバル化で大手メーカーが生産拠点を相次いで海外に移し、この構図は縮小してしまいました。
いまや雇用者数でも付加価値額でも、日本経済の7~8割はサービス産業です。ここは基本的に地域密着型の労働集約的な産業。グローバル競争の世界とは、ルールも経済原理も違う。つまり日本経済の中にグローバル経済圏(G)とローカル経済圏(L)のふたつがあると考えたほうがいい。GとLの連関性はどんどん希薄になり、現実にトリクルダウンはほとんど起きなくなっています・・
「とすれば経済政策も……」という問に対しては。
・・GとLで別々の処方箋が必要ですね。特にLの世界で労働生産性と賃金を上げていかないと、持続的成長など無理です・・
「これまで成長戦略というと、もっぱらグローバル化への対応が柱になってきました」との問に対しては。
・・加工貿易時代の成功体験が強烈だからでしょう。Gが拡大することで高度成長を実現したので。しかも政府が政策を立案する際は、主に大手製造業の経営者が加わるため、どうしてもGばかりに目が行く・・
国家の崩壊ということ
日経新聞私の履歴書、9月は、ジャンクロード・トリシェ前欧州中央銀行総裁です。1985年に、パリクラブ(途上国にお金を貸した債権国の代表による非公式グループ)の議長に就任します。借りた金を返せない国とどのような交渉をしたか、それは本文を読んでいただくとして。 1991年12月、ソ連崩壊直前に、ゴルバチョフ大統領と交渉します(9月12日掲載分)。
・・交渉の冒頭、パリクラブの議長の私は「ソ連はもう約束を守っていません。ソ連の債務返済への保証が必要です」と話した。
ゴルバチョフ氏は「良い交渉になるよう希望しています。どこかの共和国で問題があれば電話をください。私から首相に電話して手助けします」と支配者のようだ。だが直後に交渉官は「ソ連はもうないのだ。ロシアと交渉し、ウクライナと照合して、結果を他の共和国に示してくれ」とささやいた。存在しないと宣言したソ連に債務返済を迫るのは現実離れしていた・・
ベルリンの壁崩壊や、ソ連の崩壊は、私にとって、それこそ「想定外」でした。生きている間に、こんなことが起きるのだとは。歴史は過去のものであって、同時代のものではないと思っていました。若い人には、この衝撃は理解してもらえないでしょうね。
それ以来、「想定外はない」、「ないのは想像力だ」と気づきました(参照、ヨーロッパで考えたこと。2004年9月13日)。