国家の崩壊ということ

日経新聞私の履歴書、9月は、ジャンクロード・トリシェ前欧州中央銀行総裁です。1985年に、パリクラブ(途上国にお金を貸した債権国の代表による非公式グループ)の議長に就任します。借りた金を返せない国とどのような交渉をしたか、それは本文を読んでいただくとして。 1991年12月、ソ連崩壊直前に、ゴルバチョフ大統領と交渉します(9月12日掲載分)。
・・交渉の冒頭、パリクラブの議長の私は「ソ連はもう約束を守っていません。ソ連の債務返済への保証が必要です」と話した。
ゴルバチョフ氏は「良い交渉になるよう希望しています。どこかの共和国で問題があれば電話をください。私から首相に電話して手助けします」と支配者のようだ。だが直後に交渉官は「ソ連はもうないのだ。ロシアと交渉し、ウクライナと照合して、結果を他の共和国に示してくれ」とささやいた。存在しないと宣言したソ連に債務返済を迫るのは現実離れしていた・・
ベルリンの壁崩壊や、ソ連の崩壊は、私にとって、それこそ「想定外」でした。生きている間に、こんなことが起きるのだとは。歴史は過去のものであって、同時代のものではないと思っていました。若い人には、この衝撃は理解してもらえないでしょうね。
それ以来、「想定外はない」、「ないのは想像力だ」と気づきました(参照、ヨーロッパで考えたこと。2004年9月13日