皆さんは、略歴を書くときに、古いものから書きますか、新しいものから書きますか。
時系列なら、古いものから書きます。卒業からの職歴とかです。しかし、見る人からすると、昔のことより、最近のことを知りたいですよね。特に長々と書いてあると、最後(最近)にたどり着くまでが、大変です。
気になって見ていると、世間では、両方が併存しているようです。使用目的によって使い分けるのでしょうか。
私の略歴も、古い方から書いているのですが。講演会などで略歴を求められた場合は、ごくごく簡単なものにしています。
皆さんは、略歴を書くときに、古いものから書きますか、新しいものから書きますか。
時系列なら、古いものから書きます。卒業からの職歴とかです。しかし、見る人からすると、昔のことより、最近のことを知りたいですよね。特に長々と書いてあると、最後(最近)にたどり着くまでが、大変です。
気になって見ていると、世間では、両方が併存しているようです。使用目的によって使い分けるのでしょうか。
私の略歴も、古い方から書いているのですが。講演会などで略歴を求められた場合は、ごくごく簡単なものにしています。
橋本秀美著『孝経 儒教の歴史二千年の旅』(2025年、岩波新書)を読みました。儒教というと『論語』を思い浮かべ、『孝経』は思い浮かびません。でも、「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」は、孝経に出てくるのですね。
孔子の言葉を記したもので、「孝」について述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を説明します。1800字と短く、それが約20章に分かれています。日本でも、江戸時代どころか、戦前まで広く学ばれたとのことです。難しくなく、短いからでしょう。私も、「身体髪膚・・・」を覚えています。どこで学んだのかな。両親からかな。
ただしこの本は、孝経の中身・教えについて解説したものではなく(最後に現代語訳がついています)、経典の来歴、解釈の争いについて書いたものです。目次を見てください。その点は、やや専門家向けです。
秦の始皇帝の焚書に逢って、儒教の経典は燃やされてしまいます。それをくぐり抜けたものが、前漢の初めに出ます。その後に、孔氏の書院の壁から「発見された」より古いと言われる文書が出てきます。少し異なっているのです。どちらが本物か、大きな派閥争いが起きます。唐の玄宗が統一します。
孝経には、儒教による社会秩序・人の道が書かれていて、良いことを教えてくれます。でも、本家の中国では、どれだけの人がこれを読んで実践したのでしょうか。王朝は次々と交代し、そのたびごとに戦争が起きます。新しい王朝も、すぐに権力争いが起きます。庶民は、支配層にいじめられます。孝経を読んで実践したと思えないのです。その辺り、孝経の社会的影響力も知りたいものです。
肝冷斎に聞けば、詳しく教えてくれるでしょう。(と書いたら、肝冷斎は途中まで訳したことがあるそうです。さすが)
なお、身体髪膚は、第1章に出てきます。その前に「子曰く、夫れ孝は徳の本なり。教えの由って生ずる所なり。」があります。その後に、「身を立て道を行ない、名を後世に揚げ、以って父母を顕わすは、孝の終わりなり。」が続きます。
大学に出講した際に、学生たちに新聞を読んでいるかと聞き、読み方と意義を教えています。ところが、最近の学生は新聞だけでなく、インターネットのニュースも読んでいないようです(私の限られた見聞ですが)。
それを話題にしたら、ある記者から、有力な説明を教えてもらいました。
「学生がなぜニュースを見ないか。それは、友達との会話に必要ないからだからです」
なるほど、納得です。
でも、選挙など、政治の動きや政党の主張などは、どのようにして得ているのでしょうか。無関心なのでしょうか。
スマートフォンが普及して、多くの人が簡単に情報を得ることができるようになりましたが、その情報は偏っています。関心のあることしか見ない、また機械が関心あるものを選んでくれるので、さらに狭くなります。
私は、子どもの頃は、社会勉強と思って新聞を読みました。官僚になってからは、社会の情報を得る手段として、読みました。これは、業務の一環でもありました。官僚は卒業しましたが、社会の変化を知りたいと思って、読んでいます。
学生たちは、「社会を知る」という意義を知らないのでしょうね。講義の際にそれを説明すると、納得する学生が多いです。
どのようにして、若い人たちに、新聞を読む意義を教えれば良いのでしょうか。新聞社の皆さん、販売促進も兼ねて、考えてください。
6月29日の日経新聞、 アメリカノの政治思想学者パトリック・デニーン氏「トランプ氏はただの「乗り物」」から。
・・・トランプ米大統領が掲げる「MAGA(米国を再び偉大に)」運動は戦後の国際秩序を支えてきた「リベラリズム」を壊そうとしている。その理論的支柱とされるのが米政治思想学者のパトリック・デニーン氏だ。トランプ氏は世界で広がるエリートへの不満を積んだ「乗り物」に過ぎないと主張する・・・
――戦後の民主主義国家の繁栄を支えてきたのがリベラリズムだった。あなたはそこには欠陥があると著書で論じた。どういうことか。
「個人の選択を重視し、政治的にも社会的にも人間関係でも人々をあらゆる束縛から解放しようとする哲学がリベラリズムだ。ところが私たちは自らを統治する自由を失い、経済面でも政治の影響が及ばぬ市場原理に支配されるようになった」
「皮肉なことにリベラリズムは『成功』するほど失敗していった。例えばかつての共同生活には助け合いがあったが、人々は隣人に助けを求めなくなった。米国には長い間、自己犠牲を尊ぶ古い伝統があったがそれらは失われていった」
「経済的なリベラリズム、米国流で言えばグローバル化した市場を重んじる新自由主義が批判を浴び、個人の自由や権利を極端な形で追求する左派リベラルも批判にさられている。リベラリズムの危機が分断を生んでいる」
――個人の自由な選択を追求するリベラリズムこそが人間の幸福や繁栄につながったのではないのか。
「選択の自由は幸福の本質ではない。正しい選択をすることが幸福の本質だ」
「確かに私たちはかつてないほど自由だ。消費者としても一人の人間としても多くの選択肢を持っている。にもかかわらず欧米社会ではメンタルヘルスの危機が著しく高まり、自殺する人が増え、平均寿命も低下している」
「極めて少数の人々に資本主義の恩恵がもたらされ、政治的な不安定を生んでいる。古今東西の政治思想家が一致するように、社会の繁栄を人々が分かち合えているという感覚が行き渡らなければ政治的な安定は得られない」
――この変化はいつごろ始まったと考えるか。
「フランシス・フクヤマ氏が(自由民主主義が政治制度の最終形態と記した)『歴史の終わり』を発表し、ベルリンの壁が崩壊したのが1989年。90年代にリベラリズムは『最高潮』を迎えたが、その頃からリベラリズムが伝統的な慣習や制度の良い部分を壊し始めた」
「米国は政治再編のまっただ中にある。ポストリベラリズム派というべき低学歴の人々や労働者階級、あるいは過度な自由市場や社会的な解放主義に疑念を抱く人々と、エリート層や高学歴といったリベラリズム派の人々の対立だ」
――トランプ氏は2016年の大統領選で当選し、返り咲きも果たした。リベラリズムに対する疑念が彼を誕生させたのだろうか。
「彼は不満の受け皿になっただけだ。無視されてきた数多くの人々が存在していることを本能的に見抜く才覚に優れていた。ビジネスマンとして、ワシントンのエリートが気づかぬ政治的な市場がそこにあることに気づいた」
「右派であれ左派であれ、ワシントンのエリートたちは彼の『成功』にショックを受けたことだろう。ただ、トランプ氏が不満を生んだのではない。前からずっとそこにあったのだ。彼は(その不満の)乗り物になったに過ぎない」
榎村寛之著『女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』(2024年、中公新書)を読みました。
宣伝には、次のように書いてあります。
・・・平安後期、天皇を超える絶対権力者として上皇が院政をしき、それを支える中級貴族や源氏・平家などの軍事貴族、乳母が権力を持つようになる。そのなかで巨大な権力を得た女院たちが登場、莫大な財産は源平合戦のきっかけを作り、武士の世へと移って行く。紫式部が『源氏物語』で予言し、中宮彰子が行き着いた女院権力とは? 「女人入眼の日本国(政治の決定権は女にある)」とまで言われた平安後期の実像がいま明かされる・・・
平安時代は、約400年も続きました。その後半、私たちの知識は藤原道長から源平合戦まで飛んでしまいます。この本が取り上げた、宮中での女性の地位や活躍も、知りませんでした。長講堂領については、かつて知って、そのように皇室財産が相続されたのかと驚きました。
摂関家に対抗するべく、天皇が上皇になって、幼い天皇を補佐する形で政治権力を握ります。ところが、上皇がいなくなったりすると、幼い天皇の母や養母が天皇家の「家長」として差配を振るいます。なるほど。
200年の間の話なので、たくさんの女性が出てきます。天皇も貴族も。その多さに、読んでいる途中で、こんがらがります(苦笑)。それに対して、小説は良いですね、登場人物が限られていて。
ただし、この本が分析しているのは、宮中での権力争いです。彼女たちが、ふだんどのような生活を送っていたかは、わかりません。また、庶民の女性がどのような暮らしをしていたかも、わかりません。