カテゴリーアーカイブ:社会の見方

情報保護政策のあり方、各国の文化の違い

2018年4月6日   岡本全勝

3月28日の日経新聞経済教室、山本龍彦・慶応義塾大学教授の「EUの厳格な情報保護 米中と憲法文化の違い背景」が興味深かったです。
情報化の急速な進展によって、個人情報保護のあり方が議論されています。その内容は記事を読んでいただくとして、私が興味を持ったのは、EU、アメリカ、中国が異なった方針をとっていて、それがそれぞれの憲法文化を反映しているという指摘です。

・・・こうしたEUの先進的な取り組みには批判もある。自己情報の主体的コントロールを重視するEUのプライバシーアプローチは、AI社会化を背景に重要性を増すデータの自由な流通や利活用を妨げる可能性があるからだ。確かにEUのように情報に対する個人の「自己決定」の機会を実質化することは、データ流通に摩擦を生じさせかねない。
この点、米国や中国はプライバシーとデータ利活用のバランスについてEUとは異なるアプローチをとっており、世界の情報経済圏は三つどもえの様相を呈しつつある。注目すべきはこうしたプライバシーアプローチがそれぞれの地域の憲法文化と密接に関連していることだ。
ジェームズ・ホイットマン米エール大教授(比較法学)は、EUは「尊厳(dignity)」ベースで、米国は「自由(liberty)」ベースでプライバシーを思考すると指摘する。
もともと貴族の誇りやプライドに由来する「尊厳」は、個人が誇り高く自らの情報を主体的にコントロールできなければならないとの発想に結び付く。「尊厳=個人の主体性=情報自己決定権」という連関は、前述のGDPRの権利概念の中にも垣間見える。
これに対して貴族的伝統を持たず、政府に対する住居の不可侵性を源流に持つ「自由」は、私生活に対する政府の干渉には警戒的になる。一方、民間企業間ないし市場での情報・データ流通には、表現の自由という観点からも肯定的な発想に結び付くとされる。
また中国では、近年財産的な性格も持ち始めた情報を公(政府)が管理・統制し、財産の社会的共有を目指す共産主義的な情報保護政策を進めようとしているかのようにみえる。中国の「デジタル・レーニン主義」は、中国の憲法体制と深く結び付いたこうした情報政策を意味する言葉として理解すべきだろう。
以上のように考えると、EU、米国、中国のプライバシーアプローチの違いは、それぞれの憲法文化ないし憲法体制に関連している。情報経済圏の対立は「立憲」の型を巡るかなり深いレベルでの思想的対立(「尊厳」対「自由」対「共産」)のようにも思える。実際に筆者は海外のシンポジウムなどで、何度かこうした根本的対立の場面に出くわすことがあった・・・

図では、次のように整理されています。
EU=「尊厳」基底的アプローチ、情報自己決定権
アメリカ=「自由」基底的アプローチ、情報・データの自由な流通
中国=共産主義的アプローチ、デジタル・レーニン主義

中国は、「共産主義的」というより「政府管理的」「共産党管理型」と言う方がわかりやすいと思いますが。

大学生、勉強と読書よりスマホ。

2018年4月3日   岡本全勝

全国大学生協の「学生生活実態調査」です。
1日の平均読書時間は24分、他方でスマホをいじっている時間は3時間です。
年々減少する大学生の読書時間。遂に、全く読まない学生の割合が、半分を超えたそうです。もっとも、読んでいる学生はいるので、二分化している(といっても、読まない大勢と、よく読む少数)ということです。

調査によれば、次のようです。
授業時間を除く予習・復習・論文などの勉強時間は、1日平均50分。学部別では、文系32分、理系60分、医歯薬系73分です。
1日の読書時間は平均24分。1日の読書時間が「0分」の割合は53%です。「120分」以上は2004年から4.5%〜7.5%を推移し、「0分」が4割を超えた2013年以降も5%以上を継続。長時間読書する層が存在することにより、読む人の平均は51分です。
1日のスマートフォン利用時間の平均は177分。利用時間「0分」(スマホを持たない、または利用しない)は1%と、ほぼ全員が利用しています。

まあ、昔から学生の中には、本をよく読む学生と読まない学生がいました。驚くことはないのかもしれません。
読まなくても卒業できる。大学に籍は置いているけれど、勉強はしない。そういう学生が多いということです。多くの学生にとって、大学生活は、大いなるお遊びの時間、モラトリアムの時間のようです。
すると、本を読んで知識を得る学生、本の読み方やものの見方を身につける学生は、良くできる一握りの学生になることができます。それは、社会に出ても、財産です。
こうして、努力する人とそうでない人に差が出ます。とはいえ、全体の水準が落ちることは、良くないですよね。勤勉であることは、これまでの日本人の長所・財産だったのですから。

公文書館、春の展示

2018年3月31日   岡本全勝

国立公文書館が、「江戸幕府、最後の闘い-幕末の「文武」改革―」という展示を始めました。概要を引用します。

・・・平成30年(2018)は明治元年(1868)から満150年を迎える年に当たります。春の特別展では明治前夜、幕末期の江戸幕府に焦点を当て、当館所蔵の江戸幕府公文書である「多門櫓文書(たもんやぐらぶんしょ)」を中心に、幕末期の江戸幕府の「文武」改革について取り上げます。こうした改革が可能になった背景や、維新後に新政府で活躍する幕臣たちのその後も合わせて展示し、明治の近代国家建設の端緒を江戸幕府の側からご紹介いたします・・・

ご関心ある方は、どうぞ。皇居周辺の桜もきれいですから、その帰りにでも。

舗と舘

2018年3月30日   岡本全勝

「舗」と「舘」の左側の違いって、不思議だと思いませんか。「舘」は、土がひっくり返っています。舎は土で、捨などもそうです。
私は社会人になってから、「舘」という字を名字や地名で見て、「書き間違いではないか」、あるいは「その家やその土地だけの特殊な漢字だ」と早合点していました。学校でも、習いませんでしたよね。
気になっていたので、肝冷齋先生に教えを請いました。おおむね、次のような答えです。

これらの漢字の左側の字形(康煕字典で整理された「部首」ではないので「字形」というしかありません)は、本来「余」の下に「口」がある、という文字なので、「舘」の左側が「正しい」ようです。
ただし、和風の俗字として「土」を使った字形があって、当用漢字を定める際にこちらが当用漢字の正字としてとられた、という経緯だそうです。現代では「舎」は建物の意味でしか使わないので、「土」のほうがわかりやすい、と文部省の関係者が決めたのでしょう。
「舘」は、「館」が正字に選ばれたので直されてません。

トニー・ジャット著『記憶の山荘』

2018年3月28日   岡本全勝

トニー・ジャット著『記憶の山荘 私の戦後史』(2011年、みすず書房)を読みました。著者は、『ヨーロッパ戦後史』で有名です。読みたいと思いつつ、大部な本なので先送りしています。どのような人が書いたのか、気がかりだったので、『記憶の山荘』を見つけて、読みました。

この本は回想録ですが、体験、それもいくつかの物から記憶が広がります。プルーストの『失われた時を求めて』のマドレーヌのようにです。
1948年、ロンドンのユダヤ人家庭に生まれます。物資の乏しかったイギリスの戦後生活から、話が始まります。奨学金を得てケンブリッジ大学へ。ケンブリッジ大学とオックスフォード大学で教鞭を執った後、ニューヨーク大学に移り、アメリカで暮らします。
ヨーロッパ戦後史を書くには、西側だけでなく東側の知識も必要です。その背景が、この本を読むとわかります。

晩年、筋萎縮性側索硬化症にかかり、『記憶の山荘』は、人工呼吸器をつけ、口述筆記されたとのことです。
碩学の回想録、エッセイを、寝る前の布団で読むのは、至福の時です。先達の経験、苦労、考えたことを、(すみません)寝転びながら読めるのです。もちろん、翻訳の場合は、訳文がこなれている必要はあります。