カテゴリーアーカイブ:社会の見方

報道機関の「保身」?

2022年8月10日   岡本全勝

7月28日の朝日新聞論壇時評、林香里・東京大学大学院教授の「元首相銃撃事件 知られぬ事象、拾う報道こそ」から。

「安倍元首相 撃たれ死亡」
これは、7月9日の朝日、読売、毎日、産経、日経(以上東京版)の朝刊1面見出しだ。5紙とも、一字一句同じだった。
各紙はさらに翌週、宗教法人「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」が記者会見をし、容疑者の母親が会員だと認めた11日まで、揃って「特定の宗教団体」と呼び、その名を明示しなかった。事件後、「特定の宗教団体」で検索し、最初に教団名がヒットしたのは「現代ビジネス」や「Smart FLASH」など、出版系サイトだった。
画一化された見出しの付け方や、すでに周辺取材で明らかになっていたであろう団体名を報じない態度。ネット時代には、こうした態度こそ、陰謀論や誤情報を呼び込むことになりかねない。デジタル時代に期待される情報のスピードと、新聞社が培ってきた「紙の伝統」とがどんどん乖離してしまっていると感じる。重大事件では知り得た情報は確認状況も含めて随時出すことを原則とし、市民を信頼して判断を委ねるなど、発信のしかたを見直さないと乖離は埋まらないだろう。

こんな状況なら、私たちには新聞や地上波テレビは必要ない。大手メディアはもはや過去の遺物だ。そんな声も聞こえてきそうだ。が、それは間違いだろう。
新聞やテレビなど旧来型マスメディアには、まだまだ、私たちが何を考えるべきか、思考枠組みを提供する議題設定力がある。さらに、新聞やテレビという「老舗」が取り上げれば、その話題には社会的価値があるという権威付与の機能もある。知られぬ事象や届かない声を拾うことは、大手メディアにこそ求められるのだ。

事前分配で機会の平等重視

2022年8月8日   岡本全勝

7月27日の日経新聞経済教室「新しい資本主義の視点」、スティーブン・ヴォーゲル、カリフォルニア大学バークレー校教授の「事前分配で機会の平等重視」から。

・・・日本型資本主義を改革し成長と平等の両方の実現を目指すという首相の考えは正しい。だが問題はいかに実現するかだ。政府が不平等に根本から取り組むつもりなら、再分配よりも「事前分配」を優先すべきだ。
両者の違いを少し説明しよう。再分配は、市場での利益配分を所与のものとして受け入れたうえで、事後的に社会福祉支出や累進課税などの政策手段により不平等の緩和を図る。これに対し事前分配は、経済活動から利益を得る人にまず、公共投資や市場改革を通じて影響を与えようとする・・・
・・・事前分配政策と再分配政策は実行面では境界が曖昧になりがちだが、日本の評価では両者を区別することが望ましい。日本が戦後期の大半を通じて成長と平等の両方を実現できたのは、事前分配戦略が奏功した結果だと考えられるからだ。
日本は福祉国家戦略ではなく、企業慣行、労使関係、社会規範など事前分配に当たる要因を通じて、おおむね平等な所得分布を実現した。不平等拡大と低成長に直面している今こそ、日本は改めて事前分配という解決策を優先させるべきだ。
事前分配と再分配の区別は、機会の平等と結果の平等を巡る永遠の議論を巻き起こしている。事前分配が目指すのは機会の不平等をなくすことであり、不平等になってから埋め合わせることではない。人々の能力向上を図り、労働者と起業家に市場競争力を持たせるような事前分配であるべきだ。事前分配が目指すのは市場メカニズムを排除することではなく、市場をよりよく機能させることだ。
リバタリアン(自由至上主義者)は、政府は市場の自由な働きに介入すべきではないと反論するだろう。だが現実には自由市場などというものは存在しない。どんな市場も政府の規則や企業の商慣習、社会規範の中に根付いているうえ、現実の市場には雇用主対労働者、生産者対消費者などの力関係が反映されている。だから市場のルールの作成や修正と言っても、まっさらな市場になじみのない介入をするわけではない。
むしろ市場の適切な機能にはルールが不可欠だ。例えば労働者の賃金が労働の対価として少なすぎたり、消費者が高すぎる値段を払わされたりしていたら、不公正を正すために市場のルールを変えるべきだろう。
再分配に反対するわけではないが、最初に分配を正すことが大前提だ。機会の不平等を後で埋め合わせるよりも、まずは機会の不平等の排除を試みるべきだ。公平で平等な市場社会を十分に実現できなかった場合に、再分配で補えばよい。

成長と平等の両方を実現した戦後日本の成功は、事前分配の視点から再解釈できる。政府は経済成長とヒト・モノの移動を支える輸送・通信インフラに投資し、成長と平等の維持に欠かせない質の高い普通教育と医療を提供した。大企業はステークホルダー(利害関係者)型統治により、労働者と会社の一体化を図り、正社員には雇用保障と正当な福利厚生を提供した。
戦後期の日本のシステムはいくつか深刻な構造的不平等を抱えていた。大企業と中小企業、都会と地方、男性と女性の格差などだ。それでも日本は成長と平等の両方を実現できた。
日本が誇ってきた強みの一部は1990年代から損なわれてきた。教育制度は以前ほど平等ではなくなった。雇用制度は、非正規労働者の比率が高まり、より不安定で不平等になった。
事前分配の視点に立つと改革の優先課題を決定づける枠組みが見えてくる。事前分配政策で優先すべきは教育、職業訓練、研究開発などへの公共投資やスタートアップへの財政支援だ。幼児教育、出産休暇・父親の育児休暇・介護休暇などを含めた家族政策も優先すべきだ。これらの政策は子供への支援であるとともに親のスキル開発と就業支援でもある点で、事前分配と再分配の性格を併せ持つ・・・

日本の伝統の未来、西陣織

2022年8月6日   岡本全勝

7月24日の読売新聞、細尾真孝・西陣織細尾社長の「美意識と創造性 工芸の力」から。

・・・「工芸」という言葉を辞書で引くと、「実用性と美的価値とを兼ね備えた工作物を作ること」とあります。人間の創造性の原点にあるのは、自らの手でより美しいものを創り出したいという原始的な欲求。それに忠実であること。つまり、美意識を持った創造的活動だと考えています。
その工芸が、近年、世界的に注目されています。

先月、世界最大級のインテリアやデザインの見本市「ミラノ・サローネ」に出展しました。商談会への参加は10年ぶりのことでしたが、新作のシルクとヘンプ(大麻)をミックスした布のシリーズを出品し、大きな手応えを感じました。
世界1500社を超える有名企業が最先端のデザインコンセプトを披露する見本市では、各社ともコロナ後の新たな価値観が商品に打ち出されていました。表面的なデザインではなく、自然とのつながりや、長く使い続けられるものの大切さ。そして、人間の「手」の力などがベースとなった美しさを追求する傾向にあります。工芸や工芸的思考に通じるものです・・・

・・・先代がパリのインテリア見本市に出展し、和柄のクッションを出品したのを見て、西陣織を海外で展開するのは面白いと思ったのです。
一人で世界各地の展示会を回って営業したものの、事業にはならない。社内には「着物が厳しいのに、なぜ赤字になることをする。道楽じゃないか」という空気が流れていました。
08年、パリで日仏交流150周年を記念した展覧会が開かれました。「日本の感性価値」がテーマで、ゲーム機や携帯電話などとともに、細尾は琳派の柄の帯を出品しました。展覧会は好評で翌年、ニューヨークに巡回しました。
会期終了直後に一通のメールが届きました。差出人は、世界的な建築家のピーター・マリノ。展覧会で帯を見て、店の内装に使う布の開発を依頼してきました。しかも、鉄の溶けたような柄です。フランスの高級ブランド、ディオールの店のためでした。彼が注目したのは、西陣織の技術と素材。和柄でないと海外で勝負できないと信じていたのが固定観念だったと気付かされたのです。
ただ、問題は布の幅です。織機は着物や帯のためなので大体幅32センチで内装には使えません。西陣織として初の150センチ幅が織れる織機を開発することを決め、1年がかりで完成させました。

西陣には世界一複雑な構造を織ることができ、様々な色を織り分ける技術もある。箔を使った素材もそうです。織機を作ったことで、見える世界が変わった。世界のテキスタイル(布)市場に参入し、高級ホテルなどでも使われるようになりました。他業種との協業や研究開発も相次いでいます。
工芸の世界は斜陽と言われています。ニッチだと言われたり、遠い存在に思われたり。しかし、日本は工芸大国です。風土や伝統、歴史を生かした、その土地ならではの工芸が数多くあります。世界の人たちが知らない技術や素材、ストーリーもある。チャンスと捉えることもできるのではないか・・・

「みんな違ってみんないい」のか?

2022年8月4日   岡本全勝

「みんなちがって、みんないい」という言葉をよく聞きます。戦前の詩人、金子みすゞさんの詩にある言葉で、小学校の教科書にも載っているようです。
社会ではこれでは困ることを、「こども食堂3」で紹介しました。湯浅誠著『つながり続けるこども食堂』(2021年、中央公論新社)に次のような指摘があります。
「みんなちがって、みんないい」はよいことか。家族旅行に行くときに希望を聞いたら、父はハワイ、母は温泉、姉はディズニーランド、私はどこも行きたくない。では、みんなバラバラに行くのがよいのか。困りますよね。

山口裕之著『「みんな違ってみんないい」のか?――相対主義と普遍主義の問題 』(2022年、ちくまプリマ―新書)は、この問題を哲学の系譜で説明したものです。人や文化によって価値観が異なり、それぞれの価値観には優劣がつけられない」という考え方が相対主義であり、「客観的で正しい答がある」というのが普遍主義です。道徳と事実の二つにおいてそれらを議論します。
「正しさは人それぞれ」「みんな違ってみんないい」という主張は、共同生活で何か一つを選ばなければならない場合に、権力者の意向で結論を決めることを正当化することにつながります。「客観的に正しい答がある」という主張は科学や専門家の意見を尊重することですが、科学者の間でも一つに定まらないことがあります。科学もまた、科学者たちが「より正しそうな答え」を探し出すものです。

山口さんの答えは、共同作業によって正しさが作られていくというものです。社会における正しさは、各人が決めてよいものでもなく、権威ある人が決めてよいものでもなく、みんなで議論して「正しさ」を作っていくものです。

バラバラな人たちの病理

2022年8月4日   岡本全勝

7月19日の朝日新聞「元首相銃撃 いま問われるもの」、宮台真司さんの「バラバラな人々に巣くう病理」から。

――なぜ(旧統一教会は)多くの信者を集めることができたのでしょうか。
「米国でも同時期、人工妊娠中絶や進化論を否定するキリスト教原理主義が影響力を持ち始めました。共通点は、資本主義が拡大するなかで、『不全感を抱く分断された個人』が量産されたことです。かつて就職や結婚から調味料の貸し借りまで生活の便益は、家族や地域の人間関係からなる生活世界を通じてのみ手に入りました。だが、市場や行政のシステムを頼るようになった結果、面倒がなく便利になった半面、人間関係が希薄になりました」
「20世紀半ばに社会学者ラザースフェルドは、中流化による豊かな人間関係が、健全な民主主義を支えるとしました。だが世紀末からのグローバル化による中流分解で、剥き出しになった個人が、不安とデマに直撃され始めました。そこにつけいる形で、独特の世界観で支持者を束ねる宗教団体が、集票力によって政治的影響力を増しました。かくして内政面では『政治の原理主義化』、国際的には『原理主義のグローバル化』が起きるようになりました」

――現状はどうですか。
「互いにバラバラで『呼んでも応えない周囲の人』と、システムが複雑化して『呼んでも応えない統治権力』は、不全感に駆られた剥き出しの個人を一定割合生みます。そこに、自分と社会の現況を説明し、生きる意味を含めた『確かな物語』を与えてくれるカルトが必ず巣くいます。95年のオウム真理教事件もそうでした。私は、95年の著書で『終わりなき日常を仲間とまったり生きろ』と、身近な人間関係を支えとする処方箋を示しましたが、状況は変わらないどころか、その頃からの経済停滞と生活世界の空洞化で、問題は深刻化しました」