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社会

やさしい日本語

6月16日の朝日新聞オピニオン欄、「やさしい日本語考」から。
・・・市区町村のウェブページや公共施設の案内などで、平仮名ばかりの文章を見かけることがある。「やさしい日本語」というらしい。目にすると、どうも奇妙な心地がする。幼児向けの本を読んでいるような……。日本語教育を専門にしている、言語学者の庵(いおり)功雄さんに聞いた。「やさしい」のは、誰のため、何のためですか・・・

――日本語を簡単にするのではなく、英語や中国語といった多言語で表示したり、話したりするのでは駄目なのでしょうか。
「国内に住む外国人を対象にした国立国語研究所の調査では、英語よりも日本語の方が『わかる』と答えた人が多いという結果が出ています。旅行者には英語が適していますが、長期定住者は日本語の方が理解しやすい。英語は日本人の側も得意とは言えません」
「それに、多言語といっても定住外国人の多くが話す主な言語だけでも20近くあり、すべてに応じるのは現実的ではありません」

――外国人のためだけでなく、日本社会にとってのメリットがないと取り組みは進まないのでは。
「少子化と人口減少に悩む日本にとって、日本人と同等の給料を稼いで税金を払い、家族で暮らす外国人を増やすことは極めて重要です。子どもたちはさらに大切で、遅くとも高校卒業時に同年代の日本人と同じ日本語レベルに達していないと、付加価値の高い職業にはつけない。不必要な難しさをそぎ落とした『やさしい日本語』をステップにして一定レベルに追いつけば、あとは自力で知識を得ることができます」
「その教育に税金が使われたとしても、能力を発揮できる大人に成長すれば財政や社会保障の担い手になります。逆に、もし日本語の習得に失敗すれば社会から孤立するでしょう。ここで考えるべきなのは『言語のバリアフリー』です。リターンできる人でなければ価値がないということではありませんが、持てる力を発揮できるようになるまでの『のりしろ』を社会が保障する、ということです」

多言語電話通訳企業勤務、カブレホス・セサルさんの発言
・・・多言語通訳サービスの会社で働いていますが、日本に初めて来た外国人をサポートするとき、最も説明に困るのが、印鑑登録や年金、健康保険の加入などです。制度や文化的背景を知らないと理解できません。日常生活でも、学校でなぜ上履きが必要なのか、何万円もする制服をどうして買わないといけないのか、分からない。
そんなとき、「日本ではこうだから。以上」で済ませるのは一番良くない。「やさしい日本語」は、日本人の側こそ意識する必要があります。日常使う日本語とは大きなギャップがあるでしょうが、まごころにならって、外国人に寄り添う気持ちになってほしい。
外国人と日本人の間には、言語の壁と文化の壁があります。実は文化の壁の方が圧倒的に高いのですが、まずは言語の壁を乗り越えないと、そこにたどり着けないのです・・・

流行に翻弄されない衣服

6月13日の読売新聞「あすへの考」は、デザイナーのジョルジオ・アルマーニ氏「ファッション界とニューノーマル「よい装い」紡ぐ持続可能社会」でした。

・・・ここしばらくの間、ファッションは果たすべき使命からかけ離れたものになっていました。装いとは、生活をしやすくし、人々を美しくして、個性を定義するものです。ファッションはそうした使命を失い、単なる商業性や収益性の追求に貪欲に突き進んできました。低品質の物を大量に生産し、消費者が本当に求めている物とは違う方向に走ってきました。
ファストファッションがその原因だとみています。ファストファッションは、流行を追い続けて常に新しい物を買わねばならないという風潮に消費者を巻き込みました。その結果、大量に衣服があふれ、短期間だけ着て捨ててしまう。全くの無駄遣いです。ファッション企業はもっと人間的な尺度で運営され、創造性やよい習慣を促すべきです。持続可能な行動を採るべきです・・・

・・・ファッション業界は今、立ち止まって考える時に来ています。コロナ禍の経験から学び、優先順位を見直すべきです。衣服は美しいと同時に心地よく機能的であるべきです。移り変わる流行に 翻弄されない物を作る必要があります。いつも着ていても長持ちするものを作ることが、ファッション業界が採るべき持続可能な道なのです。
ファッション業界が目指すべき方針は、「生産量を減らし、よりよい物を作る」ということに集約することができます。そのためには、長年の商習慣であるファッション業界の暦を変えなければなりません。
まずはショーの数を減らす必要があります。商品が店頭に並ぶ期間を長くして、販売時期が自然の季節の移り変わりと合うようにするのです。まだ寒いのに夏用のリネンのドレスが店頭に並んだり、暑いのに冬用のコートが売られるようなことをやめるべきです。
無責任な商習慣をやめて無駄を減らし、環境に有害で終わりがない異常な生産サイクルに終止符を打たなければなりません・・・

子どもを産み育てにくい国

6月12日の朝日新聞が「日本「子ども、生み育てづらい」6割 欧州3カ国と国際調査」を伝えていました。
・・・日本と欧州3カ国で「子どもを生み育てやすい国と思うか」と質問したところ、日本は「育てづらい」との回答が6割を超え、他国より圧倒的に高い割合だったことが内閣府の国際調査でわかった・・・国際調査は5年に1回、少子化対策に役立てるため、内閣府が行っている。今回は昨年10月~今年1月に日本、フランス、ドイツ、スウェーデンの各国で20~49歳の男女を対象に実施した。日本では1400人近くから、欧州3カ国では約1千人から回答を得た。
「子どもを生み育てやすい国と思うか」との問いに対し、日本では「そう思わない」が61・1%を占め、フランスの17・6%、ドイツの22・8%、スウェーデンの2・1%と比べても、ずば抜けて多かった・・・

令和3年版 少子化社会対策白書」のトピックス「少子化社会に関する国際意識調査について」です。
子供を生み育てやすい国だと思う理由は、調査結果があるのですが、そう思わないという理由は載っていません。ただし、「そう思う」という理由のうち、他国に多くて日本に少ない項目は、次の通り。雇用の安定、柔軟な働き方、職場環境、所得保障、地域や社会の理解です。

タンザニアのその日暮らし

6月6日の読売新聞、文化人類学者・立命館大教授の小川さやかさん、「タンザニア「その日暮らし」したたかに」から。

・・・タンザニアで暮らしていると、日本でいうコロナ禍で仕事が突然なくなるような事態が頻繁に起きます。店の資本を増やしても突然警察に没収されたり、仲間の裏切りにあったり、商品を預けていた倉庫が火事になって無一文になったり。
公的な保障や保護がほとんど得られない不安定な社会では、「将来に備える」といっても、将来はどこにあるのかという感じです。日本だったら今頑張れば良い学校に入れ、大きな会社で働け、安泰な老後を過ごせるなど直線型の未来を描きやすい。でも、ここではそうはいかない。
では、人々はどうしているか。
この先どうなるかわからないリスキーな社会だから、一つの仕事に固執せず、いろいろな事業に投資して、いろんなタイプの人間とつながっておく。「生計多様化戦略」です。
例えば、コロナ禍で中国と取引ができず、電化製品の商売ができなくなった。日本なら政府の助成金に期待できても、ここでは自分で何とかするしかない。
都会に住むタンザニア人が目を向けたのが農村です。食べ物はコロナが来ようが常に要る。電化製品の商いはやめて1週間後には農村で養鶏を始めている。そんな時、役に立つのが多様な人と結んでおいた人脈です。中には養鶏のやり方を知っている人がいるから教えてもらう。すぐに新しい事業を始められる背景に、儲けは同じ事業につぎ込まず、農地の確保など、いつか役に立つかもしれない分野に投資しておく知恵があります・・・

・・・日本ではいいかげんさや適当さ、計画性がないことは好ましくないとされ、一度失敗したらダメな奴との烙印を押されがちです。これは苦しい。一方、タンザニアのような融通無碍な社会は、失敗を許す寛容さと、新たな挑戦を促す柔軟さがあります。
「その日暮らし」というと、「刹那的」という言葉を思い浮かべるかもしれません。むしろ、その日その日を生き抜くために、人々はいろんな縁を紡ぎ、生計多様化戦略に基づいて様々なビジネスを展開している。時に失敗し、だまし、だまされることがあっても、それが人間だと割り切ります。「その日暮らし」の社会から透けて見えるのは、どんな状況になっても生き抜くぞという強さとしたたかさを持った生存戦略です。
先行き不透明で不安感が強い時代だからこそ、日本のように規範性が高い社会にとっては、彼らの生き方や経済が参考になるのではと思うのです・・・

小関隆著「イギリス1960年代」

小関隆著「イギリス1960年代 ビートルズからサッチャーへ」(2021年、中公新書)が、勉強になりました。

1960年代のイギリスを、ビートルズを鍵に、社会の変化を分析します。戦中戦後の窮乏期をへて、イギリスも豊かな社会を迎えます。そこに「文化革命」が生まれます(中国の政治闘争であった文化大革命とは違います)。世界の先駆者の地位をアメリカに奪われた後、ロンドンとビートルズが、文化で世界の最先端を走ります。
イギリス社会の代名詞だった階級がなくなり、マルクス主義が意味をもたなくなります。労働党が苦境に陥り、方向転換をします。他方で、伝統的な倫理が崩れます。教会に通う人も少なくなります。性や麻薬が解放されます。もちろん、伝統的な勢力からは、巻き返しもなされます。

豊かな社会を迎え、ベビーブームの若者や労働者から、生き方や生活文化が大きく変わります。これは、戦後、昭和後期の日本と同じです。というか、イギリスが先を行っていたのでしょう。
日本との違いは、階級と宗教がイギリスほど強固でなかった点でしょう。また、社会党が、イギリス労働党とは違い方向転換をせず、教条的な立ち位置で「自己満足」したことでしょうか。

著者のすごいところは、この60年代の社会の大変化を描くだけでなく、それがサッチャーを用意したと考えるところです。
文化革命、ロンドンとビートルズの先進性が、厳格だった社会に許容範囲を広めるという効果をもたらしました。それを基盤に、サッチャーが登場します。

日本についても、高度成長を経済から分析した著作は多いです。このような若者文化を含めた社会の変化を描いた作品、そしてそれが平成時代を用意したことを描いた作品はないでしょうか。私の連載「公共を創る」は、社会の変化と行政の変化(の遅れ)を描こうとしています。