「社会と政治」カテゴリーアーカイブ

社会と政治

個人番号

21日の産経新聞正論は、加藤秀俊先生の「国民ひとり「一生一番号」に。国の情報管理の稚拙さがはがゆい」でした。
アメリカの社会保険番号が、自動車免許番号や医療保険証番号、銀行口座などの本人確認に利用されていることを紹介した後、次のように書いておられます。
・・だが、こんなふうにひとつの番号で個人を識別するというきわめて明快な制度にたいして、日本の世論はけっして好意的ではない。いや否定的である。これまでなんべんも、政府はこうした方法の導入を提案してきたが、国家が個人に番号をつけるのは「国民総背番号制」だといってみんなが反対する。なによりもマスコミが反対する。「個人情報」や「プライバシー」を国家が管理するのは怪しからぬというわけ。
その結果、われら日本人はそれぞれに年金、健康保険、運転免許証などいくつもの番号をバラバラに持たなければならなくなっている。まことにめんどうである。
さらに数字のケタ数もわけがわからない。アメリカの9ケタは理論上、10億人まで管理することができる。さしあたりアメリカ人や在留者すべてに番号をつけるのには9ケタあればじゅうぶんだ。それなのにわたしの日本の国民年金番号は10ケタである。これは100億人までを想定している。もっと滑稽なのは免許証の12ケタである。これだと1兆人まで管理できるが、どうしてそんなケタ数が必要なのであろうか。こういう珍妙な番号をたくさん持っていてまちがわないほうがオカシイ・・

交通事故減少

3日の新聞が、2007年の交通事故死者数が、5,700人余りにまで減ったと伝えています。つい最近まで、1万人を超していました。毎年100万人の人が事故に遭い、1万人の人が死んでいました。国民の100人に1人が事故に遭い、そのうち100人に1人が死ぬと、説明していました。
死者が最も多かったのは、1970年の1万6千人余りです。それに比べると、約3分の1にまで減らすことに成功したのです。飲酒運転の減少が、主な理由のようです。取り締まりの強化と、運転者や関係者の意識改革に成功したということでしょう。
このような社会問題も、変えようとすれば、変えることができるのです。もちろん、5千人という数字は、まだ大きなものです。もちろん、本人と関係者にとっては、一人であっても、大きなものです。

日本の労働慣行

風早正宏「ここがおかしい日本の人事制度-職務給制への転換」(2007年、日本経済新聞社)が、勉強になりました。著者は、日本の企業を経験した後、アメリカで働き、また経営コンサルタントをしておられる方です。
日本型の終身雇用・年功序列制が、経済成長期にのみ成り立ち、もはや維持できないことを、明確に示しておられます。また、欧米型の流動雇用・職務給制に移行すべきであり、それが日本の経済と社会を活性化すると主張しておられます。日本がこれまで自由主義経済で発展しておきながら、労働については規制を続けていることの不思議さを、指摘しておられます。
私も大賛成です。終身雇用・年功序列制は、右肩上がりの時に機能します。そして、みんなが横並びで出世と昇級します。能力差を隠す仕組みです。それはまた、企業に丸抱えされる代わりに、企業に抱え込まれます。いやだと思っても、転職しにくいのです。退職金制度はその典型です。この「賃金の後払い」は、職員を引き留めるための制度です。途中転職者には損ですし、企業が倒産でもしたらえらい損です。このような制度は、労働者を守っているようで、その実、労働者を守っていないのです。

日本の魅力

NHKニュースによると、ことし日本を訪問した韓国人観光客の数は、先月末で24%増え推計239万人。これに対して、韓国を訪問した日本人観光客は推計206万人で、日本への韓国人観光客が初めて韓国への日本人観光客を上回ることが確実になりました。
外国に行く日本人の数は日本の国力に比例し、日本を訪れる外国人の数は日本の魅力(と外国の国力)に比例します。これからの観光業は、パイの縮小する日本人以上に、アジアの人たちを相手にすべきです。喜ばしいことですね。

教育格差と情報開示

17日の日経新聞教育面は、志水宏吉阪大教授の「学力テスト結果公表、地域内の差こそ問題」でした。
43年ぶりに行われた、全国一斉学力テストの結果です。それによると、家庭学習時間の増加や、朝ご飯を食べる子供の比率が増加していること。都道府県格差が報道されているけれども、40年前に比べ、地域間格差は驚くほど縮小しているのだそうです。
問題は、給食費など就学援助を受けている生徒が多い学校は、学力が低いことだと、教授は指摘しています。校区の経済状況が、子供の学力に大きな影響を及ぼしているということです。一般的に家庭の経済状況が子供の学習態度や学力に影響するでしょうから、これはいわば当たり前のことかも知れません。もちろん、貧しくても勉強ができる子もいます。OECD各国の中では、日本は親の地位と子供の成績が比例する度合いが少ない国だそうです(朝日新聞12月19日経済気象台「勉強しない経済大国」)。
また、教授は、今後の方向を二つ並べておられます。一つは、テストの結果を広く公表することで競争状態を作り出し、学校の自助・経営努力のもとで、子供たちの学力を高めていこうとするもの。もう一つは、「現場の力」を信頼し、テストの結果は内部資料として使うものです。そして後者を薦めておられます。私は、前者を取ります。
教師だけでなく、保護者・地域住民・行政関係者が情報を共有し、課題に取り組む必要があること。情報を一部の関係者だけで秘匿するのは、情報公開の流れに沿っていません。みんなが課題を認識することで、予算や人員を投入し、対策を打つことができるのです。情報を隠して「予算を欲しい」と言っても、周りの人は納得しません。
次に、競争のないところに、向上と改善は望めません。学校関係者に努力を促す意味で、競争は必要なのです。ここでの競争は、生徒の競争でなく、教員の競争なのです。また、「学力テスト結果は一人歩きを始める」と指摘しておられます。私もそれを否定しませんが、それを恐れていては、次の行動を取ることができません。大学入試・高校入試において、学力の序列化は公然と行われています。