カテゴリーアーカイブ:社会と政治

経済の進化に追いつかない行政

2013年8月10日   岡本全勝

NHKのインターネット・ニュースに、「WEB特集」という欄があります。記者が、特定のテーマを掘り下げて解説しています。今日紹介するのは、「ネット取引で「失われる」消費税」(8月9日、岡田真理紗記者)です。
アマゾンで電子書籍を買うと、消費税がかからず、日本の業者から買うと、消費税がかかります。ヤフーに広告を出すと消費税がかかり、グーグルに広告を出すとかかりません。詳しくは、本文をお読みください。
社会や経済が進化するスピードに、行政が追いつかない。国境を超える経済に、国家が追いつかない例です。

グローバル化と国家の役割、2

2013年8月6日   岡本全勝

(政府の役割)
その際に、国家(政府)は何をするべきか。私は連載「行政構造改革」以来、「政府(中央政府と地方政府そして官僚)の役割は何か」を考えていて、その一環として、この本を読みました。
これまでは、日本の課題や政府の機能をどうするかを考えていたのですが、日本が抱える課題は国内だけで生じるのではなく、国際環境によるものも大きくなりました。例えば、地域産業を考える際に、国内の条件だけを考えていても解決になりません。国内で企業誘致をしておれば良い時代では、なくなりました。企業は世界で勝負し、工場はアジアにそして世界に出て行きます。
経済などが国際化したことによって、国家が対応できる範囲や、国家が打てる有効な手段が狭まりました。国内の課題を解決することは、国家(中央政府)の任務でしたが、一国の政府だけでは解決しないのです。
他方で、世界政府は、まだ視野に入ってきません。EUが、その実験を進めていますが。もし遠い将来に世界政府ができたとしても、地球規模の人口と面積、そして異なった経済段階の区域を抱えて、有効な政策は打てそうにもありません。
(政府間の競争)
国家(主権国家体制、Nation State System)を前提として、国家(政府)が、国際問題と国内問題を解決していくしかありません。市場経済だけに任せておいてはうまく行かないことが、国内経済でも国際経済でも明白になりました。もちろん、経済界に求められることも、変わってきました。
世界規模の経済合理性だけで、行動することが果たして良いことか。これが、東西冷戦終結後の20年間で、わかったことです。バブル崩壊後の日本が直面したデフレや「失われた10年」という言葉は、この状態に重なっていました。ある意味で、先進諸国のさらに先端を行っていたのです。
日本政府にも官僚にも経済界にも、新たな大きな課題が出現しています。私が繰り返し主張しているように、「日本国家と国民が、明治以来の追いつけ追い越せ路線に成功し、次の課題設定に迷っている」という大課題は、より大きな規模で「世界規模での文明の曲がり角」とシンクロしつつ、私たちに対応を迫っています。
もちろん、このような課題なので、世界各国が、条件は違いつつ同じ課題と取り組んでいます。どの国が、この競争に勝つのか。経済についての新しいモデルを提示することと、国民と社会へ新しい政策を打つことの競争です。

グローバル化と国家の役割

2013年8月5日   岡本全勝

木村雅昭著『グローバリズムの歴史社会学ーフラット化しない世界』(2013年、ミネルヴァ書房)を、先週ようやく読み終えました。寝転がりながら読むには、ふさわしくない本と思いつつ。
(グローバル化は失業者も作る)
インターネットの急速な普及と、東西冷戦の終結に続いた金融・経済・産業の国際化(グローバル化)によって、情報、お金(金融)、モノ(製品)、産業(物作り)が、国境をものともせず行き来することになりました。国際化とかフラット化と呼ばれています。しかし、それが国民みんなを豊かにし、幸せにするか。どうやら、そうではないようです。成長を続ける国や産業と、そうでない国や産業とに分化しています。国民にあっても、それを利用して豊かになる一部の人と、他方で失業したりより貧しくなる人に分かれます。
(急速な変化に対応できない。格差を拡大する)
情報、カネ、モノが国境を越えるとき、地域の産業や人が、世界規模の市場経済と直接対面することは、大企業や一部のエリートを除いて困難なことです。それは、これまでの国内経済にあっても同様です。全ての地場産業が、国内市場と向き合っていたのではありません。大手の取引先を通じて国内市場とつきあい、あるいは地域経済の中で頑張っていたのです。突然、「国際市場で競争せよ」と言われても、無理です。アマゾンで、世界中から品物を輸入できることは、消費者にとっては便利ですが、地元の本屋や商店を寂れさせます。
一方に冷徹な経済合理性の市場があり、他方で生身の人間の暮らしがあります。地域の産業や人は、そう簡単に海外に移住することは、できないのです。また、労働者はそう簡単に転職できません。農家も、すぐには栽培する作物を、変えることはできません。
国際競争に負ける地場産業、それによる大量の失業者、国内での好調な産業・地域とそうでない産業・地域、貧富の格差の拡大・・。世界各国で生じている事態です。
この項、続く

専門家集団の自律と行政による規制

2013年8月1日   岡本全勝

土屋了介・東京財団上席研究員の「TPPをこう考える」(7月30日)から。
・・混合診療
現在の保険適応の審査体制が健全なものとは思われないが、科学的な検証が十分に済んでいない医薬品・医療機器を保険適応することは不適当であり、科学的根拠に基づく合理的な保険審査体制が必要である。しかし、リスクを承知で検証中の医薬品・医療機器を使いたいという患者の当然の要求も忘れてはならない。これこそが混合診療の対象となる診療であり、その適否は(専門家集団としての)医師が症例ごとに特性と条件を検討し判断すべきである。すなわち、現在、行われているような、先進医療として厚生労働省が一律に適応を定め混合診療とするという仕組みは、医療上の判断としては間違っている。医療法制上は混合診療を全面解禁とし、その適応は責任ある自律した専門家集団の医師が行うべきである。
・・混合診療はすでに導入されているが、その適否は医療行政の専門家ではあっても診療の専門家ではない厚生労働省が行っている。保険適応の判断は単に医学的にあるいは科学的に判断するのではなく、費用対効果などが絡むので行政的・政治的判断が必要だが、まだ科学的検証が十分でない診療に対して、患者が希望して混合診療として個人負担となる場合に、行政的・政治的に一律に基準を設けるのは不適当である。科学的検証が十分でないのであれば、医師が個々の患者の置かれた医療状況を勘案して判断すべきであり、専門家集団として周囲の医師が判断の援助をする体制が必要である。すなわち、専門家集団としての医師(複数)が自律して医療的判断を下し、その判断に反する者に対しては自浄作用を有してなければならない。
したがって、医師が厚生労働省にガイドライン作成を請願したり、厚生労働省の省令、通知を求めたりするのは間違いであり、医師が自らガイドラインを作り、自らが遵守し、患者・国民の信頼を得ることが必要である・・

イギリス社会はどう変わったか。英国病の前と後

2013年6月23日   岡本全勝

清水知子著『文化と暴力―揺曳するユニオンジャック』(2013年、月曜社)が、興味深いです。
サッチャー政権以後のイギリス社会を対象に、「働かない労働者を、どのようにして変えたのか」「社会の亀裂はどう広がり、サッチャリズムはどう利用されたか」「衰退した帝国はどのように反転を試みているか」などを分析しています。政治経済ではなく、社会文化の観点からです。
サッチャー首相にとって、新自由主義はあくまで手段であって、目的は「国民の信条を変えること」「国民の精神的な構造を変革すること」だったと、清水さんは喝破します。第2次大戦戦後のイギリス政治を特徴づけてきた「合意の政治」「福祉国家」こそが労働意欲をそぎ、サッチャー首相が登場する頃には、国民全体が福祉に依存する怠惰な文化を生み出し、英国病をもたらしたという主張が受け入れられていました。しかし、首相が主張し、各種の制度を改革しただけでは、国民の意識を変えることは難しいでしょう。それを支持した国民がいたから、劇的な変化が起きたのです。
国民の中にあった「亀裂」が、それを支えました。「内なる敵」、それは移民であったり、炭鉱労働組合であったり、アイルランド独立運動です。「私たち英国民を危機に陥らせる、人種的他者であり怠惰な市民」が敵になるのです。
一方で、伝統や集団から「独立する」ため、「自由」が尊重されます。しかし、それはサッチャー首相の言葉「社会というものはありません。あるのは個人としての男と女と家族だけです」が表しているように、中間集団というセイフティネットのない、孤立した個人と家族を生み出します。
政治や経済を論じる際に、それを支えた、あるいは反発した国民や市民の意識は重要です。しかし、分析するのは、難しいです。とらえにくく、移り気で、定量的分析にはなじみにくいです。
太平洋戦争を支持した国民意識、戦後復興と経済成長を支えた国民意識、失われた20年を受け入れた国民意識。そして、広く国民一般ではなく、指導者層、中間層、庶民、あるいは都市労働者と農民、若者と、立場の違いがあります。