カテゴリー別アーカイブ: 生き方

生き様-生き方

森ビル社長、生涯最高のプロジェクト

日経新聞私の履歴書、今月は、現代美術作家の杉本博司さんです。杉本さんの本論とは外れるのですが、7月22日の掲載文から。

・・・私の作品を収集してくれているコレクターの方々が直島に集まる機会があった。森ビルの森稔社長と夫人で森美術館理事長の佳子さん、原美術館の原俊夫さんと、後に夫人となる内田洋子さん、大林組の大林剛郎会長、そして福武さんだ・・・
・・・その場を借りて皆さんに護王神社の構想を披露した。これは私の生涯最高のプロジェクトであると。すると内田さんがすかさず森社長に尋ねた。森さんの生涯最高のプロジェクトは何だったでしょうか。
森社長はしばらく考えた後、こうおっしゃった。「そうだなあ、佳子と結婚できたことかな」。皆ヒューヒューと囃し、佳子さんはそのほほをほんのりと染めた・・・

『ランスへの帰郷』

ディディエ・エリボン著『ランスへの帰郷』(2020年、みすず書房)を読みました。本屋で見つけ、読んでみようという気になりました。著者のエリボン氏は全く知らないし、みすず書房の西欧哲学・思想関係の本は難しくて、遠慮しているのですが。この本は、フランスの哲学者の自伝でもあるので、読めるかなと考えたのです。フランスとドイツでベストセラーだそうです。いくつか書評も出ています。

帯に「労働者階級の出身であると明かすのは、ゲイであるということを告白するより難しかった」とあります。この本の内容を、良く表しています。著者の二つの苦悩、それが彼を作ったのですが、その過程が語られています。
下層労働者の家に生まれ、高等教育に進むことは、家族や地域から離脱することでした。恵まれた家庭の学校の友達に劣等感を持ちつつ、彼らに反発したり迎合しつつ、勉強を続けます。そして、家族とは疎遠になります。というより、彼は切り捨てます。既存知識人たちに反発することで、大学教授になることはできず、新聞界で名声を上げていきます。彼はそれについても、やりたくなかったけど、食べるために必要だったと語ります。
ゲイであることについても、社会から差別を受けます。社会との葛藤を乗り越えていきます。
その二つの、社会との葛藤、自己との葛藤が、描かれています。それが個人の独白でなく、フランス社会の課題と重ね合わされて語られます。そこが、哲学者、社会学者としての分析となります。フランスの哲学界、知識人たちが、1970年ごろまでいかにマルクス主義にとりつかれていたかもわかります。ゲイについては、私はわかりませんが。だから、フランスで読まれたのでしょう。

ランスは、パリから東北に100キロあまりの都市です。フジタ画伯の礼拝堂もあります。そんなに田舎と思えないのですが、フランスはパリ一極集中が極端です。パリでなければ、まっとう高等教育を受けることができないと書かれています。著者は早熟、そして頭脳明晰なので、凡庸な教師に飽き足らなかったのです。

私も、奈良の田舎から東京に出て、大学で学び官僚になりました。親やふるさとから離れて別の世界で生きた点では、同様です。著者とは2歳違いで、ほぼ同年代です。このような著名人と一緒にすると叱られそうですが、私の半生と少し重ね合わせて読みました。
フランスの階級差別の厳しさ、社会的上昇の難しさには、厳しいものがあるようです。ブルデューが、生まれた家による「文化資本」の違いを指摘するのがわかります。

日本では明治以来、勉強ができて野心のある若者は、東京や各地の旧制高校、後に大学を目指しました。学資の問題はありましたが、家庭の出自は問題にされませんでした。確かに田舎者は、上流階級の子どものようにはクラッシック音楽を知らず、教養も低く話し言葉も粗野でしたが。だからといって、露骨な差別はないと思います。
また、家族と疎遠になることもなく、田舎の人たちは東京での出世を褒めてくれました。日本には「故郷に錦を飾る」という言葉もあります。
社会的上昇がかなり実現できたのです。「一億総中流意識」は、そのような社会背景もあって実現したものでしょう。

翻訳もこなれています。フランスの哲学に通じていない人のために、丹念に注がついています。フランス哲学の門外漢でも、読みやすいです。

緊急事態宣言から2か月

4月7日に、東京などに緊急事態宣言が出されてから、2か月が経ちました。地域別に、また行動別に、規制が緩和されつつあります。少し振り返ってみましょう。社会の問題はマスコミに任せるとして、身の回りのことです。

仕事については、自宅勤務が推奨されました。皆さんの仕事の仕方も、変わったのではないでしょうか。やってみると、意外とできるものですね。もちろん、すべてを自宅でできるものではありませんが。そしてこのページで書いているように、仕事の仕方の見直しが進むでしょう。「在宅勤務が変える仕事の仕方4
しかし、自宅勤務は、生活にメリハリがでません。朝ネクタイを締めて出勤することが、体に染みついているからでしょう。

外出自粛は、しんどいですね。本屋や商店が閉まっているのは、困りました。
夜の意見交換会は、4月から自粛しているので、2か月以上飲みに行っていません。やればできるものです。家では、毎晩のように飲んでいますが、量が行きません。太るかと思ったら、健康生活で体重は少し減りました。キョーコさんの料理のおかげです。
天気の良い日は、夕方に散歩を続けました。家に引きこもっていると、運動不足になりますから。人通りの少ない道を選んで、1時間から1時間半ほど。ゆっくり歩いても4Kmから6Kmくらいは、歩いていることになります。ビールをおいしくするためです。

元通りの生活には、まだまだ戻りませんね。治療薬も予防薬も、まだできていません。一時よりも感染者数は減りましたが、まだ断続的に発生しています。知らないうちに感染して免疫ができていた、とはなりませんかね。
マスクは日常になり、このあと半年や1年は外せそうにありません。柄物の布マスクをしている人が、増えてきたようです。いずれ、オシャレになるでしょう。

社会では、大きな被害をうけた生業と経済、生活が苦しくなった家庭など、広範囲に影響が出ています。まずは、感染に気をつけつつ、生活を取り戻すことが重要です。

「岡本行夫という生き方」

NHKウエッブサイトに「岡本行夫という生き方」という特集が載っています。詳しくは原文を読んでいただくとして。

・・・「とにかく朝から晩までいないんですよ。私たちのボスなんだけど、省内にいないわけ。いろんなところで、いろんな人に会っていた。その中に、東京にいるアメリカの記者など外国の記者がいっぱいいた。もちろん日本の記者もね」
岡本は日本が何をしようとしているのか、国際的にも国内的にも少しでも理解を深めようと、記者たちへの非公式な背景説明を熱心に行っていたと言うのだ・・・
・・・岡本について語るとき、宮家氏が最も力説したのは、岡本が「政策を実行する人=政策マン」だったという点だ。
「実際に官僚を動かし、メディアに理解を深めさせ、政治家に働きかけて政策にしていく。そのためには、発想力と行動力と説得力が必要なんだけど、彼はそうした力を持っていた」
そして、こう締めくくった。
「彼の肩書きは『外交評論家』となっている。でも、彼は評論家ではない。評論なんかする気はないんです。彼は死ぬまで『政策マン』だった。政策を作り、それを自分で実行する。もしくは、実行するための環境を作っていく。『彼は政治的に動く』と言う人もいるが、政策とは、そもそも政治的なもの。岡本さんだからできたんです」・・・

・・・しかしそんな岡本の評価は、“霞が関”の中でも分かれていた。
「話しづらいですが、もう時効だろうからいいでしょう。総理大臣補佐官として、突然、イラク問題の政策決定過程に入ってきた岡本さんでしたから、官僚組織からは異分子のように思われていた部分もある。強烈な人が入ってきて、煙たく思った人もいたと思う」・・・
参考「追悼、岡本行夫さん

釣った魚に餌をあげる2

釣った魚に餌をあげる」の続きです。
「釣った魚に餌をあげない」の反対の名言は、ないのでしょうか。と考えていたら、肝冷斎がよい言葉を見つけてくれました。

「論語」子路第十三
葉公問政。近者説、遠者来。
葉公、政を問う。近き者は説(よろこ)ばしめ、遠き者は来たらしむ。

楚の貴族・葉公というひとが孔先生に「「まつりごと」の本質をお教え願えますか」と問うた。
先生は答えた。「近いところにいる人民に満足させてやること、です。そして、遠くにいる(他国の)人民が(それを聞いて、「すばらしい土地らしい」と言って)移住してくるようにすることです」