カテゴリー別アーカイブ: 歴史

福井仁史氏講演「渋沢栄一とその時代」

元部下の一人、福井仁史・国立公文書館首席研究官が7月22日に、東京商工会議所で「渋沢栄一とその時代—公文書から垣間見る」を講演しました。インターネットで、録画を見ることができます。

公文書館や宮内庁で公表されている文書資料から読み取れる渋沢栄一の人物像と彼の活躍した時代の雰囲気について、彼一流の訥々とした語り口で説明してくれます。よくぞと思うぐらい、次々に関係資料が出てきます。

渋沢栄一について同時代資料が見られるのにあわせて、明治時代の公文書、決裁文書がどのようなものであったかを知ることができて、これは他の渋沢栄一関係の展示や講演では見られないかも知れません。
例えば、明治憲法公布の原本。天皇の御名御璽の後に、大臣が署名します。昔の人は字が上手ですが、そうでない方もおられます。暗殺された大臣の最後の署名も入っています。そして字のうまい下手がいわば永久に残って、公開され、今では公文書館のデジタルアーカイブで、インターネットを通じて全国で見ることができてしまいます。
また、閣議決定書にはサインに当たる花押を書き入れています。伊藤や山県、山本権兵衛や若槻禮次郎・・・次々と近代史の有名人が出てきて、これは、結構面白いです。

また、天皇陛下が東京におられないとき、内閣はどのようにして緊急の決裁を仰ぐのか。ちょっとした書き込みから、電子メールもファックスも無い時代の役人たちの行動が判明します。さらには、書きかけと思われる書類が決裁されて、そのまま残ってしまっているとか・・・。「へえ」と思う歴史のトリビアもあちこちにありますが、なにより生きて働いていた政治家や無名の官僚たちの姿が(失態も含めて)こうやって残っているのだ、と思うと、文書管理の大切さがよくわかります。その時その時に、「日本国が生きていた」証しなんですね。
一見の価値はあります。

『奴隷制廃止の世紀1793-1888』

奴隷制廃止の世紀1793-1888』(2024年、白水社クセジュ文庫)を読みました。新聞の書評欄で紹介されていたので、興味を持ちました。
ヨーロッパの国によって、アフリカの住民が強制的にアメリカ大陸に連れて行かれ、過酷な労働に従事させられた歴史は、習いました。人を人として扱わず、ものとして扱う。キリスト教国が、そんなひどいことをしたのです。アメリカの南北戦争や「アンクルトムの小屋」も知っていますが、その実態は詳しくは勉強していません。それはさておき、この本を読んで奴隷制廃止の経過がわかりました。

18世紀、西欧では啓蒙思想が普及し、この非人道的な扱いに対する批判が高まります。もっとも、植民地での奴隷を使ったプランテーション農業によって利益を上げている現地と西欧の関係者は、その利益を手放すことに抵抗します。
他方で現地では、早い段階から奴隷たちの反乱が起きていて、農園主や支配者たちはそれに手こずります。

フランス革命で、1789年に人権宣言が出されます。奴隷制廃止の議論がありましたが、実現しませんでした。1791年に、フランス領サン・ドマング(現在のハイチ共和国)で奴隷の反乱が起き、鎮圧に失敗した政府は、奴隷制廃止を宣言します。その後、奴隷制復活の動きもありました、失敗します。しかし奴隷制廃止は、他の国や地域には広がりませんでした。ナポレオンも、奴隷制を存続させます。

転機となったのは、イギリスです。それまで黒人奴隷貿易を牛耳っていたイギリスが、1807年に奴隷貿易を禁止します。人権思想の普及、対フランス政策もありますが、新大陸での奴隷制の利益が薄れ(アメリカの独立)、インドに重心を移したことが要因のようです。その後、フランスも方針を転換します。アメリカの南北戦争もあり、最後にブラジルが1888年に奴隷制を廃止し、すべての国と地域で奴隷制がなくなります。

とはいえ、奴隷制が廃止されて、直ちに黒人奴隷が自由人になったわけではありません。支配者層は引き続き彼らを農園にとどめ置いて、労働に従事させようとします。しかし、解放奴隷たちはそれに反抗します。

研究者の収入、アメリカの3分の1

7月2日の日経新聞に「「安い」日本、トップ研究者どう集める 収入差3倍超も」が載っていました。公務員の給料が低くても主に国内での競争ですが、研究者は世界との競争です。文科省や財務省は、どのように考えているのでしょうか。

・・・「この金額は用意できない」。名古屋大学の杉山直学長は唇をかんだ。2024年春、公衆衛生を専門とする米大学の准教授を名大に招こうと交渉を続けたが、現在の給与年20万ドルから下がるのが大きなマイナスになりかなわなかった。

国の成長が足踏みし、国立大学が法人化してからの20年、国立大学の教授らの給料は上がらなかった。東京大学のデータによると、教授の平均給与は22年度に約1191万円(平均55.9歳)と、04年度の約1178万円(同52.6歳)からほぼ変わっていない。
世界との差は開いた。米国大学教授協会の調査によると、米国の大学教授の平均給与は15年の約12万6000ドル(1ドル=160円なら約2000万円)から23年には約15万5000ドル(約2500万円)に増えた。有力大学は4000万円超にもなる。

若手研究者の待遇も開きがある。名古屋大で博士号を取得後、すぐに米国の大学の博士研究員に採用された人の給与は年8万ドルだという。現在の為替相場ならば国内の大学教授の平均を超す。「日本の大学教授は社会的な地位はあるが給与は厳しい職業になった」と杉山学長は苦笑する・・・

清代の知事

山本英史著「清代知識人が語る官僚人生」(2024年、東方書店)を読みました。読みやすく、面白かったです。1630年頃、中国山西省で生まれた黄六鴻という人が残した書物を元に、当時の官僚生活を解説したものです。

彼は、科挙の途中段階まで合格しますが、最後の試験になかなか受からず、知県になる道を選びます。時に40歳を超えていました。最初に赴任したのが、郯城(たんじょう)県です。ウィキペディアで出てくる、この県のようです。郯という国は「春秋左氏伝」に出てくるそうです。二つの県で知県を勤めた後、中央官庁の職にも就きます。引退後、田舎暮らしを選ばず、経験を元に指導書を書きました。その本が、元ネタになっています。

知県は県の知事にあたりますが、当時の県は10~20万人、全国で1200あったそうなので、日本の市くらいと考えるとよいでしょう。
当時の地方行政機構は、大きい方から、省、道、府、県・州となっていました。知県はこの末端の県の長官です。徴税と司法、治安を司ります。治めやすい県とそうでない県がありますが、それ以前に、部下職員が言うことを聞きません。知県が連れて行く安心できる部下のほかに、職員は地元採用でかつ給料が安いのです。彼らは、賄賂など生計を立てます。
知県は正しい政道を目指しますが、それだけでは組織が回りません。かといって、緩めると部下たちはなめてかかります。主人公は、かなり清廉潔白な政治を行いますが、失敗もあります。書かれている事例が具体的で、面白かったです。

国立公文書館特別展「夢みる光源氏」

国立公文書館で特別展「夢みる光源氏―公文書館で平安文学ナナメ読み!」が開かれています。5月12日まで。

公文書館の展示は、動物園とか博物館と違い、書物なので派手さはありません。その分野に興味のある方でないと、つまらないかもしれません。関心のある方には、面白いでしょうね。
1000年前に書かれた小説、しかも王侯や僧侶でなく女性が書いたものが、後の世に伝わったのです。書庫の奥深く眠っていたのではなく、最初は上流階級に、後には庶民にまで読まれます。手で写していたものから、木版印刷、挿絵入りになります。それを江戸幕府が収集し、明治になると内務省が集めます。これも、不思議ですが。

今回の展示は、「夢」を切り口にしています。昔の人は、夢を大切にした、畏れたのですね。夢に出てきた女性が物の怪になり、憑りついて殺すのです。
源氏物語を通読した人は少ないでしょう。「早わかり、源氏物語」のような解説展示もあります。素人向けには、もっと説明があってもよいですね。外国人向けの解説もあると、喜ばれるでしょう。
近くの皇居東御苑の「三の丸尚蔵館」と一緒に、お訪ねください。東京の真ん中で便利です。しかも無料です。