カテゴリー別アーカイブ: 歴史

戦後の戦争研究

8月22日の読売新聞解説欄、吉田裕・元一橋大学教授へのインタビュー「不条理伝える静かな怒り」の続きです。「太平洋戦争の戦没者

・・・戦後の日本社会は軍と戦争を強く忌避します。歴史学界の場合、戦争体験を持つ若い世代は軍事史研究に携わることは戦争に再び加担することになると敬遠した。こうした風潮は戦争の現実から目をそらす傾向も生みました。
東京裁判も影響したのではないか・・・
・・・死刑になった指導者は、広田弘毅元首相を除くと皆、陸軍軍人でした。
東京裁判は米国主導です。ただ天皇の戦争責任は問わず、責任は主に陸軍に負わせることで日米が水面下で協力した側面もありました。
51年調印のサンフランシスコ講和条約は「東京裁判判決を受諾」と言及しただけで、日本の戦争責任を曖昧にしました。東西冷戦の深刻化と前年に勃発した朝鮮戦争を受けて、米国が日本をアジアの同盟国として重視した結果です。

日本が戦争責任を突きつけられるのは80年代、歴史教科書問題や中曽根康弘首相の靖国神社公式参拝を巡って中韓両国が猛反発したことが発端です。
政府は90年代、村山首相談話などで侵略の歴史を巡る反省と謝罪を表明しました。安倍政権も村山談話を継承するとしている。
しかし、「反省と謝罪」が国内で広く合意を得ているとは思えません・・・

太平洋戦争の戦没者

8月22日の読売新聞解説欄、吉田裕・元一橋大学教授へのインタビュー「不条理伝える静かな怒り」から。

・・・アジア太平洋戦争の日本の戦没者は政府の推計で、軍人軍属約230万人、民間人約80万人です。
戦没者を網羅した公文書も死因を巡る公式統計もありません。1945年夏の敗戦時、軍も官も大量の公文書を焼却しました。
戦場の実相が本格的に解明されるのは90年代以降。歴史家らが戦記や部隊史、将兵の回想などを渉猟し、研究を重ねた成果です。

その特徴の第一は餓死の異様な多さです。
私の恩師藤原彰先生は亡くなる2年前、2001年刊行の「餓死した英霊たち」で、軍人軍属の戦没者の61%、約140万人が餓死、あるいは栄養失調に起因する病死、つまり広義の餓死と説きました。歴史家の秦郁彦氏は藤原説を過大としつつ、餓死率を37%と推定。「それにしても、内外の戦史に類を見ない異常な高率」と論じています。

第二は戦没の9割が日本の敗戦が決定的になる1944年以降に集中していること。その夏のマリアナ沖海戦で海軍機動部隊が壊滅し、サイパン島の守備隊が全滅。日本は制海権・制空権を失い、米軍は日本本土のほぼ全域を空爆の射程に捉えます。以後の日本の戦いは絶望的抗戦でした。
第三は海没死の多さ。艦船の沈没で約36万人の軍人軍属が溺死しました。日露戦争の日本軍の戦死者(約9万人)の4倍です。
第四は自殺と「処置」の多さ。過酷な行軍や激戦の末、あるいは飢餓と疫病の流行する退却の末に、自殺と処置が頻発した。処置とは自力で動けなくなった傷病兵を衛生兵らが殺すことです。「生きて虜囚の辱めを受けず」と諭す「戦陣訓」の帰結といえます。
戦場の現実は凄惨の極みでした・・・
この項続く

変貌する国際秩序

8月16日の読売新聞言論欄、大塚隆一・編集委員の「国際秩序 行方を握る経済」が勉強になります。小さな本が必要なくらいな内容を、1ページにまとめてあります。政治学、特に国際政治を学んだ人にはわかる内容ですが、そうでない人には、よい入門になったと思います。
・・・第2次大戦の終結から75年。この間の世界は、総じて言えば、米国が主導する平和と繁栄の時代だった。日本もその恩恵を享受してきた。だが、異質の大国・中国の台頭や新たな課題の出現で国際秩序は揺らいでいる。今後はどうなるのか。戦後100年までを見すえて考えてみた・・・

・・・まず図をご覧になってほしい。
戦後75年間の秩序の変遷を時代と分野ごとに切り分けたものだ。
参考にしたのは、国際政治学者の高坂正堯氏(1934~96年)が唱えた「三つの体系」という考え方である。今も古さを感じさせない1966年の著書「国際政治」(中公新書)からポイントになる部分を引用してみる。
「各国家は力の体系であり、利益の体系であり、そして価値の体系である。したがって、国家間の関係はこの三つのレベルの関係がからみあった複雑な関係である」
私なりに要約すれば、「力の体系」は「軍事」、「利益の体系」は「経済」、「価値の体系」は「正義」に対応する。ここで言う「正義」は、国民が共有する理念や価値観、善悪の考え方を指す。
そして国家は、安全を守る「軍事」、生活を支える「経済」、社会のあるべき姿を示す「正義」で成り立つ。国家間の競争では「軍事」「経済」「正義」という「三つの力」が複雑に絡み合う。
こうした視点で世界の動きや大国の攻防を見直すと、どんな構図が浮かび上がってくるだろうか・・・

・・・戦後秩序の歩みを図にすると、改めて気づくことが二つある。
第一に、現代の世界の様々な仕組みやルール、理念や原則は、その多くが1945年に生まれた。つまり、私たちは今も「45年体制」の下で生きている。
第二に、「45年体制」のほとんどは米国の主導で作られた。他を圧倒する国力があったからだ・・・

・・・21世紀に入ると様相が変わる。
重要なのは三つの動きだ。
第一に、米国が次第に指導力を発揮しなくなった。「45年体制」の生みの親で、「軍事」「経済」「正義」すべての秩序の担い手でもあったのに内向きになった。さらに自国第一の姿勢を強めた。
第二に、台頭する中国が挑戦的になった。自由や人権、法の支配などの「正義」の秩序に公然と歯向かうケースが増えた。象徴的なのは南シナ海や香港の状況だ。
「経済」では「一帯一路」構想などで影響力を拡大させ、米国のドル覇権も崩そうとしている。
一方、安保理における特権や自由貿易の原則など、都合がよい秩序は守ろうとしている。
第三として、新しい秩序づくりが必要なグローバルな問題が出てきた。最大の焦点は、米中の覇権争いの主戦場にもなりつつあるデジタル革命への対応だろう。
国際秩序との関連で重要なのはデジタル革命が「三つの力」すべてに深く関わっている点だ・・・

原文をお読みください。

高等官食堂

管理職、中間管理職、職員の区分、4」「組織構成員の分類その3。階級の区別」の続きにもなります。
戦前の国家公務員は、階級の区別がはっきりしていました。その象徴が、高等官です。その身分の差がどのようなものかは、ウィキペディアをご覧ください。軍隊では、階級の違いによって、処遇と任務が大きく違うことは皆さんご存じでしょう。また、諸外国の会社でも。しかし、戦前日本では、官庁も大企業でも、そのような身分の差があったのです。

私も若い時に、大先輩から戦前の話を聞きました。「食堂も違ったとか」。私が入った頃の自治省は、旧内務省の建物を使っていました。ウィキペディアに写真が載っています。現在その場所には、合同庁舎2号館が建っています。
それがわかる場所があります。旧山形県庁「山形県郷土館 文翔館」です。大正5年に造られた県庁が、創建当時に復元されています。そこに、高等官食堂があります。3階の知事室の近くです。戦前の県庁は、国(内務省)の出先という性格も持っていました。
この県庁建物の配置図を見ると、組織機構が簡素だったことがわかります。
「昔は良かった」というのではなく、「こんなこともありました」と、紹介しておきます。

広井良典教授。昭和、平成、令和。私たちの生き方

8月9日の読売新聞、広井良典・京大こころの未来研究センター教授の「持続可能な社会に移れるか「地方分散」分岐点は5年後」から。
・・・成長から成熟へ、経済効率一辺倒から環境や福祉にも配慮した社会へ――。約20年前、「定常型社会」という言葉で、いち早く社会の変革の必要性を指摘したのが広井良典・京大こころの未来研究センター教授だ。最近はAI(人工知能)を活用した研究で、「都市集中型」ではなく「地方分散型」の重要性を提唱し、注目を集めている。東京一極集中の是正と地方分散型への転換は、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、7月に出された政府の「骨太の方針」(経済財政運営と改革の基本方針2020)でも実現が必要とされたテーマだ。人口減少、貧困・格差の拡大、膨らむ財政赤字、環境破壊など、持続可能性に黄信号が灯ともっているように見える日本。その針路や岐路について広井教授に聞いた・・・

・・・時代認識の話から始めたいのですが、昭和は「集団で1本の道を登る時代」だったと思います。人口も経済も拡大を続け、経済成長という明確な目標に向かって、みんなが一本道を登っていた。それはそれでうまくいきました。
平成は「先送りの時代」です。平成半ば過ぎから人口が減り、経済も低成長となったのに、引き続き一本道を登ろうとした。経済も大事だが環境や福祉に配慮した成熟社会に舵かじを切るべきだったのに、そうはなりませんでした。昭和の成功体験が強烈だったからです。
令和はどうか。持続可能で豊かな成熟社会に移れるかどうかの分岐点が今です。「24時間頑張れ」と言われて競って山を登り、山頂に立ったら視界は360度開け、道は無数にあることがわかった。今後は各人が多様な形で個性や創造性を発揮する時代といえます。

ここでお断りしておきたいのは、私は拡大・成長を否定しているわけではないことです。ただ、ひたすら量的拡大を目指し、成長を目的化するような経済のあり方には疑問を感じます。
経済成長さえすれば財政赤字があっても大丈夫、との声も聞きますが、人口が減り、地球資源の有限性が顕在化する中で、ノルマ主義的な拡大路線は各人の首を絞めるだけです。競争で無理をした企業は倒産や不祥事を起こし、働いている人は過労死やうつ病を患う。仕事と子育ての両立もままならない。結果的に少子化が進み、人口が減り、成長に必要な需要が縮小して、経済にも悪影響が出る。「経世済民」といわれるように、経済には国を治め、人民を救うという相互扶助的な意味があることを忘れてはならないと思います。
もう一つお断りしておきたいのは、拡大・成長から成熟・定常へと言うと、何か進歩の止まった退屈な社会と思われがちですが、そうではないということです・・・
・・・今度こそ、令和が始まった今こそ、成熟社会の実現に向けたデザインを描かなければと思います・・・
原文をお読みください。