カテゴリー別アーカイブ: 歴史

「日本思想史」

末木文美士著『日本思想史』(2020年、岩波新書)を読みました。
出版社の紹介には、「古代から現代にいたるまで、日本人はそれぞれの課題に真剣に取り組み、生き方を模索してきた。その軌跡と厖大な集積が日本の思想史をかたちづくっているのだ。〈王権〉と〈神仏〉を二極とする構造と大きな流れとをつかみ、日本思想史の見取り図を大胆に描き出す」とあります。確かに、新書という形で簡潔に、古代から現代までを整理してあります。

その点では、よかったです。先生が冒頭に述べられるように、思想や哲学というと、西欧の思想や哲学の紹介でした。本屋に並んでいる哲学や思想の本は、西欧のものか中国古典で、日本のものと言えばせいぜい武士道です。
それに対し、日本の思想を取り上げています。1冊にまとめるのは、難しいことです。

ところで、さらに私が知りたいのは、「日本人」の思想です。
何を言いたいかというと、知識人の最先端の思想でなく、国民・大衆の思想を知りたいのです。
哲学は知識人が人間の在り方について悩むことだとして、ひとまずおいて。思想といった場合は、さまざまな担い手がいます。ところが、思想史で取り上げられるのは、ほとんどが知識人・知識階級の書いたものです。日本では、宗教としては仏教、儒教、神道が、そして政治思想として支配者とその取り巻きの考え方が対象となります。
それに対し、庶民、大衆が何を考えていたかを知りたいのです。
この項続く

近代化による生きづらさ

5月10日の読売新聞に、松沢裕作・慶應大学教授の「生きづらさの正体 社会の変化 現れる抑圧」が載っていました。

・・・江戸時代の身分制度と言えば「士農工商」という階層的な秩序を思い浮かべる人が多いと思いますが、私は少し違った形で捉えています。農業を営む「百姓」は「村」という集団に属し、都市部に住む「町人」は「町」に所属するなど、職業に応じた身分集団を作っていました。身分に応じた仕事をしていれば、生存保障が与えられる構造です。
いわば単純な上下関係というより、一人ひとりが村とか町とかの「袋」に分けて入れられているイメージです。その表れとして、領主への年貢は、現在の市町村より小さな規模の集まりだった村単位で納入されていました。「村請制」と言われる仕組みです。
明治維新を機に、この秩序が大きく変わります。身分制はなくなり、「袋」は破られました。1873年に始まった地租改正によって、村単位で納めていた年貢は、個人に納入責任がある税金へと姿を変えました・・・

・・・江戸後期から明治時代前期に現れた抑圧、言い換えれば「生きづらさ」について、私は「通俗道徳」という歴史学の用語を使って説明しています。人が貧困に陥るのは、その人の努力が足りないから、というような考え方です・・・
・・・江戸時代まで、社会は「通俗道徳のわな」にはまりきってはいませんでした。社会の基礎が個人ではなく、集団で成り立っていたからです。村請制では、村単位で納めていた年貢は農民が連帯責任を負ったため、足りない分を豊かな人が肩代わりして助け合いました。
しかし、明治になって多くの人が勤勉や倹約を是とする通俗道徳を信じたことで、弱者が直面する貧困などの問題は全て当人のせいにされました。勤勉に働いていても病気になることもあれば、いくら倹約しても貯蓄するほどの収入が得られないこともあったにもかかわらずです。通俗道徳を守れば必ず成功するわけではありませんが、守っていた人の中に成功者も多く、この規範は強い支持を得たのです・・・

連載「公共を創る」で、近代化による自立と孤独を書いているところなので、参考にさせてもらいました。
先生の『生きづらい明治社会―不安と競争の時代』(2018年、岩波ジュニア新書) を本棚から引っ張り出して、読みました。新聞での主張が、詳しく書かれていました。ジュニア新書とは思えない、内容のある著作です。

「感染症と文明」

山本太郎著『感染症と文明ー共生への道』(2011年、岩波新書)と、村上陽一郎著『ペスト大流行ーヨーロッパ中世の崩壊』(1983年、岩波新書)を読みました。
コロナウィルス流行で、関連する書物がたくさん紹介されています。この2冊を選んだのは、村上先生の本はかつて読んで、内容を忘れたので。山本先生の本は、わかりやすそうだからです。

私の関心は、医学的なことより、社会への影響です。その点で、2冊とも概説書、入門書としてはよかったです。
人類の生活の変化がウイルスとの共存を変化させ、疫病の流行をもたらすこと。それが、社会に大きな影響を与えること。戦争では、闘いで死ぬより感染症で死ぬ人の方が多かったことなど。大きな枠組みで、病原体と人類との関係を理解することができます。
ペストの流行がキリスト教への信頼を低下させ、中世が終わりに入ったこと。新大陸になかった感染症を持ち込んだことで、戦う前にインカ文明やアステカ文明が崩壊したこと。新大陸の住民がいなくなったのでアフリカ大陸から奴隷を持ち込んだこと・・・。歴史を変えたことがよくわかります。

しかし、まだわからないことも多いのです。なぜ流行した感染症が消えてしまったのかとか。

仏教の変遷2

「仏教の変遷」の続きです。

なぜ、民衆はその宗教を信じたのか。その分析がないと、各宗教の社会における意義づけにはなりません。近代になって宗教が衰える以前においてもです、例えば、インドで仏教がはやり、そして廃れたこと。日本でも各宗派がなぜ起こり、また衰退したのか。教義を見ているだけでは、わかりません。よい書物があれば、お教えください。
失礼な言い方ですが、民衆に売れるように、商品である教義を変えていった(少しずつ変えた新製品を出した)と理解するのが、わかりやすいようです。

私たちの経験でも、教義まで知っている人は少なく、葬式と法事の際に行われる儀式と読経と説教くらいが仏教との接点です。昔は、おばあさんが朝夕仏壇に手を合わせていましたが。他には、古寺を訪れ古仏を鑑賞するとか。庶民側の宗教意識と、本に書かれている内容とには、大きな隔たりがあります。

教団についても、組織論としての分析を知りたいです。教団として持続するためには、職員(聖職者)の勧誘と生計維持、組織としての経営(お布施などの収入、支出)、そのための顧客の勧誘(信者の獲得)などが必要です。
信仰だけでは、僧侶や牧師さんも生きていけず、食べていく必要があります。禅宗や修道院は自活しますが、ほとんどの宗教は信者からの寄付で成り立っています。その経済的、経営的分析も知りたいです。

宗教学と言われる学問も、私の問には答えてくれないようです。例えば、岩波書店「いま宗教に向きあうシリーズ」も、さまざまな角度から現在の宗教を論じているのですが、私の知りたいことは書かれていません。関係者からは、不信心者とお叱りを受けそうですが。

仏教の変遷

佐々木閑著「集中講義 大乗仏教  こうしてブッダの教えは変容した」(2017年、NHK出版)を読みました。これは、別冊NHK100分de名著シリーズの一冊です。

紹介に、次のように書かれています。
・・・同じ仏教なのに、どうして教えが違うのですか?
自己鍛錬を目的に興ったはずの「釈迦の仏教」は、いつ・どこで・なぜ・どのようにして、衆生救済を目的とする「大乗仏教」へと変わっていったのか・・・

釈迦が説いた仏教と大乗仏教(日本で信仰された仏教)とが全く違ったものであることが、よくわかりました。そして、なぜ大乗仏教に転換し、それが民衆に受け入れられたかも。というか、民衆に受け入れられるために、大乗仏教に転化したのでしょう。その中でも、奈良仏教から天台宗、真言宗、浄土宗、禅宗、日蓮宗と派生していったことも、よくわかります。

さらに知りたいことがあります。
仏教そして宗教に、関心を持っていました。人類の歴史で、長い期間そして多くの人をとらえてきた宗教。それを知りたかったのです。いくつか本をかじりましたが、よくわかりません。不勉強もあるのですが。
私の不満は、宗教について書かれた本の多くが、教団・聖職者側から書かれていることです。教義、教祖の教え、実践すべきことが書かれていますが、それを信じた民衆の側からの記述ではないのです。個人の側から書かれているとすると、ある人が宗教心に目覚める、悟りを開く話です。
この項続く