「歴史」カテゴリーアーカイブ

荻外荘

先日の休日、孫の相手をしない日に、思い立って、荻外荘に行ってきました。私の散歩道なのですが、ここのところ孫と公園に行くので、久しぶりでした。

荻外荘は、近衛文麿が首相の時に要人と面談をし、最後には自決した邸宅です。大学時代のゼミで、西園寺公望を研究したことがあり、関心を持っていました。
杉並区が、移築されていた半分を買い戻し、かつての姿に復元しました。ほとんど新築に近い作業です。かなりの費用と労力を使ったようです。詳しくは、ビデオで見てください。
家からは、一段下に庭が見え、さらにその向こうに、田圃と善福寺川が見えたようです。庭には大きな池がありましたが、地下鉄丸ノ内線の工事の際に出た残土で、埋めてしまったとのこと。そうでしょうね、あんな広く芝生広場にしていたとは思えません。

自決した書斎も見ることができます。戦後に住んだ吉田茂は、その部屋で寝たとのこと。
食堂で、ほかにもさまざまなビデオを、見ることができます。これは必見です。荻窪駅から歩いて行けます。近くの大田黒公園もよいですよ。
と書いたら、6月17日の朝日新聞東京版に「荻窪 三庭園に息づく歴史と文化」で紹介されていました。

福井ひとし氏の公文書徘徊3

『アジア時報』6月号に、福井ひとし氏の「連載 一片の冰心、玉壺にありや?―公文書界隈を徘徊する」の第3回「官僚たちの「メルヘン」」が載りました。ウェッブで読むことができます。
今回は、城山三郎著『官僚たちの夏』(1975年、新潮社)の主人公、風越信吾のモデルとされる、佐橋滋・通産事務次官を、残された公文書からたどってみるという企画です。私もこの小説を読んで、官僚に憧れました。

へえと思うことが、いくつも書かれています。経済産業省が、旧会計検査院の建物に間借りしていた、経産省の場所には防衛庁があった。閣議に、課長が出席したことがあるらしい。通産省の決裁文書は、はんこや署名が下から上へ職位が上がっていくのではなく、上から下へ下がっていったこと。

佐橋さんの名前を高めた、小説にも取り上げられた(と記憶しています)、特定産業振興臨時措置法(特振法)の決裁文書も残っています。ところが、閣議決定文書の法案に紙が貼られて、修正されているのです。その経緯を、この記事では推測しています。ちなみに、この法案は成立せず、風越(佐橋)さんは「破れた」のです。小説は通産官僚の活躍ぶりを書いているのですが、結論は負けでした。
興味ある方は、お読みください。「福井ひとし氏の公文書徘徊2

『仏教は、いかにして多様化したか』

佐々木閑著『仏教は、いかにして多様化したか 部派仏教の成立』(2025年、NHK出版)が、勉強になりました。

仏教には大乗仏教と小乗仏教があると習いました。現在では、大乗仏教と上座説仏教と言うようです。ところが日本にはたくさんの宗派があり、中国から輸入した経典も膨大な種類があります。釈迦がつくった仏教、釈迦が死んで200年後には、20もの部派に分かれたそうです。それが中国に輸入され、日本はそれをまた輸入します。

多くの部派に分かれたのは、釈迦の教えを、弟子たちが自らの考えや、自分たちに都合の良いように解釈し、改変したからです。釈迦は自ら苦行して悟りの境地に達するとしましたが、それを守った集団と、一般人はそんなことはできないので祈るだけで釈迦の近くに行けると変えた集団がでます。前者と後者では、全く違いますよね。でも、信者を獲得するには、後者の方が都合が良いのです。
後者はその程度によって、さらに分裂します。経典がたくさんあるのは、彼らが自分の説を「仏教だ」と主張したからです。これは、聖書やクルアーンでは考えられないことでしょう。

たくさんの仏さんがいることは、多神教に近いのかもしれません。もっとも、キリスト教でもいろんな天使がいますが。
日本では、鎌倉以降の仏教がさらに独自の解釈を立てて、分裂します。そして、妻帯も認めます。お釈迦さんが見たら、びっくりするでしょう。各宗教集団は、信者を獲得し、勢力を広げ、それぞれ経営集団になります。江戸時代には、役所に組み込まれ、地位が安泰します。

私は、なぜこんなに経典が多いのか、宗派が多いのか、疑問に思っていました。この本を読んで、明確になりました。お勧めです。
もう一つ、宗教学者あるいは経営学者に期待したいのですが。世界の宗教を、経営組織として分析してもらえませんかね。人の採用、収入の確保、支出の内容、資産の内容などです。集団として持続するためには、避けて通れない問題です。教義も重要ですが、カネと人がどのように集められ、使われているのか知りたいです。

『オスマン帝国全史』

宮下遼著『オスマン帝国全史 「崇高なる国家」の物語 1299-1922』(2025年、講談社現代新書) を読みました。新書版で約500ページ、読み終えるのに2週間ほどかかりました。
宣伝には、次のように書かれています。
「文明の発祥地であり東西南北の人とモノが目まぐるしく行きかう西ユーラシアにあって、しかもイスラーム教と正教、ユダヤ教、カトリック教を奉ずる異教徒同士が混住する東地中海と中東の只中に産声をあげ、従って富とともに常なる外寇と内訌に晒(さら)されるはずの地域に成立しながら、かほどの遐齢(かれい)を見た国家は世に類を見ない。
本書は、現代から見れば、到底一つの政体が統合できるとは思われないこの世界を、実際に統治してみせたオスマン帝国の歴史を、最新の研究成果に拠りつつ辿る通史として編まれた」

副題にあるように、オスマン帝国(帝国の前も含めて)は約600年も続いたのです。日本で言うと、鎌倉時代から明治時代まで。中国では、元から中華民国まで。とんでもない長さです。ビザンツ帝国を滅ぼし、イスタンブールを首都とします。広いです。最盛期には、現在のクリミア半島、ウクライナ、ルーマニア、ハンガリー、バルカン半島、ギリシャ、北アフリカ、中近東を支配します。黒海も東地中海も、紅海、ペルシャ湾まで。

しかし何と言ってもこの帝国のすごさは、多様な民族や多様な宗教(しかも3大宗教の聖地)を抱えていながら、長期に安定したことです。現在、この地域ではいくつも紛争が続いていることを考えると、その包容力・統治の仕組みは驚異です。異教徒であっても、迫害しない。スペインがレコンキスタでイスラムやユダヤ教徒を迫害しましたが、それを受け入れるのです。キリスト教徒の子どもを奴隷として育て行政の幹部とすること、妻をめとらず(外戚の容喙を防ぐ)、皇太子以外の王子を殺すなどなど、政権中枢安定の方策が採られます。

領土を拡大する時期の話も面白いのですが、教訓になって興味深いのは衰退期です。スルタンも大宰相も危機感を持って改革を進めるのですが、守旧派の抵抗に遭って頓挫します(第六章 改革の世紀、第七章 専制と革命、第八章 帝国の終焉)。どの組織でも同じですね。
1908年に革命が起き、国会議長がスルタンに拝謁して、次のように奏上します。「これ以後、陛下は我らの主上として、日本の天皇陛下が日本国になさるような奉仕をあなたさまの臣民になさることとなるのです」。そう聞かされたスルタンは心中で、「日本は一つの宗教と民族によって国民の紐帯が保障された偉大な社会ではないか。クルド人やアルメニア人、ギリシャ人やトルコ人、アラブ人やブルガリア人を、いったいどのようにまとめあげればよいというのか?」と反論したと、回想録に書いてあるそうです。193ページ。

まだまだ興味深いことが書かれていますが、それは読んでみてください。私たちの学んだ世界史が西洋中心だったことに、改めて気づかされます。

ヘボンとヘップバーン

日経新聞日曜連載、今野真二さんの「日本語日記」、5月4日は「2人のHepburn」でした。二人が同じ名字だとは、知りませんでした。

・・・パスポートは旅券事務所に申請して交付されます。その時に「ヘボン式ローマ字表記」を使うことになっています。この「ヘボン」は幕末に日本に来て、横浜で医療活動も行っていた、アメリカ長老派教会の医療伝道宣教師、James Curtis Hepburn(ジェームス・カーティス・ヘボン)のことです・・・
・・・Hepburnを「ヘボン」と発音した人がいたのでしょうか。ヘボン自身はこの「ヘボン」を認めていたようで、『和英語林集成』第3版の扉には「米国 平文先生著」と印刷されています。

さて、きょう、5月4日は、「ローマの休日」や「昼下がりの情事」「ティファニーで朝食を」で知られているオードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)の誕生日です。
ローマ字の綴りで知られるヘボン、「ローマの休日」で知られるオードリー・ヘップバーン、「ローマ」つながりと言っていいのかいけないのか、ちょっと悩みます・・・