カテゴリーアーカイブ:生き様

北日本新聞に載りました。「被災地支え続けた岡本全勝さん」

2021年3月5日   岡本全勝

3月5日の北日本新聞(富山県地方紙)に、1面を使って、「被災地支え続けた岡本全勝さん」が載りました。共同通信の取材による配信記事です。3回分とのことでしたが、北日本新聞は一挙に載せてくださったようです。
3回それぞれの見出しは、「まるで戦場や」天を仰ぐ、「できない」絶対言わない、「しょい続けていかな」です。

富山県には、平成6年から10年まで4年間、総務部長として勤務しました。当時お世話になった方から、「見たよ」との連絡がありました。ありがたいことです。

2月が終わりました

2021年2月28日   岡本全勝

28日で、2月が終わりました。早かったですね。
私は、東日本大震災から10年ということもあり、いろんな出番がありました。
2日は川崎市役所での管理職研修、8日は農政ジャーナリストの会での講演、19日はNHKクローズアップ現代の収録、23日は官民連携ゼミへの登壇、25日は世界銀行のビデオ収録。それぞれ資料作成や事実確認などに、何人もの方に協力してもらって、乗り切っています。何人かの人から質問があったので、追記します。クローズアップ現代の収録は、2時間かかりました。
新聞社の取材もあり、順次記事になっています。

連載「公共を創る」は、3月掲載の3回分を、右筆の協力も得て提出できました。今月は紙面の都合で時間に余裕があると思っていたのですが、そうはなりませんでした。
5月に登壇予定の概要原稿の提出を忘れていて、主催者から「締め切りは今日でしたよ」と督促される失態も、演じてしまいました。反省。いつもは、余裕を持って提出するのですが。引き受けたのがだいぶ前のことで、忘れていました。そのようなときは、「1週間前になったら督促してください」とお願いするのですが、今回はそれも忘れていました。
3月にも、取材や講演の予定がいくつか入っています。お誘いがあるのは、ありがたいことです。

今月は、夜の意見交換会が、一度もありませんでした。元気が出ません。会社への出社も制限され、これまたしゃきっとしません。新型コロナウイルスは、困ったものです。

ボルサリーノ

2021年2月24日   岡本全勝

2月23日の読売新聞「定番物語」は、ボルサリーノでした。

・・・大人が憧れる帽子ブランドと言えば「ボルサリーノ」の名前があがるだろう。
創業は1857年。フランスなどで帽子作りを学んだジュゼッペ・ボルサリーノが、出身地イタリア・ピエモンテ州のアレッサンドリアで小さな工房を構えたことから始まった。
定番商品の「Q.S.アネッロ ラザート」にも受け継がれている特徴的なフォルムが確立されたのは19世紀末とされる。当時は頭頂部に「センタークリース」というへこみのある中折れ帽が定着していたが、ボルサリーノは前面の左右に「フロントピンチ」と呼ばれるくぼみを設け話題となった・・・

・・・「カサブランカ」のハンフリー・ボガート、「勝手にしやがれ」のジャン・ポール・ベルモンドといった名だたる俳優が劇中で着用。ベルモンドとアラン・ドロンが共演した映画では、ブランド名「ボルサリーノ」が題名に使われるに至った・・・

私が愛用しているのも、このボルサリーノです。

2月19日福島民友インタビュー「与党復興提言、推進力に」

2021年2月19日   岡本全勝

2月18日「政府の力が試された」に続き、19日の福島民友新聞に、インタビューの続き「与党提言、推進力に」が載りました。記事は1面と2面に載っています。ウエッブサイトで読むことができます。

記事を読むと、すべて私一人がやったように読めますが、実際には多くの関係者の助言、理解、協力と「黙認」があったのです。そして、その時々に「必要だ」と考えて、それまでにない新しい施策を作りました。それは、私が考えたのではなく、職員や関係者です。私一人で、あれだけのことを実現できません。
私がしたのは、各種施策の後押しと、それを全体像にまとめること、与党や官邸、関係自治体の了解を取ることでした。
良く記事にまとめてくれた菅野記者に感謝するとともに、この点は注記しておきます。

読者から、「記事には「俺」とありますが、全勝さんが自分のことを指すときは「わし」と言いますよね」との指摘がありました。「わたしは」と言うように心がけているのですが、気を許すと「わし」と言っているようです。福島の人はよく「俺」と表現するので、私もつられたのでしょう。
かつての同僚から、次のような反応もありました。「一人称に「俺」が多く使われていたのには違和感がありました。「僕」「わし」を普通使われていたように記憶しています。しかたのないことですが、関西弁が中途半端でしたね(笑)」。

なお、18日の記事について、訂正が紙面の下についています。私が官邸に行くように指示を受けたのは3月17日でなく18日、官邸に行き支援本部で活動を始めたのは18日でなく19日です。