冬至が過ぎ、クリスマスイブです。東京は天気は良かったですが、寒かったです。雪が多いところもあるようで、被害が出ないことを祈ります。
運動不足解消に、近くの川縁を散歩しました。イチョウ、サクラ、そしてモミジも、ほぼすべて葉を落としました。一方、ウメなどは、花芽を膨らませつつあります。近くのケーキ屋さんは、クリスマスケーキを求める人で、賑わっていました。
年末恒例の苦しみ、年賀状書きは、少しずつ進んでいます。でも、相手の顔を思い出したりして、はかどらず。集中力が続かず、読みかけの本に手を出したり、散歩に行ったり。本屋に寄っては、たぶん読まないであろう本を買ってみたり。なかなか、進みませんねえ。
カテゴリーアーカイブ:生き様
粗大ゴミの処分
先日、粗大ゴミを処分しました。まず、パソコンです。6月にパソコンを入れ替えたのですが、古いパソコンを捨てずに置いてありました。また、娘が置いていったパソコンも、故障したので捨てることにしました。さらに、使っていない携帯パソコンも。
パソコンとディスプレイは、ご承知のように、自主回収・リサイクルが義務づけられたので、ゴミとして出すことができません。新聞に入っていたチラシの業者に、引き取ってもらいました。1個千円なので、合計5千円。インターネットで調べたら、無料回収してくれる業者もあるのですね。
乗らなくなった自転車(2台あるうちの1台)、プリンター、ビデオデッキは、区の粗大ゴミ回収に出しました。自転車は600円、プリンターとビデオデッキは、それぞれ300円でした。すっきりしました。
ほしいものは金を払って買ってくるのに、要らなくなったモノを捨てるのに金をかけるのは、なかなか気が進みません。動脈産業と静脈産業ともに、重要なのですが。細田衛士著『グッズとバッズの経済学』(第2版、2012年、東洋経済新報社)が、良い教科書です。
思い出の本、その2。岡先生「政治」
「思い出の本、原書講読」の続きです。
岡義達先生に、岩波新書『政治』(1971年)があります。私は、この本が岩波新書の中で最も内容の濃い(難解な)新書の一つだと思っています。残念ながら、絶版になっています。
大学3年生の時に読んで、1回では歯が立ちませんでした。新書にこんな難しい本があるのかと、驚きました。抽象度が高く、歴史や背景を知っていないと、意味がわからないのです。「精米」の度合いが高い、無駄のない研ぎ澄まされた文章も、初心者には取っつきにくかったです。何度か読み返し、1年がかりで、理解できるようになりました。私のものの見方を作ってくれた本の一つです。
具体事例から抽象化をして法則を見いだすのが、学問です。その際の「切り口」と「切れ味の良さ」が、勝負になります。もっとも、抽象化が過ぎると、「何でもあり」になってしまいます。そのさじ加減が、難しいのです。
苅部直東大教授の政治学の入門書『ヒューマニティーズ 政治学』(2012年、岩波書店)の読書案内の最後に、次のように書かれています。
・・そして最後に、ある意味で大人向け、もしくはプロ向けの、「政治」に関する本を二冊。岡義達『政治』(岩波新書、1971年)と佐々木毅『政治の精神』(岩波新書、2009年)。どちらも、新書版とは思えないほどに読み口の重い本であるが、それは決して抽象的で難解という意味ではない。じっくり読み解いていけば、「政治」という営みがまとう、意味の分厚い塊がしだいに溶け出してくるように感じられるはずである・・
穏やかな冬の日
東京は、寒いですが、穏やかな週末でした。日本海側では、大雪のようです。
先日ほぼ書き上げた原稿に、関係者からいくつも意見をもらったので、加筆をしました。独りよがりで間違っていた部分や、私が忘れていた視点、さらには私の意図とは違って伝わる(文章表現がまずい)か所など、結構手間取りました。分量が限られているので、指摘を加えるためには、どこかを削る必要があります。いったん完成した文章に手を入れるのは、労力が必要です。それやこれやで、年賀状はあまり進まず。反省。
思い出の本、原書講読
大学3年生の時(1975年)に、政治学の岡義達先生のゼミに入れてもらいました。春学期は英語の本を読んで、分担して発表し、秋学期はそれぞれ論文(というほどでもないのでレポート)を書いて発表しました。
原書は、Enid Welsford著『The Fool: His Social and Literary History』(1935年、London)、道化の歴史について書かれたものです。先生からコピーを渡され、300ページを越える英文を、辞書を片手に格闘しました。毎週月曜日に、要約を(日本語で)原稿用紙に書いて提出し、翌日のゼミで先生の朱が入って返ってきます。毎週土曜と日曜は、半泣きになりながら徹夜状態でした。
1935年のケンブリッジ大学の英語は、内容が古今東西の道化の歴史でもあり、フランス語とラテン語がやたらと出てきます。漢文がふんだんに引用される日本の古い本を想像してください。フランス語は第2外国語だったので、まだ何となくわかります。ラテン語は仕方がないので、羅和辞典を買って、前後の文章から類推しました。
20歳の時の思い出です。そのときに使ったコピーの本は、粗末な紙に印刷されたものですが、捨てるに忍びなく、まだ持っています。
1979年には、内藤健二さんの翻訳が、晶文社から出版されました。著者のウエルズフォードさんが、女性だということを、そこで知りました。
この夏に、ふと思い立って、アマゾン(イギリス)で検索してみたら、古本がいくつか出ていました。1980年代に増し刷りされたものでも、結構高い値段がついています。その中に、「書き込みがあるが、それほど高くない」ものがありました。注文したら、1週間ほどで届きました。
便利なものですね。ロンドンで古本屋を探し回って見つけるといったことは、しなかったでしょう。それが、日本にいて、インターネットで楽々できるのです。支払いもクレジットカードですし。
届いた本は、さすがに古色蒼然としています。1935年の初版本なので、80年近く前の本です。表紙裏に、インクで署名があります。なんとそれが著者の署名で、「Feb.6 1956」と添えてあります。縁あって、東京まで来たのです。
暇になったらこつこつと読んでみようかと、本棚に飾ってあります。いつのことやら。「思い出の本、その2。岡先生「政治」」に続く。