カテゴリー別アーカイブ: 知的生産の技術

生き様-知的生産の技術

鎌田浩毅・京大教授。新著と最終講義

鎌田浩毅・京大教授が新著『首都直下地震と南海トラフ』(2021年、エムディーエヌコーポレーション)を出版されました。
2011年の東日本大震災以来、日本列島は大地変動の時代に入ったようです。もっとも、地球の方はそんな短い時間では動いていませんが。首都直下地震や南海トラフ地震はかなりの確率で起きることが予想されています。
本書は、「地球科学を学んでこなかった人にも最後まで読めるように、徹底的にわかりやすく書いた」とあります。室井滋さんとの対談もあり、読みやすいです。

鎌田先生はこの3月で京都大学を定年退職されます。「科学の伝道師の総決算」と銘打たれています。
3月10日の最終講義を、オンラインで見ることができます。

しんにょう

今年も、年賀状書きにあえいでいます。皆さんは、もうお済みですか。
1枚1枚は大した作業ではないのですが、枚数が多くなると、根性が続きません。

また、子どもの時に習字を習わなかったので、きれいな字が書けません。これではいけないと、就職してから少しペン習字をやりました。教えてもらうと、きれいに書くコツがわかります。とはいえ、まっすぐな線がまっすぐに書けず、字はバランスよく書けません。画数の少ない文字が、難しいですね。

特にうまく書けないのが、しんにょうです。「進」などの、左側から下にかけてです。
インターネットで「ペン習字 しんにょう」と調べたら、上手な書き方が出ていました。多くの初心者にとって、難しいのだそうです。なるほど、こう書くのか。

読書が作る脳

メアリアン・ウルフ著『プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?』(邦訳2008年、インターシフト )が勉強になりました。プルーストとイカとは、何のことかわかりませんが。読書が、脳を作り替えるという話です。

人類は、見ることや話すことについては、かなり早い段階でできるようになりました。しかし、字を書き、読んで、伝えることができるようになったのは、そんなに昔のことではありません。たかだか6千年程度です。文字を書くことと読むことの遺伝子は、持っていないのです。

では、どうして文字を読むことができるようになったのか。人類は、脳の持っている機能をつなぎ合わせて、字を書き読むことができるようになったと、著者は説明します。言われてみると、なるほどです。読字がどのように人間の脳を変えたのか、古代からの人類の歴史と、子どもの発達という、2種類の時間で説明します。
また、アルファベットのような表音文字と、漢字のようなに表意文字が、脳の別の場所で理解されること、ある種の障害を持つと、脳は別の場所で機能を代替することなどが説明されます。
読字障害者が、知恵の発達が遅れているのではなく、読字機能の脳の発達が他の人たちと異なっているのだと説明します。ダ・ヴィンチ、アインシュタイン、エジソンも、読字障害者だったそうです。

日本の漢字ひらがな交じりの文章を理解する脳の場所は、独特のようです。かつて読んだ、角田 忠信 著『日本人の脳―脳の働きと東西の文化』(1978年、大修館書店)を思い出しました。日本人は、欧米人(欧米語)と違い、脳の別の場所で日本語を理解する。そしてそれは、虫の音と同じ場所だというのでした。その後、この説はどうなったのでしょうか。

文字を読むときに脳のどの場所が活性化するか(どの場所で読んでいるか)はわかるのですが、どのような仕組みで理解するかはわからないようです。脳の機能については、まだまだわからないことばかりだということも、わかりました。参考「読み書きは先天的でなく訓練

読み書きは先天的でなく訓練、その2

読み書きは先天的でなく訓練」の続きです。
・・・「深い読み」が、その先にあります。読み続けながら批評眼を養い、時代も文化も違う作者とも想像力を働かせて「対話」し、作者の思いに共感したうえで自分の思想を築いてゆく――。読む行為の到達点だと私は考えます。
意識の流れを追究した20世紀初めのフランスの作家マルセル・プルーストは「読者は作者の知恵の先に自身の知恵を見いだす」と書き、読書の意義を説いている。他者を知り、自己を磨くのです。
中等高等教育で良い教師に出会えれば、「深い読み」の習得はそれほど難しいことではない。

民主主義の観点からも「深い読み」はとても重要だと私は思います。考えの違う他者の存在を認めることが、基本的人権の尊重につながるのです。
トランプ米大統領は読書嫌いです。歴代大統領の中で異例です。
私の見るところ、トランプ氏は読むことに習熟していないため、他者に共感できない。自身が知っていることを過信し、妄信してしまう――。トランプ氏の唱える「米国第一」主義は、私には幼稚な自己中心主義に映ります・・・

・・・私に言わせれば、スマホなど現代のデジタル媒体は「言葉を吟味し、問いを発し、自ら思考する」ために適した媒体ではありません。
デジタル媒体と紙媒体をめぐる比較調査があります。欧州で2000年から17年にかけて若者総計17万人を対象にした大実験です。その結果は、紙で読む方が話の内容・筋立て・場面などをよりよく記憶し、理解できた。幼年時からデジタル媒体に親しんできた世代でも結果は同じでした。彼らには「早く読む」ことを「よく理解する」ことと取り違える傾向があることも判明しました。

読む時、視線は紙面では文章上を進み、時に前に戻りますが、デジタル端末画面ではジグザグに飛びつつ、先に進む。紙面の場合は時間をかけて理解に努める心構えになるのに対し、画面の場合は読み飛ばしがちになる。
私見では、電子書籍にも同様の落とし穴がある。つい読み流し、吟味がおろそかになり、「深い読み」ができない。真の理解は、時に立ち止まり、後戻りして、あえて言えば作者が姿を現すのを待つことで得られる。忍耐が必要なのです。デジタル媒体は結末に向けて読みをせかしてしまうのです。
これはニュースの理解にも当てはまります。デジタル端末は扱うニュースがそれほど多様でなく、出来事を単純に伝える傾向がある。一方で、新聞は概して守備範囲が広く、優れた分析記事は読者に深い理解をもたらしてくれます。
加えて、デジタル媒体は文章が短くなる。読み飛ばす読み手は、書き飛ばす書き手になるものです。ツイッターは象徴的です・・・

参考「読書がつくる脳

読み書きは先天的でなく訓練

7月12日の読売新聞文化欄、神経科学者メアリアン・ウルフさんの「教育の中での読書 紙の本「深く読む脳」育む」から。

・・・ ヒトが文字を読み、書くことは当然だと私たちは考えがちです。違います。読み書きはヒトの天性ではありません。発明です。
人類は20万年ほど前にアフリカ大陸に出現したとされています。言語は数万年前には誕生し、文字は6000年余り前に作られたと考えられます。人類史の中では相対的に最近のことです。最初は、群れをなす野生動物の頭数の筆記といった単純な内容でした。

見る・聞く・話す・嗅ぐといった行為は遺伝子でプログラムされています。それぞれの行為に対応する神経回路が脳に備わっている。乳児は周りを見て、においを嗅ぐ。幼児になれば、言葉を発し、簡単な意思表示もできます。
読み書きは遺伝子に組み込まれていません。では、どうやって身につけるのか。
大人が忍耐強く文字を教える必要があります。やがて幼児は文字が一つ一つ違う音に対応し、そのまとまりが意味を持つことに気づき、記憶する。この時、脳内で文字と音と意味を結びつけた、全く新しい複合的な神経回路が発明されている。脳の柔軟さが読み書きを可能にするのです。

単語の連なる文章を理解することは単純ではありません。脳に巨大な連結器のようなものができて、文字・音・意味を結びつける基本的な複合回路を次々と素早くつなぎ合わせることが必須です。文章の意味をくみ取るために、脳は大車輪の働きをしている。
私流に言うと、「読む脳」の誕生です。「読む脳」は経験を重ねて成長します。子供は読むことで育つともいえます。

8歳から10歳の間に、知識が増え、考える力が少しずつ備わります。自分が知っていることに照らし合わせて、文章の意味を推理できるようになります。
10歳から12歳になると、文章を読み進めながら仮説を立て、仮説が正しいのか間違っているのか、次第に判断できるようになる。作者や登場人物の感情や考えに思い当たるようにもなる。これはとても大事なことです。世の中には自分とは違う考えの他者が存在していることを理解するわけですから。大人へ向けた第一歩です。
初等教育で重要なことは、子供を励まし、手助けをして、推理・推論・真偽判断を含む、総合的な読む力を育むことです・・・
この項続く