カテゴリー別アーカイブ: 明るい課長講座

生き様-明るい課長講座

鳴かぬならその気にさせようほととぎす

「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ほととぎす」「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」は、それぞれ織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の句、人柄を表したものとして有名です。もっとも出典は明らかではなく、後世の人がつくったのでしょう。それにしても、よくできた話です。

これを、現在の管理職に当てはめてみましょう。職員を動かし、仕事を仕上げる場合にです。
「殺してしまえ」は、通用しません。「鳴くまでまとう」も、期限が決められている業務には当てはまりません。ただし、家康はただ待っていただけではなく、さまざまな仕掛けをして、時期を待っていたのですが。
「鳴かせて見せよう」は、頼もしい発言です。相手が物なら、この言葉も効果があるのですが。相手が部下なら、なかなか思うようには動いてくれないのですよね。

どうしたら、職員にやる気になってもらえるか。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」は、山本五十六元帥の名文句です。
すると、私流に変えると「鳴かぬなら その気にさせよう ほととぎす」です。そのコツは、明確な指示を出すことと、褒めることです。

会社の業績低迷と士気の低下

中條高徳著『陸軍士官学校の人間学 戦争で磨かれたリーダーシップ・人材教育・マーケティング』(2010年、講談社+α新書) を読みました。あるところで紹介されていたので。
中條さんは、陸軍士官学校で終戦を迎え、アサヒビールに入社。戦前は75%の市場占有率を持っていた会社が、戦後の解体、キリンビールとの戦いに負けて、キリンが6割・アサヒが1割にまで落ちます。スーパードライをヒットさせて、大逆転した立役者です。そのいきさつは本を読んでいただくとして、次のようなくだりがあります。

キリンの拡大、アサヒの凋落に対し、中條さんたちは危機感を持ちます。ところが、中には「給料はそこそこもらえているし、アサヒは老舗の会社なのだから、変わらなくてもいいでしょう」と言ったり、中條さんが生ビールで勝負しようとしたら「そんな簡単にいくわけがないよ」と反対する人がいます。
会社の上層部には戦前からの社員がいますが、彼らは大卒のエリートで、「人生を比較的スムーズに歩んできた恵まれた人々のせいか、少しでも壁にぶち当たると意気消沈してしまい、陰口をたたいたり、弱音を吐いたりするようになる。
私が恐れたのは、やる気がある他の社員が彼らの影響を受けてしまい、ネガティブな意識が会社全体に広がってしまうことでした。かの有名な「グレシャムの法則」は「悪貨は良貨を駆逐する」と説いていますが、そんな状況に陥ってしまったら、本当にアサヒは死んでしまうと思ったのです」90ページ。

1982年、アサヒビールは業績不振の極みでした。当然、社内には鬱屈したムードが流れていた。
私のように「このままではアサヒは駄目だ。なんとかしなくてはいけない!」という急進派と、「下手に動いて元も子もなくなるより、現状を維持できるよう努めよう」という穏健派、そして「アサヒは老舗の大企業だ。今日明日、会社が潰れるわけじゃない・・・」という無気力派に別れていたのでした。143ページ。
参考「社風をつくる、社風を変える」「組織運営の要諦2

迷ったときの判断基準、2つ

先日の記事「二つの『正解』」に、かつての同僚から意見がありました。

末尾に、迷ったときの判断基準は「後世の人の批判に耐えうるか。説明できるか」「閻魔様の前で説明できるかどうか」ですと書きました。それに対し、寄せられた意見は、「富山県にいた頃は、『富山駅前で大きい声で言えるか』『中学生にもわかってもらえるか』と言っておられましたよね」とです。

そうでした。「大和デパートの前で、通行人に説明できるか」とか「両親や連れ合いに説明できるか」とも言っていました。この考えは、いまも変わりません。私がこの発言をしたのは、「それで正しいか」とともに、「そのような説明で、県民に納得してもらえるか」という観点からです。

東日本大震災の際に「閻魔様の前で説明できるか」と考えたのは、宗旨替えをしたのではありません。そのときに置かれた状況から、それぞれの判断が被災者の生活に大きな影響があること、後世への影響も大きいことから、「駅前で通行人に説明できるか」という基準では「悠長で」ふさわしくないと思ったのです。
通常の場合の判断基準は、いまでも「駅前で通行人に説明できるか」「家族に説明できるか」「中学生でも分かるか」です。

先手と後手2

先手と後手」の続きです。
先手と後手は、勝負事や戦争、1対1の対決の際に使われます。
それを公務員に当てはめると、仕事の際に自ら動くのか、他者から言われて動くのかの違いです。ある仕事をしているときに、次はこのような展開になるだろうと予測すると、次の手を早く打つことができます。先を読むのです。
議会での想定問答準備も、先手と後手に当たります。質問が出てから答を考えるのか、その前に予測して準備しておくのか。

政策を考える際に、自ら察知して対策を練るのか、他者に言われてから動くかの違いです。では、新しい事態を、どのようにして予測するのか。
一つは、広い視野から考えることです。蟻の目でなく、鷹の目で見ることです。
もう一つは、探知機を活用することです。住民からの苦情、議員からの提案、報道記者からの質問などです。これらは公務員にとって「やっかい」なものも多いですが、それは現在の制度ではうまく対応できていないことの現れかもしれません。

「デザイン思考」という言葉があります。日本語では「設計の思考」です。成り行き任せではなく、未来に向けて何をすべきか、どのように対応したらよいかを考えることです。
部下からの意見が上がってくるのを待っていても、ダメです。自分で考える。机に向かっているだけでは、よい考えは出てきません。出かけていく、人に話を聞くことが重要です。鷹のように高いところから見る、探知機に会って話を聞くことです。

先手と後手

「先手にを打つ人」と「後手に回る人」の違いを、考え続けています。
先手と後手は、将棋や囲碁から来た言葉のようです。先に指す方と、後から指す方です。そこから派生して、辞書を引くと次のような意味が載っています。
先手とは、先に仕掛けて、自分を有利な立場に持っていく。これから先に起こるであろうことを予測して対策をしておくこと。または、相手より先に攻撃を加えること。

後手は、それだけでは使われず、「後手に回る」として使われます。先手は自ら打つことができますが、後手は受け身だからです。
相手の出方を受けて、それに対応する側の立場になる。相手に先を越されたり先に攻められたりして、受け身の立場になることです。もっと、直截な解説もあります。
「一般社会において、なにか問題が起きてしまったり、競争相手に攻め込まれてしまった(つまり先手を許した)りした後から(たいがいはおおあわてで)対策を講じる。」
では、どのようにしたら、後手に回らないですむのか。続く