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生き様-体験談

ひどい上司と憎めない部下と2

ひどい上司と憎めない部下と」の続きです。今日は、小道具編です。

課長補佐の私は、ある時期は国会議員への説明で議員会館を飛び回り、講演会などもこなしていたので、席を空けることも多かったのです。そこで、部下たちが相談したい資料を私の机に提出しておいてもらって、あとで目を通すこともありました。
小学校の時に先生に捺してもらった「よくできました」というゴム印を覚えていますか。「よくできました」ゴム印。遊び心もあり、それを捺して書類を返却していました。文房具店で買ってきたゴム印は5種類が入っていて、「たいへんよくできました」「よくできました」のほかに「もうすこしです」や「がんばりましょう」などもありました。

最初の頃は、「たいへんよくできました」か「もうすこしです」を捺していたのですが。ある職員(県から派遣されていた職員)が私に説明しながら、「補佐、これを捺しましょう」と言って、勝手に「たいへんよくできました」を自分で捺しました。憎めない職員です。今は副知事をしています。
その後いつの間にか、「たいへんよくできました」以外のはんこは、行方不明になりました。そして、残った「たいへんよくできました」を、職員が自分で捺すようになりました。

もう一つ小道具の話です。
私はプロ野球、近鉄バッファローズのファンで、机の上に小さなマスコット人形などを飾っていました。ある日出勤すると、机の下に落ちていて、しかも壊れています。
「なんやこれは」と言うと、あの係長が「補佐の厳しさに耐えかねて、自ら身投げをしたのではありませんか。かわいそうな人形です」と、真面目に説明してくれました。

「こやつが遊んでいて、あるいは鬱憤晴らしで壊したな」と推測しましたが、そこまで堂々と言われると、反論のしようがありません。職員が壊れる前に、人形が身代わりになってくれたのです。
多分、他の職員は笑っていたでしょうね。
彼らのおかげで、仕事は大変でも、風通しの良い職場だったと思っています。

ひどい上司と憎めない部下と

先日、30数年前に一緒に働いた後輩2人と、久しぶりに意見交換会をしました。当時、私は30代半ばの自治省財政局交付税課課長補佐で、2人はまだ20代半ばで係長とその手前でした。その頃の思い出話で、盛り上がりました(この頃の話は、何度か書いたことがありますが、あらためて)。

この頃の私の仕事ぶりは省内でも鳴り響いていて、この2人も周囲から「岡本補佐に仕えて、大変だね」と、ねぎらいの言葉をかけてもらっていたとのことです。
土曜日の朝に彼らに指示を出し、月曜日朝にできていないと「昨日休んだやろ」と言ったとか。もちろん笑いながらですよ。月曜午後には、「まだできてないの。昼飯食っただろう」と言ったとか。
上司以上に彼らは大物で、「まだですよ~」と、笑って受け流していました。

2人は素質もあり、将来の幹部に育てるために、他の人より重い負荷をかけたのです。もちろん、彼らの疲労度を勘案してです。私も彼らの職位のとき、しょっちゅう泊まり込んだ経験がありますから、「無理の程度」はわかっています。彼らに聞くと、「明け方までは仕事をしたけれど、家には帰りました」とのこと。
24時間戦えますか~ビジネスマン、ビジネスマン~」という栄養剤の宣伝が流行ったのは、昭和63年です。「そんなこと、できっこないわ」と、私は自分の経験で思っていました。1日か2日はできるとしても、生産性は落ちるし、長続きはしません。

当時は週休2日に移行する時期でしたが、忙しい時期の私には休日という概念はなかったです。ただし季節労働者で、暇なときもありました。そうでないと、体が持ちません。私は休日出勤はしましたが、平日は早く帰るようにしました。
と言っても、意見交換会に出かけていたのです。部下にとって、「上司元気で留守が良い」を理解していたので。もう一つの栄養剤の宣伝、高田純次さんの「5時から男」を実践していました(笑い)。私が退庁してから、彼らが盛り上がっていた話は、次回にします。

次のようなやりとりも、有名でした。
私が彼らに指示を出す際に「私は忙しい。返事は簡潔にせよ。しかし私は民主的だから、押しつけはしない。次の2つの答えの中から選んで良い。一つは『はい』だ、もう一つは『わかりました』だ」と言ったとか。
部下の一人は「はいはいはい~、わかりましたよ~」と、グレながら返事をしていました。私が許した選択肢を逸脱してはいないのですが、不服従をきっぱりと顔に出していました。
この話には、後日談があります。私が交付税課を離れて数年後に、後輩から聞きました。「全勝さん、最近は選択肢がもう一つ増えたんです」と。で「3つめは何?」と聞くと、「喜んで」ですと笑いながら教えてくれました。ある飲食店で、注文を聞いた店員が客に答える際の言葉だそうです。
ここだけ読めば、ブラック職場に見えますね。

新・3秒ルール

かつて海外旅行をする際に、添乗員から3秒ルールを教えてもらいました。空港のカウンターなどで荷物を足下に置くと、3秒以内に盗まれるという「法則」です。私は用心して、添乗員に教えてもらった心得を守っていますが、被害に遭った方を見ました。
日本国内は、お気楽で良いですよね。ズボンの後ろポケットに、財布やスマートフォンを突っ込んでいる人、通路でスマートフォンに夢中になっている人。海外なら、3秒ルールの餌食ですね。先日、海外から日本にスリの「出稼ぎ」に来ている人が捕まっていましたが、日本は仕事のしやすい稼ぎの場でしょう。

今日の話題の新・3秒ルールは、全く関係がありません。
朝や夕方にアサガオなどの鉢植えに水をやり、ツルを支柱にまきます。作業開始から3秒で、蚊に刺されるのです。
気づかない私が悪いのですが、作業に集中していると、あっという間に、腕などにおなかが膨らんだ蚊を見つけます。時には、4~5匹も。
叩き潰せたら、かたきを取った気になるのですが、逃げられると、かゆみが倍増します。
半ズボンに半袖シャツですから、敵の思うつぼです。キョーコさんは「必ず虫除けスプレーをしなきゃだめよ」と忠告してくれるのですが。

と書いたら、読者から「床に食べ物を落としても、3秒内に拾えば食べても大丈夫」が、世間では新・3秒ルールですよと、意見が来ました。

本家の再活用3

本家の再活用2」の続きです。明日香村商工会の紹介映像「岡本邸プロジェクト Vol.3」が、公開されていました。

今回は、門屋を紹介しています。2階建ての立派な門です。江戸時代(たぶん後期)のものですが、まだしっかりしています。同時期の建物と思われる水路沿いの座敷や納屋などは傷みが激しく、壊したのですが。

後半に出てくる家紋入りの瓦や石臼は、仏壇(これも大きくて大変)などとともに、父と弟が本家から引き取ったものです。家の庭(この門の内)に転がっています。画像に出てくる紋「丸に立ち沢瀉(おもだか)」は、岡本の紋です。
今回も、弟が出演しています。

窓開け係

最近、タバコの吸い殻拾い係のほかに、「電車の窓開け係」にもなりました。

新型コロナウイルス感染拡大が始まった頃は、マスクの着用とともに、換気が推奨されました。電車の窓も、5センチほど開けることが多くなりました。
ところが、最近は電車の窓が閉まっていることが多いのです。座席に座っている人の半分以上は、マスクをしています。それくらいウイルスに用心するなら、換気をした方が効果があると思うのですが。

で、私は通勤の地下鉄丸ノ内線と総武線に乗ると、近くの窓を開けるようにしています。ところが窓が固まっていて、片手では開かないときがあります。両手で根性を入れて、ようやく開きます。
周りの人は素知らぬ顔で、スマホをいじっておられます。