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生き様-体験談

間近で見た平成の政権交代、その2

間近で見た平成の政権交代」の続きです。

平成21年(2009年)8月、自民党が選挙に負け、9月に民主党政権になりました。
私は、麻生太郎内閣で総理秘書官を務めていました。総理の(総裁としての)選挙遊説にもお供しました。総理秘書官は、大臣秘書官事務取扱と違い特別職なので、政治活動ができます。間近で、政権交代を見ることができました。

政権交代で総理秘書官をやめ、消防大学校長の後、自治大学校長を勤めていました。平成23年3月に東日本大震災が起き、総理官邸に呼び出されて、被災者支援本部で働くことになりました。民主党政権の下でです。
菅総理と一緒にヘリコプターに乗って(座席が向かい合わせです)被災地に入るのは、なんともいえない気分でした。が、これも仕事です。

政権交代の時、私は54歳、大震災の時は56歳でした。10年前と8年前の出来事です。
官僚にも、こんな経験があるという話です。
(夏休みで、ホームページ作成ソフトを見ていると、かつて書いてあった書きかけ記事をたくさん発見しました。順次、掲載します。特段の意図はありません。)

間近で見た平成の政権交代

古い話で恐縮です。
平成時代に、2度政権交代がありました。正確には、2度自民党が下野し、それぞれ自民党に戻ったので、4度(往復2度)というのが正しいのかもしれません。私は、その2回を、間近に見ることができました。

平成5年(1993年)7月、自民党が選挙に負け(それでも第1党だったのですが)、8月に細川連立内閣が成立しました。私は、宮沢(改造)内閣の村田敬次郎自治大臣の秘書官をしていました。
大臣の(政治家としての)選挙活動にも、ついて行きました。大臣秘書官(正確には秘書官事務取扱)は一般職なので、政治活動はできません。しかし、連絡要員として、大臣にお供するのです。

内閣が替わり大臣も替わるので、私は秘書官をお役御免になりました。久しぶりに休みをもらい、奈良の実家で昼からビールを飲んでいました。すると、本省から電話がかかってきました。「早く戻ってこい。大臣が2人になるので、もう一度秘書官をしろ」との指示でした。
自治省が、山花選挙制度改革担当大臣と、佐藤観樹自治大臣の、お二人を支えることになったのです。私は、佐藤自治大臣の秘書官になりました。自民党の大臣に続き、社会党の大臣にお仕えすることになったのです。

国会内で、社会党の大臣について歩いているときに、自民党の前大臣にすれ違うこともよくありました。これも仕事だと、自分に言い聞かせました。お二人はともに愛知県選出、仲が良かったので困りませんでした。
もう26年前のこと、私は38歳でした。続く

明日から夏休み

今日は8月9日金曜日、今週も終わりです。暑かったですね。

なにかと、仕事の入る1週間でした。福島と東京で重要な会議と打ち合わせ。その間に、いろいろと相談が入ります。職員からも、電子メールででもです。
うまく行っている、あるいは簡単な話は、私には持ち込まれませんわね。

私が役に立っているなあ、と思うときがいくつかあります。
・「ある人に相談に行ったら、『全勝さんに聞け』と言われました」と、相談に来られる場合。
もちろん、これまでの経験で助言できることはします。しかし、『明るい公務員講座 管理職のオキテ』にも書きましたが、よい案が浮かばないときも、「私にもよい知恵がないわ」と言うと、相手は安心します。

・面識がない二人を紹介する場合。
Aさんの「こんな案件なのですが・・・」という相談に、「だったら、Bさんを紹介しますわ」と、Bさんを紹介します。
最近は、電子メールができて、便利になりました。Bさんに、依頼内容をメールで送ります。その文章の案は、Aさんに書いてもらいます。
私は、Bさんに、Aさんはどのような人であるか、信頼がおけることを付記して、メールを送ります。Bさんの了解が取れたら、Aさんとメールで連絡を取ってもらいます。

先週と今週と、いくつもの案件が、うまく行きました。依頼人やBさんから「うまく行きました」と報告のメールが来ると、うれしいですね。
そのほかに、中長期的課題を、紙に整理することができました。

さて、明日から夏休み、という人も多いのではないでしょうか。
お互い無理をしないで、休息をとりましょう。でも、連載の締めきりは待ってくれません。

持永堯民・元自治事務次官

今日は、持永堯民・元自治事務次官のお別れ会に行ってきました。
私が自治省に入って、県庁での2年間の勤務・勉強を終えて戻ったところが、財政局財政課でした。最初の課長は津田正さん(後の自治事務次官)で、次が持永さんでした。私とは、20歳違いです。
20歳代半ば、駆け出しの事務官には、課長はとても遠い存在でしたが、お二人とも、かわいがってくださいました。行儀を知らない元気な若者を心配して、指導してくださったのだと思います。

財政課では、翌年度の全自治体の地方財政の見通しをつくります。毎年、歳出総額に対して、歳入が不足します。それをどのように埋めるか、大蔵省と協議して対策をつくるのが、課長の仕事です。
課長がメモを元に口頭でおっしゃる項目を、私が文章にします。「課長、それだと、ここがうまくいきません」と問題点を指摘すると、「君が考えろ」とおっしゃいました。知恵を絞って案を考え、了解してくださったことが、よい思い出です。よくまあ、20歳上の課長に反論していたものです。それを、許してくださいました。

放課後の飲み会に課長補佐と一緒に誘ってくださって、ご自身の経験談、特に苦労話をしてくださいました。
その後、私は28歳で県の課長、39歳で県の部長になりましたが、その際に先輩の経験談がどれだけ役に立ったか。困ったときに、「先輩の苦労に比べたら、私の苦労なんか大したことないなあ」と、自分に言い聞かせることができました。旧内務省の伝統でしょう。
次官を退官されてからも、折に触れて、話を聞いてくださいました。話を聞いていただくだけで、安心できるのです。

私が官僚としてここまでこれたのも、持永課長をはじめとする先輩たちの指導のおかげです。たぶん、空の上から「全勝くん、まだまだだなあ」と笑っておられるでしょう。
感謝とともに、ご冥福をお祈りします。

忘れることはよいことだ、その2

忘れることはよいことだ」の続きです。

嫌な仕事を抱えていると、気分が落ち込みますよね。
この解決方法は、嫌な仕事ほど早く片付けることと、早く上司や同僚に相談することです。一人で悩まないことです。参照『明るい公務員講座』。

私は、それを実践してきました。
とはいえ、すべてがうまく行ったわけではありません。嫌なことも、たくさんありました。でも、深く悩んだり、悩み続けたことは少ないです。悩んだ例は、『明るい公務員講座』に書きました。
しかし、その後は仕事が忙しくて、次々持ち込まれる案件に集中して、嫌なことは忘れたのでしょう。どうやら、それで、くよくよ悩まずに生きてこられたようです。

自分は、嫌なことを長引かせない性格だと思っていました。持って生まれた「楽天的な性格」と「すぐに忘れてしまう能力」によってです。ところが、このようなことを思い出すと、どうもそうではなかったような気がしてきました。ただ単に、忙しかっただけかもしれません。
これからは、「すぐれた忘却力」で、嫌なことは忘れたいです。
もちろん、重要な案件は忘れないように、メモに書いておく必要があります。そして、生煮えで良いので人に相談し、適切な人にその「球」を渡して、自分は楽になりましょう。