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生き様-体験談

忘れることはよいことだ

忘れることは、困りますよね。物をどこに置いたかや、人の名前が出てこなかったり、やろうと思っていたことを忘れたり。ところが、忘れることがないと、人生はもっと困ったことになりそうです。

うまくいかないこと、悲しいことがあったら、気分が晴れません。頭の中を大きく占めたり、頭の隅に残ってしまいます。でも、たいがいのことは、そのうちに忘れてしまいます。もし、これらを忘れることがなかったら、大変なことになります。もちろん、大きな失敗や出来事で、なかなか忘れることができないこともありますが。

それら嫌なことを忘れるのは、ほかの案件に頭がいってしまうからだと思います。別のことをしてそれに集中する、せざるを得ないと、嫌なことを思い出している暇が無いのです。
人間の頭の容量には限界があり、与えられた時間は一定です。すると、主たる案件に占領されると、ほかの案件はおろそかになります。

「気が紛れる」という表現があります。
じっとしていたり、布団の中にいると、その嫌なことが、頭に浮かびます。そこで、外出したり、運動をすることで、気が紛れるのです。
外部刺激と体を動かすことが、効果的なのでしょう。お酒を飲んだり、カラオケや、運動で発散させることもあります。まあ、そうしているうちに、だんだんと「しかたないなあ、終わったことだから忘れよう」となるのでしょう。本を読んだりすることでは、嫌なことが思い出されて、読書に集中できないことがあります。この項続く

 

勇気をフルート、道はひらける

4月12日の読売新聞に、挿絵(閻魔大王の前で胸を張る猫)を描いてくださった、大野隆司画伯。今度は、「フルート猫」を描いてくださいました。
「勇気をフルート(ふるうと)、道はひらける」という駄洒落だそうです。面白いですね。
ありがとうございます。肝冷斎が、 「勇気凛々」をもじって「吹笛凛々」と題をつけてくれました。
世の中のフルート愛好家に、広めましょう。

 

 

 

 

 

 

 

なぜ、私がフルートなのか。こちらをご覧ください。
フルートの上手なYちゃん、「フルートの角度が下がりすぎ」とは言ってはいけませんよ。

読売新聞夕刊「言葉のアルバム」に載りました。

4月12日の読売新聞夕刊「言葉のアルバム」に、取り上げてもらいました。「批判受けても復興の決断
この欄は、人を言葉によって描くようです。そして、特徴ある猫の版画とで。
夕刊が発行されている地域は、限定されています。また、インターネットでは読むことができないようです。すみません。

取材を受けて、いろんな言葉を思いついたのですが。版画にするにはこれが良いと思い、選びました。
「閻魔様の前で胸を張れるか」は、どのような人でも、どのような場面でも、重要なことだと思います。子供の頃に親に教えられたことが、いまも残っています。
昨年、日経新聞夕刊コラムに「未来との対話」と書いた趣旨の延長です。

版画では、閻魔様の前で胸を張っている猫になっています。大野隆司さんが、作ってくださいました。猫を描いておられるようです。宝物にします。肝冷斎が「王前堂堂」という題をつけてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

顔写真は、帽子姿です。「帽子を被った顔写真は、この欄では初めてではないか」とのこと。新聞社の写真家の指示で、被ったのですが。
知人からの反応は、「渋いですね」とか「実物より人が悪そうに写っていますね」とか。そう見えますか。

笛吹中年

トップページの絵「笛吹き中年」に関してお答えします。

画は棚瀬佳明画伯、画像技術は荻布彦技師(富山県庁)です。
39歳にして、フルートを始めました。40の手習いです。富山では、厳しい部下のもと(アンサンブルでは私が一番下)、毎週「放課後」の練習、月に2回の老人ホーム慰問演奏で、少し吹けるようになりました。

その他、お茶(藪内)とお花(池坊)も教えてもらいました。現在は休眠中です。藪内のお茶は、武家点前の豪快なお茶です。NHK教育テレビ「趣味悠々」平成16年6月(月曜日)は、「心の旅へのいざない」という題で、「藪内家」の茶の湯です。恥ずかしながら、私も藪内流です。でも最近は機会もなく、すっかり作法を忘れてしまいました。ふくさなどは、職場においてあるのですが・・。お師匠さん、申し訳ありません。頭を下げることは、日々「実践の場があり、技を磨いて」います。そのほかにも、ときどき部屋でお香をたいて、来た人に不審に思われています。(2004年6月5日)
藪内家のお茶は、NHK教育TV「趣味DO楽」2014年8月「茶の湯 藪内家“織部も親しんだ茶の魅力”」、Eテレ「趣味どきっ」2018年3月「茶の湯 藪内家」でも放送されました。

被災者生活支援本部、その2

職員が、当時の写真をいくつか探してくれました。記念に載せておきます。立ち上げた頃の支援本部事務局の様子です。
詳しい話は、本業の様子4を読んでください。(2016年1月16日)

3月23日、職員の相談を受けている私です。私の前の防災服は、越智繁雄参事官(現・国土地理院長)。私の頭の上に写っている山下参事官(紺のスーツ後ろ姿)は、立ったまま資料を広げて考え中。その前で、福井参事官はパンを食べながらパソコンに向かっています。

3月24日。正面の白板2枚が、共通指示事項を知らせる掲示板です。右奥で、私が立ったまま電話しています。オレンジと紺の制服は総務省消防庁、手前の迷彩服は自衛隊です。


3月25日。塩田・特許庁秘書課長(当時)から説明を受けているところ。たぶん、当時大きな問題だったガソリンの配送についてです。