3月5日の北日本新聞(富山県地方紙)に、1面を使って、「被災地支え続けた岡本全勝さん」が載りました。共同通信の取材による配信記事です。3回分とのことでしたが、北日本新聞は一挙に載せてくださったようです。
3回それぞれの見出しは、「まるで戦場や」天を仰ぐ、「できない」絶対言わない、「しょい続けていかな」です。
富山県には、平成6年から10年まで4年間、総務部長として勤務しました。当時お世話になった方から、「見たよ」との連絡がありました。ありがたいことです。
3月5日の北日本新聞(富山県地方紙)に、1面を使って、「被災地支え続けた岡本全勝さん」が載りました。共同通信の取材による配信記事です。3回分とのことでしたが、北日本新聞は一挙に載せてくださったようです。
3回それぞれの見出しは、「まるで戦場や」天を仰ぐ、「できない」絶対言わない、「しょい続けていかな」です。
富山県には、平成6年から10年まで4年間、総務部長として勤務しました。当時お世話になった方から、「見たよ」との連絡がありました。ありがたいことです。
2月18日「政府の力が試された」に続き、19日の福島民友新聞に、インタビューの続き「与党提言、推進力に」が載りました。記事は1面と2面に載っています。ウエッブサイトで読むことができます。
記事を読むと、すべて私一人がやったように読めますが、実際には多くの関係者の助言、理解、協力と「黙認」があったのです。そして、その時々に「必要だ」と考えて、それまでにない新しい施策を作りました。それは、私が考えたのではなく、職員や関係者です。私一人で、あれだけのことを実現できません。
私がしたのは、各種施策の後押しと、それを全体像にまとめること、与党や官邸、関係自治体の了解を取ることでした。
良く記事にまとめてくれた菅野記者に感謝するとともに、この点は注記しておきます。
読者から、「記事には「俺」とありますが、全勝さんが自分のことを指すときは「わし」と言いますよね」との指摘がありました。「わたしは」と言うように心がけているのですが、気を許すと「わし」と言っているようです。福島の人はよく「俺」と表現するので、私もつられたのでしょう。
かつての同僚から、次のような反応もありました。「一人称に「俺」が多く使われていたのには違和感がありました。「僕」「わし」を普通使われていたように記憶しています。しかたのないことですが、関西弁が中途半端でしたね(笑)」。
なお、18日の記事について、訂正が紙面の下についています。私が官邸に行くように指示を受けたのは3月17日でなく18日、官邸に行き支援本部で活動を始めたのは18日でなく19日です。
2月18日の日経新聞「交遊抄」は、米女太一・アサヒ飲料社長の「民間からの出向組」でした。
・・・20年以上前、それまでアサヒビールで人事や営業に携わっていたが、民間からの出向として内閣の中央省庁等改革推進本部事務局で働くことになった。そこで出会ったのが日本商工会議所理事の荒井恒一さんだ。当時、私たちは霞が関の官庁組織を再編する仕事に携わっていた。法制局で法案を審査してもらうと、多くの指摘が返ってくる。へとへとになってデスクに戻ると、隣で黙々と仕事をしていたのが荒井さんだった・・・
2001年に実施された省庁改革の準備のために、省庁改革本部事務局が作られたのは、1998年6月でした。各省と民間から、職員が集められました。米女さんも、その一人です。
私は、富山県総務部長から、事務局の減量担当参事官に赴任しました。米女さんとは、班は別でした。私たち官僚でも、この仕事はきつかったので、民間からの出向者は、もっと苦労したと思います。
私の減量班も、20年経った今も年に数回集まっています。コロナでしばらく開催できず、コロナが収束するのを待っています。
若い時に、職員の採用面接を担当したことがあります。職員採用の責任者である先輩から、「しっかり見てくれよな。採用予定者を幹部面接に出すと、今度は私の人物眼が査定されるのだから」とハッパをかけられました。なるほどと思いました。
私は採用されて最初の配属先が、徳島県財政課でした。いくつかの部局を担当して予算を作ります。次の配属は自治省財政課で、これは交付税の単位費用をつくる査定も仕事でした。その後、鹿児島県財政課長、自治省交付税課長補佐、総務省交付税課長と、予算査定に長く携わりました。
予算査定を続けていくうちに、これも同じだと気がつきました。
初めのうちは、膨大な要求を受け(当時はまだシーリングがありませんでした)、それを切るのが仕事だと思っていました。先輩や同僚に「要求ないところに査定なし」「疑わしくは罰する(予算をつけない)」といった「勇ましいセリフ」を教えられ、実行していました。
しかし、だんだんと釈然としなくなりました。「削るだけなら、電卓に0.9を入れて、要求額に掛けていけば収まるではないか」とです。
できばえの良い予算とは、知事に喜んでもらい、県民にも喜んでもらえる予算です。そして、要求部局に喜んでもらえないとしても、納得してもらえる予算です。
それは、数字だけでは見えません。要求側と何度も意見交換をして、その事業の効果を調べるだけでなく、相手側の本音を聞くことも重要でした。簡単に言えば、要求通りにつけるのなら、議論はなくてもすみます。つければ、喜んでもらえます。
重要なのは、要求通りにつけることができない場合に、どのように納得してもらうかです。
先輩たちが「日頃の人間関係が重要」「事前に現場を見ておくことが重要」といった教えのほか、「君の全人格的闘いだわな」と助言をくれました。
査定官は、予算査定結果という予算書で評価されるとともに、査定の過程で人格識見を評価されているのだと気づきました。
このような経験と見方の積み重ねで、「蟻の目と鷹の目」「全勝Aの後ろに全勝Bがいて、Aを監視する」「閻魔さまの前で、どう説明するか」「周囲の人は私をどう見ているか」といった、私のものの見方ができました。