谷三山

谷三山って、知っていますか。日経新聞文化面連載小説「陥穽 陸奥宗光の青春」の4月6日に登場しました。子どもの陸奥宗光が、大和五條(代官所がありました)に学びに通っていたくだりで出てきます。
・・・森鉄之助は大和・高市郡の人で、大和・八木の高名な儒者谷三山に学ぶ・・・

すっかり忘れていました。子どもの頃に「偉い人がいた」と、その名を教わりました。
「江戸時代の後期の儒者。享和2年(1802年)生まれ。慶応3年(1867年)没。通称 新助、のちに昌平と改める。三山は号、別号は、淡庵、淡斎、釈斎。
八木村(現在の八木町)の米屋などを営んだ商家倉橋屋に生まれましたが、幼い頃目と耳を患い、聴力を失いました。ある時、兄の厚亭から小説の無稽を揶揄され、発奮して三山は、独学で正史経学に励み、兄とともに京都に遊学し、猪飼敬所(いかい けいしょ)に学びました。その後、私塾「興譲館」を開き多くの師弟を指導していましたが、これが高取藩に認められ士籍を与えられ藩儒となり、教学を広め、尊王攘夷を説きました。」(橿原市の紹介)。
森鉄之助も高市郡の人だそうですが、知りません。

ついでに、八木の歴史
八木町は、高市郡明日香村の隣の橿原市の中心地です。私にとっては、まぶしい町、商店街でした。スーパーマーケットも本屋もあったのです。村からはバスが通っていて、30分の道のりでした。そのバスに乗って、八木中学校に通いました。その学校は、現在では移転しています。