昨日、北京で、丹羽宇一郎大使の乗った公用車が襲われ、国旗を奪われるという事件が起きました。2台の車に挟まれて、カーチェイスしたようです。そのさなかに、同乗していた山崎和之公使が、携帯電話のカメラで、犯人とその車のナンバーを写真に撮っていたと、新聞が伝えています。そしてそれを、中国当局に渡したと。
さすが、山崎君。どんなときでも、冷静です。外交官には、このような判断も求められるのですね。
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生き様-仕事の仕方
全体を通して責任を持つ
8月12日の日経新聞「経済史を歩く」は「トヨタ・カローラ発売(1966年)、大衆車の時代開く」でした。今日紹介するのは、大衆車についてではなく、組織管理・製造管理についてです。
そこに、開発の指揮を執った長谷川龍雄さんが紹介されています。
・・長谷川さんは、カローラ以前に「パブリカ」という車の開発責任者を務めた。このクルマは長谷川さんの合理的な性格を反映して、ムダを徹底して省いた。その結果、豪華さに欠ける寂しいクルマになり、技術的にはよかったがあまり売れなかった。このときの経験がカローラで生きた・・
こうして、ライバル車である日産のサニーを各仕様で少しずつ上回るカローラがつくられ、消費者の心をつかんだのです。
・・カローラは単によく売れた車というだけでなく、トヨタという企業の骨格を決定づけるほどの重要さを持った。トヨタは新車開発に関して主査(チーフ・エンジニア)という役職を設け、1人の人間が設計からデザイン、値決めまで全て関与する仕組みを今も継続しているが、その「主査制度」が定着した一つのきっかけがカローラ開発における長谷川の成功だった。
主査は開発室で新車の図面を引くのが仕事ではない。販売店などを訪ねて、お客がどんなクルマをほしがっているかを肌で感じ取り、それを新車に盛り込む。トヨタ元会長の豊田英二は「主査はいいクルマをつくるために、社内の誰に対しても直接意見をぶつける権利があり、義務がある」と言明した・・
大会社に限らず少し事業が大きくなると、組織は縦割りにならざるを得ません。自動車製造だと、たぶん企画、設計、材料調達、製造ライン設計、製造、運搬、販売、それらを通した会計管理、人事管理が必要です。当然それぞれに責任者(課長や部長)がいます。そしてその上に役員がいるのでしょう。
しかし、そのような階統制(ヒエラルヒー)による管理監督では、必ずしもうまくいかないことがあります。それぞれは正しいことをやっているのですが、全体を通して見るとおかしなことになっている場合です。目標や哲学が共有されていたら、防ぐことができます。しかし共有するための会議を重ねているようでは、これまた非効率です。船頭が多いと船は山に登ります。
この主査制度は、よく考えた仕組みですね。ただし、その人にかかる責任は、大きなものになります。
組織における「集中と分散」「集権と分権」は、永遠の課題です。
課題が整理できたら、しめたもの
私たちは、難しい事態を前にして「大変だ」と、悩みます。その際に一番困るのは、「何が大変か、わからない」ことです。何が課題かが、わからない。その課題に対して、どうしたらよいかわからないことです。このような場合は、混沌としている課題群を解きほぐし、一覧表に整理できたら、半分は片付いたようなものです。
あまりにたくさんの課題があり、一つ一つが重い課題の場合は、一気に解決することはできません。優先順位を付けて、そして各課題ごとに予定表(工程表)を作ります。それぞれに責任者を決めて、管理執行してもらいます。ここまで来たら、司令官の第一の仕事はできたようなものです。
これら「全体像」を示して、関係者が共有すれば、「大変だ」は解消します。もちろん各課題には、簡単に進まない課題も多いです。でも、今の技術や能力では達成できないとわかれば、それは「大変だ」ではなくなります。
大災害の発生当初に、「大変だ」と言われるのは、何が起こっているかわからない。徐々に被害がわかると、それに対し何をして良いかわからない。大きな被害に対して、誰がどのように対応できるかわからない。これらが、一気に生じ、しかも対策を急がなければならないからです。
対策本部の壁に被災地の地図を貼り、被害状況を書き込む(被害状況を把握する)。黒板に、主な課題、現状と対応状況を書き込む(課題を整理し、対策と担当者を決める)。ここまで来たら、「大変だ」ではなくなります。
各課題の担当者(各部長や課長)や現場の責任者が、自分の置かれている状況を理解して、責任を持って処理する。進捗状況と困っていることを、本部に上げてくれればよいのです。情報の集約と権限の分散です。
こうなると、本部は、各部局からの困りごとを処理するとともに、遅れているところに人とモノを追加する。そして、対策に漏れ落ちがないかを考え、次に何が必要になるかを想像することが仕事になります。
(ここに想定しているのは、組織として対応する事態です。上司の指示に対して一人で悩んでいる場合については、「明るい係長講座」をご覧下さい。)
誤りをわびる
岩波書店のPR誌『図書』6月号の宮下志朗さんの文章に教えられ、河野与一著『学問の曲がり角』(新編2000年、岩波文庫)で、次の文章を探しました。
出版物についている正誤表についてです。印刷術発明以前には、正誤表はなく、手書き本では、間違ったら訂正していたのです。印刷本も最初は一部ずつ、間違っていたか所をペンで直していました。そのうちに、いい加減な印刷が増え、訂正の費用もかさみ、本も汚くなるので、誰かが正誤表を付けることを考えました。
1478年に、ヴェネツィアで印刷された本についている正誤表に、次の文句が書かれています。
「読者よ、職工の不注意から来た誤植を、お怒りにならないように。我々もそう始終注意ばかりしているわけには行きません。すっかり見直して、これだけ訂正したところを買って下さい。」
良いですねえ、このおわびは。「二度と起こらないように注意します」というのが、おわびの定番ですが。人間とは間違う動物である・・。毎日の仕事では、いろんな失敗が起きます。それを全てなくそうとすると、たいへんな労力と時間が必要になります。「8対2の法則」によれば、8割の完成度に達した後、残りの2割を達成するには、同じくらいの労力が必要になります。
もちろん、二度と起こしてはいけない間違いもあります。
部下を怒鳴る上司
朝日新聞日曜別刷り「be」に、吉田潤喜さんの話が載っていました。アメリカに渡り、不法移民から、ソースを売って億万長者になった人です。その苦労と成功の物語は、別途、読んでいただくとして、私が紹介したいのは、日本についての、次のような発言です。
・・テレビを見ていたら「カリスマ経営者」といわれる人物が、これ見よがしに社員を罵倒しているのを見て、「アホか」と思った。あの弱肉強食、生き馬の目を抜く米国のビジネスの現場でさえ、部下のことを人前で怒鳴ったりしない。注意したいことがあったら、一杯誘う。
あんな人間がカリスマだ、リーダーシップだともてはやされる社会は、どこか間違っている・・