カテゴリーアーカイブ:仕事の仕方

手足の代わりか頭の代行か

2026年10月9日   岡本全勝

「未来予測の限界」の続きになります。人工知能が暴走すると、人類の危機になる可能性があります。そのような犯罪的な問題ではなく、普通に検索機能や文章作成機能を使っている場合の問題も見えてきました。

人工知能に頼ることで、人の能力が向上しないのです。簡単に言うと、小学校で算数の計算問題を教える際に、電卓を渡すようなものです。大きな桁の足し算、かけ算や割り算を覚えることなく電卓に頼ると、早く正しい回答を得ますが、子供の計算能力は身につきません。
文章作成を人工知能に頼ることも、同じでしょう。学生が論文を書く際や従業員が仕事について企画書を書く際、人工知能に頼っていては、能力が向上しません。すると、人工知能が書いた文章を評価することもできなくなるでしょう。人工知能と「壁打ち」(意見交換してよいものに作り上げる)するにも、打ち返せないのです。

「機械ができることは機械に任せるべきだ」という説があります。半面は正しいのですが、それでは人は育ちません。手を動かすことと頭を動かすことは、別問題です。便利な機械は活用すべきです。しかし頭を機械に代行させては、その時はよい成果が早く手に入っても、中長期的には人と組織の自滅を招くでしょう。人は育たず、組織は弱くなります。

企業でも、外注してよいことと、内製すべきことがあります。
コメントライナーへの寄稿「役所にも人工知能がやってくる」(2023年10月12日)に次のようなことを書きました。
・・・役所の業務全体の問題として考えてみると、行政改革や人員削減によって、機械化や外注が進みました。調査や企画を調査会社に委託 丸投げ することも多くなり、工事の発注も施工だけでなく設計 段階 から企業に委託することが広がっています。
その結果、職員が考える機会が減り、設計できる職員が減って、成果物企画書や設計図と工事を評価する能力も低下していると聞きます。ある知事が現状に危機感を持ち、催し物を委託せず職員だけにやらせました。前例と経験がなく、職員はとても苦労したそうです。
文章作成も同じです。着想と「文章の肝」において、職員の独創性 が試されます。しかし機械に頼っていると、その能力は向上しません。企画や施工を委託していると、考える能力だけでなく、納入された成果物を評価する能力もつきません。そのような職員は、もう使われないのでは。仕事を手抜きの場と考えるか、能力を磨く場と考えるか 。職員が生き残れるかどうかは、この差でしょう・・・

社会的能力のピークは55〜60歳

2026年9月17日   岡本全勝

9月5日の日経新聞に「社会的能力のピークは55〜60歳 経験豊富、起業や転職増加」が載っていました。
・・・見識の深さや理性的な判断力など、人の社会的な能力は何歳で最も高まるのか。最新の海外研究は55〜60歳ごろに最も高くなる可能性を示した。働き手は強みを生かしているのか・・・
記事では、新しく事業を始める人の割合が50代が27%、60代が21%になったことを書いています。その人たちの発言として、これまでの勤務経験が役に立っていること、30代でやっていたらうまくできなかったかもしれないことが紹介されています。もっとも、50代になると職場での将来が見えてきて、起業しようと考える人もいるのでしょう。

西オーストラリア大学などの研究結果が、表になって載っています。それによると、各年代で最大化する能力は、次の通り。
若年期(20~30代) 記憶力、処理速度、視覚情報処理、外向性
中年期(40~50代) 誠実性、協調性、感情理解
高齢期(60代以降) 語彙力、一般的知識、情緒安定性、金融リテラシー

ノーベル賞級の発見は、多くの科学者は若いときに成し遂げますよね。これは社会的能力とは別でしょう。
私が総理秘書官や復興庁で仕事ができたのも、それまでの経験と人脈があったからです。この二つは、経験を積まなければ身につきません。人工知能が代行できるでしょうか。仕事で身につく能力、つけなければならない能力が議論されていますが、「社会的能力」という見方はよい視角です。
ただし私が議論したいのは単なる(世間を生きていく)社会的能力でなく、組織における「部下としての能力」と「管理職としての能力」「幹部としての能力」です。「国家公務員に必要な57の技能」「官民転職増加、技能の見える化へ」

記事にあるように、若いときに記憶力や処理速度が早いことは納得します。高齢期に語彙力が大きくなるのは、蓄積があるからでしょうが、忘れることも多いですよね。なかなか単語が出てこないのです。なにより歳を取ると、体力が落ち、気力も減ります。新しいことへの挑戦や、付き合いなども面倒になります。個人差はあるでしょうが。

「停止は退歩を意味する」

2026年9月10日   岡本全勝

「停止は退歩を意味する」。野村證券の創業者、野村徳七さんの言葉だそうです。野村證券のサイト「創業の精神十カ条」の第5番目。
「常に一歩前進することを心がけよ。停止は退歩を意味する」

個人にとっても、企業にとっても、役所にとっても、当てはまる言葉です。
特に競争の激しい産業界では、停止していると他社が進み、相対的に退歩になります。そして衰退します。日本経済の長期停滞の原因の一つです。企業が「リストラ」などに力を入れ、他方で新しい事業への挑戦を怠りました。縮小思考、失敗を恐れる保身哲学は、新しいことへの挑戦をためらわせ、現状維持に傾きます。
役所も行政改革の言葉の下で、新しい課題に取り組むことが遅れました。

集中することと、眺めること

2026年9月1日   岡本全勝

原稿を書いていて、時々立ち止まって、眺めてみます。集中してせっせと文章を続けているのですが、これでよいのか、全体の流れからこれは必要だろうか、この先はどのように展開していけばよいだろうかと考えるのです。

仕事にしろ勉強しろ、集中することは良いことです。そうしないと、よい成果は得られないでしょう。ところが、集中していると、ほかのことが目に入りません。深掘りと周囲確認、蟻の目と鷹の目の違いです。「行政の中を考える、社会の中の行政を考える」
この方向で進んで良いのか、ほかのやり方今やっていることが本当に価値あることか、もっとほかに重要なことがあるのではないか。学生や従業員の場合は、与えられた課題を処理すればよいので、集中するだけですみます。しかし、管理職や幹部になると、鷹の目が必要です。従業員が頑張っていても、方向を間違っていては、成果は上がりません。

政治家や官僚も、自分の関心あることに集中していると、ほかの世界を忘れてしまいます。世界の中で、自分がやっていることを位置づけることが必要です。そして、一つのことに没頭していると満足感があるのです。しかし、それはよいことではありません。
睡眠時間を削って頑張っている政治家が話題になっていますが、一時的には良いとしても、それが続くと褒められたことではありません。他人に任せることができることは任せて、本人しかできないことに力と時間を割くべきです。そして、余裕を持って眺めないと、周囲は見えません。上に立てば立つほど、余裕を持って、全体を眺めなければならないのです。
「深掘りと周囲確認」については何度も書いていますが、再度、書いておきます。

書類がどこにどれだけあるかわからない

2026年6月26日   岡本全勝

文書事務が電子化され、便利になりました。作成や加筆作業とともに、保管と取り出しです。かつて紙だった時代は、机の上や周囲に山積みになり、書棚も満杯になりました。
しかし、二つの利点がありました。一つは、どこに何があるかが見えたことです。山積みの資料の下の方は「化石」になって、存在を忘れることもありましたが。書棚の背表紙を見ると、どこに何があるかわかりました。もう一つは、分量が一目でわかったことです。分厚い資料なのか、薄い資料なのかが、即座にわかりました。
もう一つ加えるなら、書棚に入りきらなくなったり机に積めなくなったりしたら、やむを得ず不要な書類を捨てました。書類整理と破棄を強制されたのです。

文書の電子化は、このような「利点」をなくしてしまいます。するとどうなるのか。仕事の書類と、個人の書類(作成途上の文書や勉強のための資料)で異なります。
1 仕事の書類
これは、職場の共有フォルダーに置かれ、関係者が見ることができます。そして完結したら、重要度に応じて、保存ファイルに移されるのでしょう。
問題は、誰も責任を持たないまま保管された書類です。共有フォルダーでは、しばしば起きます。担当者が異動したり、古くなったまま放置される書類です。書棚にあった時代は、入りきらなくなると、古いものは捨てましたが、電子書類は場所を取らないので、いつまでも放置されます。毎年、時期を決めて大掃除をする必要があります。
2 個人の書類
これは、各自の責任です。個人フォルダーに入っているなら、移動しても持って行きます。職場によっては、容量に上限を決めてあって、たくさんの書類を保管できないようにしているところもあります。

大学の先生に聞くと、学生も困っているようです。科目ごとに、教科書や配付資料、レポート課題などが配られます。電子資料は場所を取らず、重くもないので便利ですが、どこに何があるかがわからなくなります。紙の教科書や資料を見ていた時代は、「これから、これだけ読まなければならない」とわかったのですが、それが把握できなくなったのです。
仕事を進める方法として「見える化」「可視化」が教えられます。書類の電子保存は、この逆で「見えない化」「隠す化」ですね。

私は紙の本しか読まないのですが、電子書籍だと、全体のうちのどれくらいを読んだのかわからないのが嫌です。また、書棚にあふれ、書斎の床に積み上げなくてもよくなるでしょうが、パソコンのどこに何がどれくらいあるかわからなくなり「行方不明」になったのと同じでしょうね。まあ、書棚の本を把握できていないから、実態は同じかもしれませんが・・・。