投稿者アーカイブ:岡本全勝

学校へのスマートフォンや携帯電話の持ち込み

2020年7月11日   岡本全勝

7月9日の読売新聞解説欄は、「中学校にスマホ 現場の課題」を取り上げていました。
・・・文部科学省は、中学生がスマートフォンや携帯電話を学校に持ち込むことを容認する素案をまとめた。登下校中、災害や犯罪に巻き込まれた時の緊急連絡手段とする想定だが、携行時間が長くなることによる問題点も指摘されている。学校現場はどう対応していくべきか、3人の識者に聞いた・・・

悩ましいですね。多くのご父兄が、悩んでおられるのではないでしょうか。
便利だけれど、危険も一杯。しかし、禁止しても、子どもの多くは既にスマホを持っています。そして、パソコンやインターネットを使いこなす必要もあります。
お酒や麻薬は禁止すれば良いのですが、スマホはいずれ使うことになるでしょう。危険であることを教える教育も必要です。火や包丁と同じです。
すると、年齢や発達状況に応じて、使い方を教えることが重要でしょう。小学校低学年なら、まずは携帯電話だけで、親などに連絡が取れるように。そして、徐々に電子メールやインターネットの使い方と、危険性を教えるのでしょうね。

過去の記事
子どもへのスマホの使い方教育」「小中学校でのスマホ禁止」「スマホの副作用

「梅棹忠夫の日本の宗教」2

2020年7月11日   岡本全勝

梅棹忠夫の日本の宗教」の続きです。その本では、次のような項目が予定されていました。
神社、氏神、祭り、伊勢参り、ハレとケ、地鎮祭と竣工式
仏教、寺院建築、庭園、僧侶、縁起、因果応報、神仏習合、廃仏毀釈、禅、精進料理、巡礼
巫女、恐山、霊験、寄進、修験道
道教、たたり、まじない、大安仏滅、七福神
葬式、墓参り、冠婚葬祭などなど。
その幅広さに納得します。文化人類学の本領発揮です。でも、なぜ先生のような視点からの議論や研究が、広がらなかったのでしょうか。

また、日本人が複数の宗教を信じることについて、それが混じり合っているのではなく、「神々の分業」であると指摘されます。これは、私たちの感覚に合いますよね。お正月は神道、結婚式はキリスト教、葬式は仏教、神頼みは神道と、目的によって宗教を使い分けているのです。
私は、このような宗教の利用は、生き方の指針や悩んだときの相談として、宗教が機能していないことです。神々の分業は、物を買うように、その時々の目的に合った神を買うのですが、心の拠り所としての神ではないのです。それは、死を迎えたときに明らかになります。

ここは、連載「公共を創る」でいずれ触れなければならないので、しばらく温め続けます。返す返すも、梅棹先生の本が出版されなかったことが残念です。

連載「公共を創る」第48回

2020年7月10日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第48回「日本は大転換期―利便性と引き換えに負の面も」が、発行されました。

平成時代の、身の回りの変化を論じています。今回は、便利になった裏側で、負の面も進んでいたことを取り上げました。
郊外に大型店が立地し、中心市街地が寂れました。公共施設なども郊外にできて、車でないと行けなくなりました。街歩きができないのです。
アパートやマンションが増え、隣近所付き合いが薄くなりました。住民が町に集中する一方で、田舎は人が減り、空き家が増えました。耕作放棄地も目立ちます。

その次の話題として、平成初期に地方行政関係者の間で流行した、3Kを説明します。高齢化、高度情報化、国際化です。

千葉県庁で講演

2020年7月9日   岡本全勝

今日7月9日は、千葉県庁に、管理職研修の講師に行ってきました。当初はもっと早い時期に予定されていたのですが、コロナウィルスの影響で、今日になりました。
200席の会場に、80人あまりの受講生です。皆さん、熱心に聞いてくださいました。広い会場で、空席を作って座るようにしてありました。演壇の私との距離も遠く取ってあり、私はマスクなしでしゃべることができました。

演題は、危機対応です。千葉県では、昨年10月に豪雨災害に見舞われました。対応が遅れたのではないかと、批判が出ました。
これまで災害の少なかった地域でも、地震や風水害が起きています。安全だと思われていた地域も、安心しておられません。また、管理職としては、地域の危機と、職場の危機にも対応しなければなりません。新型コロナウィルスは、その両方です。住民の安全と、職員・職場の安全を守らなければなりません。

前例があることなら、役所は上手に対応します。経験があり、知識も蓄積されています。対応要領があり、訓練なども行います。前例のないことにどのように対応するか。これは、難しいです。
私のいくつかの経験を元に、役に立つであろうことを話してきました。こんな時は、経験や失敗の数が多い方が、話に具体性が出るのですよね(うれしいやら、悲しいやら・・)。

「梅棹忠夫の日本の宗教」

2020年7月9日   岡本全勝

梅棹忠夫著・中牧弘允編著『梅棹忠夫の日本の宗教』(2020年、淡交社)を読みました。梅棹先生が亡くなられてから、10年が経ちます。この本は、少々複雑な方法で、できたようです。出版社の紹介には、次のようにあります。
・・・淡交社が昭和44年より刊行した「世界の宗教」シリーズの掉尾12巻は、梅棹忠夫著「日本人の宗教」を予定するも、刊行が叶いませんでした。本書では、梅棹資料室に残されている、執筆のメモ書きに相当する「こざね」約350手掛かりに、氏がどういう話を展開しようとしていたのか、中牧弘允氏が推理しました。本稿を中心に、日本宗教に関する梅棹氏の論考・対談を集めて、幻の「世界の宗教」第12巻「日本人の宗教」を、生誕100年(没後10年)を機に刊行します・・・

中牧先生のおかげで、梅棹先生がどのような視点で、どのような項目を立てておられたかが再現されています。それを見ると、梅棹先生らしい視野の広い研究で、本にならなかったことがとても残念です。
私は、これまでの思想や宗教論が、知識人、提供者側の議論であって、受け手である庶民の視点が抜けていることに不満を持っています。「日本の思想史」「エリート文化と民衆文化
梅棹先生は、「メーカーの論理とユーザーの論理」と指摘されます。そして、ユーザーの立場から、日本の宗教状況を議論する予定だったようです。「宗教状況」という言葉が、ユーザーからの議論になっています。私の言いたいのは、まさにこれです。
この項続く