投稿者アーカイブ:岡本全勝

イギリス産業革命以前の起業家

2021年9月5日   岡本全勝

ジョオン・サースク 著『消費社会の誕生─近世イギリスの新規プロジェクト』(2021年、ちくま学芸文庫)が、勉強になりました。

イギリスの産業の歴史と聞くと、産業革命を思い浮かべます。突然、革命が起きたのか。そうではありません。それ以前に、地方の町や農村に家内制手工業が発展します。亜麻布、靴下、台所用品などなど。政府や知識人たちは、穀物生産が第一、国内消費向けの産業育成より海外貿易重視です、しかし、農地を追われた人、働くところのない人たちが、これらの手工業に従事し、貧民対策としても広がります。副収入を得ることができるのです。
それらの多くは、品質がよくなく、また規格もバラバラです。知識人はそれを嘆きますが、これらの製品は輸出ではなく、国内で消費されます。貧しい人にとっては、立派で高価な品物より、少々粗雑でも安い物が受け入れられます。ここに、生産と消費の好循環が生まれます。16世紀、17世紀の発展です。

庶民の行動(収入を得たいという願望、身の回りのものを買いたいという欲望)が、社会を動かします。そして、一部の人の「新奇な行動」が各地の人たちに広がります。庶民の行動と通念の変化が、社会を変えていきます。

著者は、地方経済史の専門家です。かつての権力を中心とした政治史ではなく、地域社会から歴史を分析します。正確な生産や売買の記録はないのですが、残された記録を元に、議論を組み立てます。面白いです。
1984年に東大出版会から出版されたものが、今回文庫本になりました。このような学術書が簡単に読めるようになるのは、ありがたいですね。

世相を反映する消費者物価指数の品目見直し

2021年9月5日   岡本全勝

8月21日の朝日新聞に「消費者物価指数、品目見直し」が載っていました。
・・・ 消費者が買うモノやサービスの値動きを示す「消費者物価指数」の対象品目が見直された。最近の消費の変化を反映させ、なるべく物価の動きを正しくつかめるようにするためだ。見直しは5年ごとで、その品目の移り変わりには、時代の変化が色濃く映し出される。
20日に公表された7月分の指数から見直し後の「2020年基準」が適用された。これまでの「15年基準」に比べ、各家庭でよく買うようになった30品目が加えられ、あまり買わなくなった28品目が除かれた・・・

今回の改訂(別表1)で除かれたのは、携帯型オーディオプレーヤー(ウォークマン)」、ビデオカメラ、固定電話機、電子辞書などです。幼稚園保育料は無償化で外されました。他方で追加されたのは、タブレット端末、ドライブレコーダー、カット野菜、学童保育料などです。社会の変化が見て取れます。

記事には、1960年以降の主な品目入れ替えが、表になって載っています。何が新しく追加されたかとともに、使われずに除外された品目も興味深いです。
1960年にはマッチとわら半紙が外れ、1970年にはかんぴょうと学生帽、1980年には白黒テレビと削り節、1990年にはレコードと万年筆、2000年には2槽式電気洗濯機とカセットテープ、2005年にはミシンとビデオテープ、2010年には写真フィルムとやかん、2015年にはお子様ランチと電気アイロンです。年寄りには、懐かしいです。
もっと詳しく見ると、世の移ろいが、わかるのでしょうね。

ニクソン・ショック50年、国民生活改善2

2021年9月4日   岡本全勝

ニクソン・ショック50年、国民生活改善」の続きです。8月26日の日経新聞経済教室、岡崎哲二・東京大学教授の「国民生活改善への転機に」から。

・・・第2に企業経営については、ニクソン・ショック後の円高が企業の本格的な国際化の引き金になった。トヨタ自動車の社史は、拡大しつつあった同社の対米輸出にとって「アメリカ政府による新経済政策、いわゆるニクソンショックと、それに続く円高時代の到来は大きな衝撃であった」と記している。これに対応するため、米現地法人の経営幹部に米国人を登用するなど「現地主義経営体制」を導入するとともに、欧州諸国への輸出を本格化した・・・

・・・第3に円高は日本経済の国際的地位を引き上げた。図には円ドルレートとともに、それにより換算した国内総生産(GDP)と1人当たりGDPの日米比を示した。円高の進行に伴い、70年に米国の約20%だった日本のGDPは80年には約40%となり、日本は文字通り経済大国としての地位を確立した。75年に仏ランブイエで開催された6カ国による第1回先進国首脳会議に日本が招かれたのは、これを象徴する出来事だ。

最後に国民生活も大きく変化した。為替レートで換算した日本の1人当たりGDPは80年に米国の77%に達した。個々の国民の視点からみると、円高は輸入品や海外で購入する財・サービスの価格を低下させた。
例えば60年代、海外旅行は大多数の国民にとって文字通り夢のような対象だったが、80年代には大学生が卒業記念に海外に行くことが珍しくなくなった。実際、70年に66万人だった年間の日本人出国者は85年には495万人に増えている。
ニクソン・ショック後の円高は経済成長の果実を国民に広く分配することを通じ、日本人にそれまでにはない豊かさをもたらした・・・

戦後の日本の経済成長を語るとき、高度経済成長に光が当たりますが、ここに述べられているように、1971年のニクソン・ショックとその後の円高、さらに石油危機を乗り越えた対応も、重要なことでした。
この記事には、1955年以降の円ドルレート、GDPと一人あたりGDPの日米対比の推移が図で載っています。GDPと一人あたりGDPの日米対比を見ると、日本経済の盛衰がよくわかります。1990年代半ばを頂点として、鋭い山形を描いています。上昇と下降です。
一人あたりGDPは、1955年にはアメリカの1割程度だったのが、(1980年代の円安による落ち込みを除き)右肩上がりに上昇し、1990年代半ばにはアメリカの1.5倍になります。その後は急速に下落し、現在では6割程度です。1970年代に逆戻りしています。ドル換算なので、私たちの実感と外れていますが、世界における日本の実力はこれなのです。

瀬地山角教授の家事男子

2021年9月4日   岡本全勝

日経新聞夕刊「時短家事」という欄があり、瀬地山角教授が「カジダンへの道」を連載しておられます。家事男子と言うことでしょうね。毎月月末に載るようです。

子育てで仕事セーブした40代、後悔ない」(7月27日)から。
・・・夕食の支度をし、帰宅したパートナーと家事を分担し、食事をして子供をお風呂に入れ、洗濯物を乾燥機に入れ、一息つけるのは夜10時。そこから仕事をすればいいのだが、エネルギーが残っていない。これをほぼ一人でやっている世のお母さんは本当にすごいと感心した。
子供が小さいときは仕事の時間が取れず、論文や著書などの研究実績が残せなかった。仕事をセーブして子育てに関わることは、自ら選んだ道のはずなのに、研究が進まないプレッシャーでうつ病を発症した。子供の手が離れ始めた2、3年前から本を書くなど、恐る恐る仕事のギアを上げている。
仕事の面では40代は失われた10年だった。それでも、「歩いた」「初めて25メートル泳げた」など、できることが増えていく子供の成長を身近で感じられた日々は宝物だ・・・
・・・ノーベル賞を2つくれてやると言われても、盆暮れ正月以外はずっと研究室にいた、なんて生活は選ばなかっただろう・・・

「家事はこうすべき」を疑う」(8月31日)は、表題通りの家事の「手抜き」です。
手抜きと称されるやり方について、「批判するなら、あんたもやってみろ」という精神があふれています。
子育てや家事をせず、孫の世話くらいで音を上げている「昭和の仕事人間」は、今頃になってその意味がわかります。反省。
でも「家事男子」という言葉が必要な社会は、まだ男女共同参画ではありませんね。過渡期と言うことでしょう。

組織を作り動かす2

2021年9月3日   岡本全勝

組織を作り動かす」の続きです。

私は、過去に新しい組織を作って、混成部隊で仕事をする経験がありました。省庁改革本部再チャレンジ室です。また、ほかの組織の失敗事例を見てきました。
取り組むべき課題を整理し、職員を集めることも重要なのですが、その組織を動かすことはもっと難しいです。

各分野に精通した職員を、それぞれの省庁から呼び集めます。方向性さえ統一すれば、それぞれの分野については彼らに任せればよいのです。ところが、彼らの間での、仕事の進め方を共通にすることが難しいのです。
職員たちに何をしなければならないかを理解させ、どのように仕事を進めるかを考えてもらい、上司に判断を仰ぐものと自分で判断するものとの線引きを作り、そして上司の指示を待たずに課題に取り組むようにしなければなりません。
ところが、各省ではそれが文書決裁規定に定められ、慣習ができています。そして各省において、この慣習は異なるのです。「これは誰に相談するか」「どのように起案して決裁を回すか」などです。それを一からつくる必要があるのです。
知らない職員同士が、異なった社風で仕事をすると、放っておくと、歯車がかみ合いません。これを軌道に乗せる、みんなで助け合い、同じ目標に進む、そして誰に相談すればよいかをわかるようにすることが、重要なのです。

大震災で支援本部の運営が比較的うまく行ったのには、それ以外の条件もあります。
まず、被災地で困っている大勢の被災者がいて対応を急ぐ必要があったこと、少々の間違いや混乱があっても対策を急いだことです。前例はなく、根回しをしている時間がありません。
また対応を急ぐために、決裁も簡略化しました。職員から参事官に相談し、直ちに統括官に上げて判断する。難しいものは毎日の大臣たちを入れた幹部会議で決定するという、まことに簡素な意思決定過程でした。
記録には残しましたが、このような知恵と経験は、どのように後輩たちに引き継ぐのがよいのでしょうか。