ニクソン・ショック50年、国民生活改善2

ニクソン・ショック50年、国民生活改善」の続きです。8月26日の日経新聞経済教室、岡崎哲二・東京大学教授の「国民生活改善への転機に」から。

・・・第2に企業経営については、ニクソン・ショック後の円高が企業の本格的な国際化の引き金になった。トヨタ自動車の社史は、拡大しつつあった同社の対米輸出にとって「アメリカ政府による新経済政策、いわゆるニクソンショックと、それに続く円高時代の到来は大きな衝撃であった」と記している。これに対応するため、米現地法人の経営幹部に米国人を登用するなど「現地主義経営体制」を導入するとともに、欧州諸国への輸出を本格化した・・・

・・・第3に円高は日本経済の国際的地位を引き上げた。図には円ドルレートとともに、それにより換算した国内総生産(GDP)と1人当たりGDPの日米比を示した。円高の進行に伴い、70年に米国の約20%だった日本のGDPは80年には約40%となり、日本は文字通り経済大国としての地位を確立した。75年に仏ランブイエで開催された6カ国による第1回先進国首脳会議に日本が招かれたのは、これを象徴する出来事だ。

最後に国民生活も大きく変化した。為替レートで換算した日本の1人当たりGDPは80年に米国の77%に達した。個々の国民の視点からみると、円高は輸入品や海外で購入する財・サービスの価格を低下させた。
例えば60年代、海外旅行は大多数の国民にとって文字通り夢のような対象だったが、80年代には大学生が卒業記念に海外に行くことが珍しくなくなった。実際、70年に66万人だった年間の日本人出国者は85年には495万人に増えている。
ニクソン・ショック後の円高は経済成長の果実を国民に広く分配することを通じ、日本人にそれまでにはない豊かさをもたらした・・・

戦後の日本の経済成長を語るとき、高度経済成長に光が当たりますが、ここに述べられているように、1971年のニクソン・ショックとその後の円高、さらに石油危機を乗り越えた対応も、重要なことでした。
この記事には、1955年以降の円ドルレート、GDPと一人あたりGDPの日米対比の推移が図で載っています。GDPと一人あたりGDPの日米対比を見ると、日本経済の盛衰がよくわかります。1990年代半ばを頂点として、鋭い山形を描いています。上昇と下降です。
一人あたりGDPは、1955年にはアメリカの1割程度だったのが、(1980年代の円安による落ち込みを除き)右肩上がりに上昇し、1990年代半ばにはアメリカの1.5倍になります。その後は急速に下落し、現在では6割程度です。1970年代に逆戻りしています。ドル換算なので、私たちの実感と外れていますが、世界における日本の実力はこれなのです。