投稿者アーカイブ:岡本全勝

見知らぬ人との会話

2022年9月30日   岡本全勝

9月16日の朝日新聞オピニオン欄、デイビッド・ブルックス、ニューヨークタイムス・コラムニストの「見知らぬ人との会話 不安は思い込み、もっと幸せに」から。

ある日、ニコラス・エプリー教授はシカゴ大学のオフィスに電車で通勤していた。行動科学の専門家である彼は、社会的なつながりが私たちをより幸せにし、健康にし、多くの成功をもたらし、幸福な人生へと導くことを理解している。ところが、電車内を見渡して気づいた。誰かと話をしている人が一人もいないのだ。みんなヘッドホンをしているか、新聞を読んでいるかだった。
そこで疑問が浮かんだ。私たちは一体ここで何をしているんだ? 自分を幸せにしてくれる行動をなぜ取らないのだろう。
エプリー氏は、人々が電車や飛行機で知らない人と会話するのを嫌がる理由の一つが、それが楽しいものになると思っていないからだということを見いだした。気まずく、退屈で、疲れるものだと信じているのだ。あるオンライン調査では、待合室で見知らぬ人と話すと答えた人はわずか7%で、電車でも24%しかいなかった。

しかし、こうした予測は正しいのだろうか。エプリー氏の調査チームは、これについて数年間研究を続けてきた。彼らは人々に見知らぬ人との出会いについて予測をしてもらい、その後、実際はどうだったか尋ねた。
調査チームは、私たちのほとんどが見知らぬ人との出会いをどれほど楽しめるかについて、体系的に誤った思い込みをしていることを突き止めた。知らない人と会話をしようとすると快適さが損なわれると通勤者らは考えたが、実際の体験は正反対だった。見知らぬ人と会話することを指示された人たちは一貫して、人と話さないように言われた人よりも道中を楽しんだ。内向的か外向的かを問わず、一人で乗車するより会話を楽しむ傾向があった。

こうした誤認識の多くは、さらに深い誤解に基づいている。それは、人が自分をどう見ているかということだ。会話を始めることは、特に知らない人との場合、難しい。「うまく会話を始められるだろうか。自分の考えを効果的に伝えられるだろうか」と、自分の能力に疑問を抱きながら会話を始めるのだ。
だが、調査からわかるのは、会話中に人はあなたの力量を第一に考えているわけではないということだ。考えているのはあなたの温かさだ。親しみやすく、親切で、信頼できる人に見えるか。あなたが気にかけてくれているのかを知りたいだけなのだ。
エプリー氏の研究は、私がしばらく考えていた謎を解き明かしてくれる。私たち物書きの多くは社会的なつながりの崩壊について書いてきた。最近では「孤独の世紀」「つながりの危機」「失われたつながり」といった題名の本が出版されている。
孤独な人がたくさんいるのなら、なぜ一緒に過ごさないのだろう。それはおそらく人々が非現実的なほどの不安と否定的な予測を抱きながら見知らぬ人に向き合おうとしているからだ。このことを理解すれば、私たちは行動を変えることができるかもしれない。

「歴史学の擁護」

2022年9月29日   岡本全勝

リチャード・J.エヴァンズ著『歴史学の擁護』(2022年、ちくま学芸文庫)を、ようやく読み終えました。歴史学とはどのようなものか、どうあるべきかについては、E・Hカーの『歴史とは何か』(岩波新書)が有名です。近藤和彦先生による新しい翻訳も出ました。そこに掲げられた「歴史は現在と過去のあいだの対話である」は有名ですし、有効です。

しかし、原著は1961年に出版されました。歴史学(欧米の)は、当時とその後に大きな転換をしました。政治史から、経済史や民衆史、文化史へと広がったこと。また、事実とは何かという疑問(解釈する人によって異なること。ポストモダニズム)などから、私が学生時代に学んだ歴史学とは全く様変わりしました。歴史家、歴史学者によって、さまざまな考え方があるようです。それをわかりやすく書いた本はないかと、探していたのです。

この本は、まさに20世紀の歴史学の変化を説明してくれます。また、極端な相対主義を論駁します。少々分厚いことが難点なのと、歴史学者同士の「批判」が厳しくて私には付いていけないところがありました。
カーの『歴史とは何か』以降の歴史学を知るためには、良い本だと思います。
歴史の見方の変化」「歴史学は面白い

なぜ叱ってしまうのか2

2022年9月29日   岡本全勝

なぜ叱ってしまうのか」の続きです。今度は、職場でです。

――パブリックな空間にも広がっているということですか?
「家庭以上に権力の格差がはっきりしている会社のような組織では、部下を指導する自分の方が正しい、と上司は思い込みがちです。人は、ルールに違反した相手に罰を与えると、脳の報酬系回路が活性化する。強く活性化した人ほど、相手に罰を与えようとする傾向があることが、実験で確認されています。つまり、叱る依存の落とし穴にはまりやすい」
「処罰感情の充足が人間の欲求の一つなら、人間がつくる社会の仕組みに影響を与えないはずはありません。最近も、ネット上の誹謗中傷対策として『侮辱罪』が厳罰化されました。とりあえずの抑止効果はあると思いますが、人を公然と侮辱することに快を感じている人が、厳罰化されたから改心するでしょうか。どうすれば再犯予防できるかの議論が必要なのに、『悪いやつには罰を』という処罰感情の充足で終わっている。社会も『叱る』に依存しているということではないでしょうか」

――他方で、企業ではパワハラと受け取られないかと、叱ることを怖がる風潮も強まっています。私自身も管理職ですが、必要な指導を躊躇してしまうことも……。
「それもむしろ、叱ることの効果を過大視していることに原因があります。効果があると思い込んでいるから、処罰感情が募り、依存する。行きすぎる。大して効果がないと認識していれば、叱ることを怖がることはありません」
「パワハラ上司扱いされたくないから必要な指導もしないのは、企業にとって損失です。近年、こうした傾向への解決策として、職場で自由に意見できる『心理的安全性』が重視されています。心理的安全性があれば、処罰感情もわきにくいのではないでしょうか」

――具体的にどうすれば?
「叱られる相手が行動しない理由が『できないから』なのか、『しないから』なのか、見極めることが大事だと思っています。特に子どもの場合、過去に一度できたことが毎回できるとは限りません。『この間はできたのに』ではなく『まだこの子は50%しかできないんだな』と考えるだけで、だいぶ違う世界が開けてきます」
「その上で、どんなサポートがあれば『できない』が『できる』に変わるのか、と考えてみるのです。叱る、叱らないではなく、新しい方法を試行錯誤するうちに気づいたら叱らなくなっていた……というのが、目指したい姿です」

――「叱る」を手放せたら、社会も変わりますね。
「そのためには、人は叱られ、その苦痛から学んでこそ成長するという『苦痛神話』から脱却しなければなりません。人は叱ることに依存する。でも、叱るだけでは人は学ばない。これが社会の常識としてインストールされれば、もっと生きやすい世の中になるのではと思います」

心当たりのある方は、原文をお読みください。職場で部下を叱って、良いことはありません。それは指導ではなく、怒っている本人が自分の感情を制御できていない、感情のはけ口にしているのです。『明るい公務員講座 管理職のオキテ』第2講をお読みください。

高橋公さん

2022年9月28日   岡本全勝

日経新聞夕刊「人間発見」、9月26日からは、高橋公・ふるさと回帰支援センター理事長の「地方移住をインフラに」です。
・・・都市から地方へ移住したい人と、都市から移住者を受け入れたい地方自治体をつなぐ認定NPO法人、ふるさと回帰支援センター。これまでなかったこの取り組みを、持ち前の行動力と人脈で引っ張ってきた・・・
2002年のセンター設立以前から、中心となって活躍しておられます。当初は月に20件の相談だったのが、今では4000件になっているとのことです。

私は自治省交付税課課長補佐の時に、当時は自治労の高橋さんと出会いました。労働組合は私たちにとって「怖い敵」だったのですが、お互いの立場が理解できると、親しくなりました。筋を通しつつ、どうしたら自治体現場の職員たちがよりよく働けるか、それを交付税の算定に反映できるかです。

ゴミ収集車の作業員は、1台あたり2人で算定していたのですが、調査すると1台あたり2.6人でした(記憶が不確かですが)。自治労からは「現場の実態を、交付税の算定に反映させよ」という要求がありました。でも、標準団体を想定するときに、端数の付く人数を設定することができません。私も悩みました。現場の平均は2.6人、それを標準団体に置き換えることができないか。
思いついたのが、1台あたりで計算すると端数はつけることができませんが、例えば収集車2台で5人とすると1台あたり2.5人になります。コロンブスの卵のような発想転換です。その方向で、担当職員に標準団体の経費を作り直してもらいました。これは、課長にも自治労にも褒めてもらいました。

その頃には、早稲田大学の学生運動の闘士の面影はなく、人の良いおじさんに見えました。私たちは、「ハムさん」(公を分解して)と呼んでいます。

なぜ叱ってしまうのか

2022年9月28日   岡本全勝

9月16日の朝日新聞オピニオン欄、臨床心理士・村中直人さんへのインタビュー「なぜ叱ってしまうのか」から。
・・・ほめて育てたいのに、叱ってしまう。叱っているうちに、だんだん止まらなくなる――。私たちはなぜ、叱るという行為にふりまわされるのか。臨床心理士の村中直人さんは「叱る」には依存性があり、その効果が過大評価されているからだと言う。とはいえ、一切叱らない聖人君子にはなれない。「叱る」とのつきあい方を聞いた・・・

――子どもを叱った後は自己嫌悪に陥るのに、また叱ってしまう。どんどんエスカレートし、抑えられなくなることがあります。約束の時間になっても宿題を始めないときとか、親に口答えしたときとか……。
「心の奥では、子どもが自分の言葉に反応し、思い通りに動いてほしいと思っていませんか? そういう意味では、叱るという行為は即効性があります。それだけでなく、『相手が自分の言葉に従う』という自己効力感が得られるし、『悪いことをした人を罰したい』という処罰感情も満たせる。こんなにごほうびがあれば、『叱る』に依存性があっても、おかしくはありません」

――では、私は叱ることに「依存」しているのですか?
「乱暴な言い方をすると、人間が毎日のように続けている行動は、習慣か依存のどちらかです。例えば毎日ランニングする人は、習慣化するほど楽に走れているか、走ることで得られる『快』に依存しているか、です」

――でも叱った後は後悔し、快い感情とはとても言えません。
「後悔は、『してはいけないことをしてしまった』という二次的な感情です。一方で、処罰感情は生まれながらに持っている欲求です。生来的な欲求は二次的感情に勝ってしまいます」

――とは言え、教育上、必要だと思うから叱っているのですが。
「誤解しないでほしいのは『一切、叱ってはいけない』とも、『叱ることへの依存は心の病だ』とも言っているわけではないということです。私には小学生の息子がいますが、普通に叱っています。例えば、子どもが私のあごに体を押しつけてきて、『やめて』と何度言っても聞かないとき。言い聞かせても人が嫌がることをやめないときは、私も叱ります」
「ただ、親は『教育的効果がある』と思っていても、実は子どもの学びにつながっていないことも多々あります。叱ることの効果と限界を、知ってほしいのです」

――効果と限界、ですか。
「たとえば、命にかかわるような危険な行為や、誰かを傷つけるなど、絶対にしてはいけないことをやめさせる危機介入には、叱ることが一番効果的です。約束の時間になっても宿題をしないことをこっぴどく叱られ、『また叱られたら嫌だな』と、その行動を自ら避けるようになるといった抑止効果もあります」
「しかし、子どもにとって叱られることは、苦痛な時間以外の何ものでもない。『この状況から早く逃げ出すには、早く宿題をした方が得かも』と、とりあえずやっているだけかもしれません」
「不安や恐怖を感じると、知的な活動に重要だと考えられている脳の前頭前野の活動が大きく低下します。親は『時間を守る大切さを学んでくれた』と思っていても、実は子どもはそのとき何かを学んでいるのではなく、その場しのぎで対処しているだけ、ということもあり得るわけです」