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岸宣仁著『事務次官という謎』

2023年5月13日   岡本全勝

岸宣仁著『事務次官という謎 霞が関の出世と人事』(2023年、中公新書ラクレ)が、出版されました。長年、大蔵省・財務省を中心に官僚を取材してきた記者による新書です。

アマゾンには、次のような紹介があります。
・・・「事務次官という謎」を徹底検証!
事務次官、それは同期入省の中から三十数年をかけて選び抜かれたエリート中のエリート、誰もが一目置く「社長」の椅子だ。
ところが近年、セクハラ等の不祥事で短命化が進み、その権威に影が差している。官邸主導人事のため省庁の幹部が政治家に「忖度」しているとの批判も絶えない。官界の異変は“頂点”だけに止まらない。“裾野”も「ブラック」な労働環境や志望者減、若手の退職者増など厳しさを増す。
いま日本型組織の象徴と言うべき霞が関は、大きな曲がり角を迎えているのだ。事務次官はどうあるべきか? 経験者や学識者に証言を求め、歴史や法をひもとき、民間企業や海外事例と比較するなど徹底検証する。長年、大蔵省・財務省をはじめ霞が関を取材し尽くした生涯一記者ならではの、極上ネタが満載・・・

第1章「その椅子のあまりに軽き――相次ぐ次官辞任劇の深層」に、過去31年間に問題で辞職した事務次官17人の事例が、表になって載っています。実名は避けられていますが、年月と省庁名、事案の概要が書かれています。これを見たときには、驚きました。こんなに多いのかとです。多くの案件は忘れていましたが、一つ一つを見ると思い出します。官僚の不祥事での処分は多いですが、次官がこれだけも辞めているとは。それらには、組織の不祥事の責任をとった場合と、本人の問題でやめた場合が含まれています。

私も取材を受け、話をしました。3か所で、私の発言が取り上げられています。私のほかは、黒江哲郎・元防衛次官が話しておられます。武藤敏郎・財務次官も少し出ておられます。ほかにも次官経験者の話が出ていますが、実名が出ることを条件に取材に応じた次官経験者は、この3人だけだったようです。
何を話しても世間からたたかれるようなご時世なので、取材を受けないことも一つの処世術でしょう。私は、著者の思い込みや噂などによる間違ったことを書かれると困ると思い、幅広にお話ししました。また、高い評価から急激に低下した官僚を同時代として経験した一人として、その反省も話しておくべきだと考えたからです。話したうち取り上げられたのはごく一部ですが、ほかの部分の執筆でも参考になったことがあればうれしいです。

私が官僚になった頃は、いくつも官僚を題材にした本が出ていました。その後は取り上げられることも少なくなり、出るとしたら今回のような扱いです。その変化に、改めて驚きます。
学者の研究でなく記者によるもの、中公新書ではなく中公新書ラクレであることを理解のうえ、お読みください。

祝日大国ニッポン

2023年5月13日   岡本全勝

4月28日の日経新聞夕刊に「「祝日大国ニッポン」どこへ向かう 年16日はG7最多」が載っていました。

それによると祝日の数は、日本が16日に対して、アメリカ・カナダ・イタリアが12日、フランスが11日、イギリスが10日、ドイツが9日です。他方で有休の取得率はドイツが93%、イギリス・フランス・アメリカが8割台、イタリアが77%で、日本は60%です。

日本人が働き蜂だという説は、職場への愛着度が世界でも飛び抜けて低いことから否定されています。休日の数と有休取得率に見ることができるのは、「みんなで一緒になら休む、休みたい。一人で休むのは(周囲の目があるから)嫌だ」ということでしょうか。

カンボジアPKOから30年

2023年5月12日   岡本全勝

5月3日の日経新聞が、「PKO犠牲30年で慰霊式 カンボジア殉職の高田警視」を伝えていました。
・・・国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の文民警察官として派遣され、国連平和維持活動(PKO)に従事した岡山県警警視の高田晴行さん(当時33)が1993年に殉職してから4日で30年になるのに合わせ、在カンボジア日本大使館関係者らによる「慰霊の集い」が2日、首都プノンペンで開かれた・・・

私にとっても、忘れることのできない出来事です。「柳井俊二さん、カンボジアPKO」「当時の写真
帰国したあとも、緊張が続きました。12日早朝、成田空港に到着して、村田大臣はパトカーの先導で首相官邸に急ぎ、宮沢総理と河野官房長官に報告しました。赤信号の交差点にサイレンを鳴らして入り、助手席の警護官が身を乗り出してほかの車を制止するという経験をしました。

12日には、地方交付税法質疑の参議院本会議が開かれました。本題ではないカンボジア出張の件が質問されました。これは、事前に質問通告があったので用意された答弁案に基づき、総理と村田大臣が答弁されました。ところが、野党の質問者は答弁に納得せず紛糾し、大臣はいったん退席して改めて答弁することになりました。本会議場の後ろの部屋で関係者が集まり、答弁ぶりを検討しました。

第126回国会参議院本会議 平成5年5月12日議事録
「議長(原文兵衛君) 自治大臣の答弁については、後刻協議することとし、次に進みます。」013
「武田節子君 ・・・自治大臣と文民警察官との会見で警察官の方々から、何人死ねば帰されるのですかとか、現地の実情が理解されていない等々の発言があったと伝えられておりますが、この点、正確な御報告を求めたいと思います・・・」036
「国務大臣(村田敬次郎君) 先ほど来の質問は、文民警察官の十三人の方から、何人死ねたら帰るのかという質問があったというお尋ねであろうかと思います。私は、その質問はなかったと申し上げます。(拍手)」041

町、「ちょう」か「まち」か

2023年5月12日   岡本全勝

4月28日の朝日新聞夕刊が「「ちょう」or「まち」、あなたの町は 西日本は「ちょう」優勢、境目は長野・山梨」を解説していました。

・・・地方自治体の「町」の読み方は「ちょう」「まち」どちらなのか。転勤や進学で引っ越しが多いこの時期、戸惑うかもしれない。総務省が公表している読み方を元に調べると、中部地方を境に東西で二分される傾向が見えてきた。地域の歴史や文化が影響しているようだ。

NTT東日本と西日本の営業エリアは、東日本は新潟、長野、山梨、神奈川を含む都道県、それ以外は西日本だ。この分けかたに基づくと、東日本は北海道を除けば「まち」の傾向が強く、西日本は「ちょう」が優勢を占めていた。
北海道を除く東日本は265町のうち、「まち」は222の多数派だ。西日本では349のうち「ちょう」は295あり、圧勝だ。北海道は例外的に、森町(もりまち)以外の128町全てが「ちょう」だった。
両方の読み方が共存する長野と山梨の両県が、読み方の境目になっている。全国では「ちょう」が466町、「まち」は277町で、「ちょう」が優勢だ。

なぜ、読み方が東西で分かれているのか。地名の研究をしている日本地図センターの客員研究員・今尾恵介さんは「推測の域を出ない」と前置きした上で、二つの説を挙げる。
一つ目は、現在の市町村制が施行された1889(明治22)年以降、江戸時代に使われた「まち」と区別をするために、「ちょう」と読む自治体が出てきた可能性だ。その後、何らかの理由で、西日本側で「ちょう」が広がった。東日本は、江戸幕府の直轄領が多かった名残で「まち」を維持する自治体が多かった可能性が考えられる。
二つ目は、各都道府県庁が、「まち」か「ちょう」に統一するように、各自治体と調整した可能性だ。その際、近隣の都道府県での読み方に合わせようとしたという説だ。

現存する「町」の多くは、1950年代の「昭和の大合併」と、2000年代初めにピークを迎えた「平成の大合併」によって生まれた。今尾さんは「新しい町をつくるということで、従来の自治体呼称の『まち』と区別したかったのではないか」と話す・・・

連載「公共を創る」第149回

2023年5月11日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第149回「対立軸の変化」 が、発行されました。
前半は前回の続きで、社会の新しい課題を非営利団体が発見し、その対応に取り組んだのに対し、行政はそれができていないこと。こうした新しい課題を行政の過程に乗せる方法を考えました。

後半は、社会と政治の対立軸の変化を議論しました。社会の変化に従って、対立軸も変化します。ところが、それに気づくことに遅れているのです。かつての、保守と革新、資本家と労働者といった対立軸は過去のものとなりました。
では、現在の対立軸は何か。まずは、正規労働者と非正規労働者の格差でしょう。