時間ができたので、週末の美術館巡りを再開しました。また、買ってあった日本の伝統美関係の本や、デザインの本などを、つまみ食い的に読んでいます。
展覧会は、「さすがによいなあ」と思う作品に、出会えます。それを目当てに行っているのですから、当たり前ですかね。興味のない展覧会には行かないのですから。しかし残念ながら、休日の美術館は人出が多くて、ゆっくりとよい時間を楽しむことは無理です。人の頭を見に行っている場合も多いですね。学生時代、平日に行った上野の博物館は、怖いくらいに静かな時がありました。
その点、本は一人で没頭できるので、好きな時間と空間を作ることができます。よい美術、正確には好きな美術やデザインですが、言葉では説明しにくいです。なぜ惹かれるのか、数式で表せない良さですね。
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教育の転換
28日の日経新聞連載「日本の教育」「学びの針路を示せ」から。
・・ゆとり教育を含む1970年代以降の教育改革は、明治初期、太平洋戦争直後に次ぐ「第三の教育改革」と呼ばれる。明治と戦後の改革は、それぞれ「富国強兵」「民主国家建設」といった大目標とつながり、教育が発するメッセージは明快で、人を律する動機づけにもなった。教育を受けた人材が社会革新や経済発展に携わる姿が、親世代の教育熱、子世代の学ぶ意欲を支え、教室に緊張感を生んだ。そんなダイナミズムが、今の教育にない・・
・・方向を失った日本の教育が、目標を打ち立てるのは容易ではない。作家の堺屋太一氏は「教育のあり方がわからなくなった」と言う。物材の豊かさが幸せを意味した規格大量生産の時代は、共通の知識・技能を持ち辛抱強い人材を育てればよかった。主観的な「満足」が幸せの尺度になった現代では、この手法は通用しない。どういう教育を施せば子供が幸せになるか、一義的に定まらなくなった。堺屋氏は「望ましい教育の姿がわからないなら、教育の消費者である保護者や子供に選ばせるべきだ」と主張・・
私が主張する「日本社会と行政の転換」と合致した主張です。ただし、戦後の教育の目標が「民主国家建設」とありますが、それよりは、豊かになるための労働者の創出の方が、主だったと思います。多くの家庭では、民主主義よりは、豊かになることが重要だったのですから。
そして、明治と戦後の転換には、欧米という目標・お手本があったのに対し、今模索している転換の目標は、「目標と幸せを探すこと」なのです。教育は、目標を次なるものに取り替えるのではなく、各人の目標探しを目標とするという、パラダイムの転換が必要なのです。日本の教育行政は、それに失敗しているようです。
近代日本の成功・本人の努力と環境の幸運と
近年の日本の経済発展
目標による人事評価
消防大学校では、今日は、警防科(60人)の入校式がありました。明後日は、幹部科の入校式があります。ところで、国家公務員の目標による評価が、10月から本格的に始まりました。内容は、二本柱からなっています。
一つは、能力評価で、あらかじめ定められた項目ごとに評価されます。これは1年後の9月30日までが対象期間ですから、評価は来年です。もう一つは、業績評価で、各人が目標を申告し、その結果を評価します。最初の対象期間は3月31日までの、半年です。すなわち今回、この業績評価のための目標を、申告するのです。私も、申告しました。
この問題については、連載「行政構造改革」第2章四で官僚制の問題を取り上げ、その2(3)で公務員の評価を論じました。目標による評価には、このような個々の公務員の評価とともに、各組織についての業績評価も課題です。