宇野重規東大准教授が、日経新聞「やさしい経済学」に、「個人の再発見」を連載しておられます。
・・これまでの社会では富の配分が問題になったとすれば、これからはリスクの分配こそが問題になる。このように予言したのは、ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックである。
・・ベックの念頭にあるのは、いまや階級とは関連しない社会的不平等が存在するのではないか、という問題意識である。例えば失業である。現代社会において、失業は個々の人生のある局面で、あたかも個人的な運命として訪れる。彼が例示するのは、女性にとっての離婚である。データが示すところでは、社会的出自でも学歴でもなく、離婚こそが新たな貧困への入り口になっているという。結婚や離婚は、個人にとっての私的関係の問題であ利、社会的な問題ではない。このように考えるとすれば、現代において失業を生み出すきっかけは、階級ではなく、私的関係にあることになる・・(さらに重要なことが書かれていますが、引用はこれくらいにとどめます)。
私はいま、最近の大学での講演大阪大学講演を元に、原稿をまとめつつあります。趣旨は、「社会のリスクの変質がもたらす行政の変化」です。古典的な災害、事故、戦争、病気といったリスクの分野にも、新しいリスクが生まれています。それとは別に、個人の社会関係の破綻ともいうリスクが、個人の責任から社会や行政の課題になりつつあるというのが、私の主張です。かつて、内閣官房再チャレンジ室に勤務したときに、その一端を文章にしました。「再チャレンジ支援施策に見る行政の変化」月刊『地方財務』(ぎょうせい)2007年8月号。それを、社会のリスクという観点から、整理しようと考えています。
岡本全勝 のすべての投稿
日本の法令の英語訳
日本が国際化するためには、必要なことですよね。今までなかったことが、不思議なくらいです。残念なのは、まだ200本にとどまっていることです。今後、増えていくことを期待しましょう。また、非英語圏の人のために、特にアジア各国の言葉が、必要になるでしょう。
日本からの発信・国際放送
日本はどこへ行くのか・その3
さて、これからの日本を規定する、要因の2つめは、「国民」です。「国際環境」を最初に説明しましたが、より重要なのは国民です。これからの日本をつくるのは、国民ですから。
詳しく言うと「日本国民が、どのような日本をつくりたいと考えるか」です。それを考える際に、これからの日本社会を担う「階層」と「その意識」に、注目したいのです。「時代精神」と「その担い手」といったらよいでしょう。
戦後半世紀の成長を支えたもの。それは、自らを中流と思い、中流になろうとした多くの国民です。サラリーマン、事業家と従業員、そしてその家族です。彼らが、努力すれば豊かになると考え、努力して豊かになろうとしたのです。これが、書かれていない「日本国憲法第1条」でした。そしてそれが実際に実現することで、この憲法第1条はさらに強化され、再生産されました。
たとえば、19世紀の西欧の発展を支えた企業家と市民、20世紀のアメリカの躍進を支えた企業家と庶民、明治の日本の発展を支えた企業家たち。発展する時代には、それを動かす中心になる「階層」がいます。
そのような視点からは、これからの日本の時代精神はどのようなものになり、どのような階層がそれを体現するのか。それが鍵になります。
企業、自営業者、労働者、行政が一丸となって、「憲法第1条」を信じ、実行しました。もちろん、それに属さない大金持ちや、衰退した産業もありましたが。「一億総中流」という言葉が、「憲法第1条」が主流であったことを示しています。国民がそれぞれ違う「憲法」を信じ、別々の道を進んだならば、このような成功はなかったでしょう。
「時代精神」とそれを担う「階層」といったときに難しいのは、それが一人の人や統制のとれた集団ではないことです(全体主義国家なら、単一の意思が実現するでしょうが)。
「世相」は、個別の人格とそれぞれの考え方を持った国民の集合です。あいまいなものです。それがある方向にまとまったときに、強い力を出します。しかし、それは事前には予想できず、結果として見えてくるものなのでしょう。
そして、社会が発展する、活気に満ちるためには、「挑戦」と「競争」が必要です。国民の多くが現状に満足し安住したところで、発展は止まります。江戸時代は、それなりに満足した、安定社会でした。しかし、欧米の競争から取り残されました。
内向きになって、満足することも可能です。挑戦と競争には失敗と敗者が生まれるので、現状に満足することも、心地よいことなのです。しかし、それでは発展はありません。そして、国際化の進んだ現在に、日本だけが現状で満足することは不可能です。他国が発展する中で、じっとしていることは、どんどん貧しくなることを意味します。
これから、日本のどのような階層が、挑戦と競争に取り組むのか。それは、見えていません。
また、ここで「階層」や「時代精神」を強調するのは、政治家や学者がどれだけ高尚な目標を説いても、国民がついてこないと実現しないからです。とはいえ、国民に進むべき道を示すのは、リーダーの役割です。そこで、3番目にリーダーが要因になります。(この項続く)
政府の機能
佐々木毅教授「政府の危機」『公研』2008年2月号から。
世界の金融市場がサブプライム問題で激しく動揺し、実体経済の行方についても一時の楽観論は少なくなってきた・・東京市場は万国に冠たるほど株価が急落したが、政府関係者は至って冷静というか、無関心で、国際的にも誠に際だっている・・この冷静さは自信の現れではなく、恐らくは無力感の現れである。しかし、このことと無関心とは異なるはずである。無関心とは初めから思考が停止している状態であり、考える気力もエネルギーもない状態を指している・・
・・かつては、政府と民間との関係は極めて密接であり、政府が業界に傾斜していたことは、首相が今度の所信表明演説で認めている通りである。しかしその後、「官から民へ」と構造を変えた結果、今や諸外国に類例を見ないような「官」「民」相互無関心体制になったのではないかというのが、私の疑念である。
・・経済政策とか内需とかいう言葉はほとんど聞かなくなり、無関心の中で国民負担増問題だけが脚光を浴びるという甚だ不正常な状態が続いている。よく日本の存在感が急落しているといわれるが、政府の存在感が国内でも急落しているのであるから、国際的に何が起こっても不思議ではない。
・・「官から民へ」ということには、例えば、政府が市場を上手に活用して国民生活を活性化することが当然含まれている。昔のような行政指導や補助金は使わないで何ができるかが問われている。また、グローバル化時代においては、安定化要因としての政府の機能は極めて重要であり、その役割を真摯に絞り込み、速やかに実行する機動性が求められている(年金問題などを見ていると、政府はそれとは逆に不安定要因として機能している)・・