日本はどこへ行くのか・その3

さて、これからの日本を規定する、要因の2つめは、「国民」です。「国際環境」を最初に説明しましたが、より重要なのは国民です。これからの日本をつくるのは、国民ですから。
詳しく言うと「日本国民が、どのような日本をつくりたいと考えるか」です。それを考える際に、これからの日本社会を担う「階層」と「その意識」に、注目したいのです。「時代精神」と「その担い手」といったらよいでしょう。
戦後半世紀の成長を支えたもの。それは、自らを中流と思い、中流になろうとした多くの国民です。サラリーマン、事業家と従業員、そしてその家族です。彼らが、努力すれば豊かになると考え、努力して豊かになろうとしたのです。これが、書かれていない「日本国憲法第1条」でした。そしてそれが実際に実現することで、この憲法第1条はさらに強化され、再生産されました。
たとえば、19世紀の西欧の発展を支えた企業家と市民、20世紀のアメリカの躍進を支えた企業家と庶民、明治の日本の発展を支えた企業家たち。発展する時代には、それを動かす中心になる「階層」がいます。
そのような視点からは、これからの日本の時代精神はどのようなものになり、どのような階層がそれを体現するのか。それが鍵になります。
企業、自営業者、労働者、行政が一丸となって、「憲法第1条」を信じ、実行しました。もちろん、それに属さない大金持ちや、衰退した産業もありましたが。「一億総中流」という言葉が、「憲法第1条」が主流であったことを示しています。国民がそれぞれ違う「憲法」を信じ、別々の道を進んだならば、このような成功はなかったでしょう。
「時代精神」とそれを担う「階層」といったときに難しいのは、それが一人の人や統制のとれた集団ではないことです(全体主義国家なら、単一の意思が実現するでしょうが)。
「世相」は、個別の人格とそれぞれの考え方を持った国民の集合です。あいまいなものです。それがある方向にまとまったときに、強い力を出します。しかし、それは事前には予想できず、結果として見えてくるものなのでしょう。
そして、社会が発展する、活気に満ちるためには、「挑戦」と「競争」が必要です。国民の多くが現状に満足し安住したところで、発展は止まります。江戸時代は、それなりに満足した、安定社会でした。しかし、欧米の競争から取り残されました。
内向きになって、満足することも可能です。挑戦と競争には失敗と敗者が生まれるので、現状に満足することも、心地よいことなのです。しかし、それでは発展はありません。そして、国際化の進んだ現在に、日本だけが現状で満足することは不可能です。他国が発展する中で、じっとしていることは、どんどん貧しくなることを意味します。
これから、日本のどのような階層が、挑戦と競争に取り組むのか。それは、見えていません。
また、ここで「階層」や「時代精神」を強調するのは、政治家や学者がどれだけ高尚な目標を説いても、国民がついてこないと実現しないからです。とはいえ、国民に進むべき道を示すのは、リーダーの役割です。そこで、3番目にリーダーが要因になります。(この項続く)