岡本全勝 のすべての投稿

介護保険制度10年

2000年に介護保険制度が導入されて、10年が経ちました。新聞などが、この10年を振り返っています。利用者は初年度149万人でしたが、現在では約400万人に増えています。家族の負担が、それだけ軽くなりました。もっとも、老老介護の困難や、認知症の妻を殺す夫の事件などの悲劇もあります。費用が増えて、保険料や利用料が引き上げられるという問題もあります。
介護保険制度は、法律ができて、2年半で実施に移されました。担当する市町村役場は、準備が大変だったのです。短期間に全国一律に実施することができたのは、法律と、財源(国庫支出金と地方交付税)と、市町村の能力があったからです。また、導入までに、1990年代にシルバープランやゴールドプランなどで、サービス提供能力(施設と人員)を急速に準備しました。当時、私は交付税課課長補佐で、財源を手当てしたことを思い出します。大変な額でした。
私は、介護保険制度が、日本が先進国から輸入する、最後の大きな制度だと、主張してきました。行政サービスは、ほぼそろえたということです。もちろん、下水道や公園など、まだ不十分なものもありますが、仕組みは出そろっています。輸入するものはなくなりましたが、国内では新しい課題が、次々と生まれています。子どもの格差や、引きこもり、虐待などです。介護制度も、いろいろ指摘されている問題を、解決していかなければなりません。また、介護サービスを、措置(市役所があてがうこと)から、選択(利用者が選ぶこと)にしたことも、画期的なことだったと評価しています。

講演録やインタビュー

講演録「博物館のアウトプットと予算査定」(2008年6月、日本社会教育学会ラウンドテーブル)『追手門学院大学・博物館学芸員課程年報』第24号、2010年4月
2008年6月に、日本社会教育学会のラウンドテーブル「博物館のアウトプットと予算査定」に出席しました。その時の私の報告と質疑が、活字になりました。「追手門学院大学・博物館学芸員課程年報」第24号です。追手門学院大学の瀧端真理子先生に、呼ばれて行った時の記録です。速記録は早くにできていたのですが、私が総理秘書官になって手が回らず、この時期になってしまいました。すみませんでした。
1990年代に各地で公立博物館がたくさんできたことの財政的背景や、その後縮小された事情。博物館の予算を査定することの難しさなどを、お話ししました。博物館や美術館にどれだけ公費をつぎ込むべきか、またどの分野に配分すべきか。それは、理屈では出てこない判断なのです。
当日は、学芸員の方とお話しできて、博物館の機能や学芸員のご苦労が、少しわかりました。

消防大学校の授業、学生の目的意識

消防大学校では、学生に、授業内容や講師を評価してもらうほかに、卒業前に、感想文を書いてもらいます。その中に、次のような感想がありました。
・・教室では一番前の席であったが、今まで、こんなに前の座席で良かったと思ったことはない。高校や大学の学生だったころには、考えられない心境である。教官や講師の話し方、細かな動作も、間近で見ることができた。遮るものがないことで、講義に非常に集中できた。後ろの座席の学生が、気の毒に感じた。講師のすべての言動が、まさにすべてお手本である・・
これは、新任教官科(新しく県の消防学校の教官になる職員のための課程)なので、自分が教官になって教壇に立つことを想定して、授業を受けています。その点を割り引いても、学生に教室の前に座る方が良いと考えてもらえる授業が、理想ですね。
少し話は違いますが、学校の英語の授業は身が入らないのに、お金を払っていく英会話学校は熱心だ、という話を聞いたことがあります。これは、英会話学校へ行くのは、それだけの目的を持っているからでしょう。
なお、授業では、学生がそれぞれ教官役で模擬授業をして、それをビデオに撮り、同僚に評価してもらうということもしています。自らの話し方をビデオで見ることは、すごく勉強になります。

祝130万人

今日、カウンターが、1,300,000を超えました。拙いページを見てくださって、ありがとうございます。キリ番にはならないので、キリ番ゲットとプレゼントはありません。でも、次のキリ番が200万だと、かなり将来のことですね。
2002年に東大客員教授になった時に、学生との連絡のために、このサイトをつくりました。それからもう8年にもなります。総理秘書官の間、1年間はお休みをいただきましたが、良く続いたものです。最初の頃は、1日に3人しか、訪問者がありませんでした。その後、読者が増えて、三位一体改革を「実況中継」した頃は、毎日800人とか1,000人にもなりました。現在は平日で、約500人です。
キョーコさん曰く「そんなにたくさんの人が見てくださるとは、信じがたい」。
地方行財政について書く回数が減ったので、表紙から「地方行財政の解説です」という記述を削りました。書く内容のテーマが発散して、読者層を絞れなくなっています。それでもおつき合いいただき、感謝します。

平成の大合併

3月31日で、市町村合併特例法の期限がきました。31日の読売新聞夕刊は、平成の大合併が終了し、市町村の数が半減したと、伝えていました。
平成11年から始まった、いわゆる平成の大合併で、3,232あった市町村は1,727になりました。市町村長ら三役と議員が約2,1000人減り、年間1,200億円削減されました。経費削減効果は、10年後に年間1.8兆円になると試算されています。
さらに、規模が大きくなることによる市町村の能力向上は、このような数字では出てきません。例えば消防を考えてください。町村ごとに少ない人数で、少しずつ消防車や救急車を持つより、規模を大きくすると、合計ではより少ない職員数で、多くの部隊を持つことができます。1台しかない救急車が出動している時、もう1件要請があったらどうするか。合併して3台持っていれば、出動することができます。少し距離が遠くなっても。
その点では、まだ小規模な市町村はあります。また、県ごとに合併の進捗度合いは、異なっています。大都市部とその周辺では、あまり進みませんでした。
私を含め、平成11年の時点で、ここまで合併が進むと予想した人は、少なかったと思います。折からの不況、財政難が、合併の背中を押したと考えられます。もちろん、職を失う市町村長や議員の決断、住民の感情を超えた判断があったのです。