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福島、国と県との協議会。資料を載せました

遅くなりましたが、当日の資料を、復興庁のHPに載せました。
政府が何をしているか福島県ではどこまで進んでいるかが、わかりやすい資料で載っています。ご利用ください。このように、何をしなければならないかという課題の整理、それがどこまで進んだか、何が進んでいないかの提示。これを一覧表にすることは、とても重要だと考えています。
一般論ですが、これまでの役所は、資料を出し渋る傾向がありました。できる限り公開して、国民の皆さんに評価を仰ぐべきです。その際には、わかりやすく、かつ全体がわかるようにです。
時に、一部のマスコミや一部の方は、「官僚が悪い」と定型的な批判をすることがあります。もちろん、私たちに非がある場合は、正す必要があります。しかし、地元の合意が遅れている場合や、資材や職人が追いつかない場合など、官僚だけでは直ちに対応できないものもあります。官僚がサボタージュしたから対策が遅れているわけではないことを、知ってもらうためにも必要です。
さらに、「遅れている」「細かいところに手が届いていない」「地元の要望に応えていない」といった「抽象的な批判」をする人もいます。これも定番の批判ですが、困りものです。批判する場合は、「どこそこの、この点が、こういう風に困っている」と指摘してください。抽象論では、私も対策が打てないのです。
事実や現状を理解してもらう。そして信頼を得ることが、行政を進める上で、重要です。

韓国も暑い

日本も暑いですが、お隣の韓国も暑い上に、節電で冷房を制限しているそうです。産経新聞によると、次の通りです。
・・韓国で12日、電力不足で大停電になる恐れがあるとして、政府が全国の役所の冷房を禁じた・・ソウルの政府庁舎では照明も消され、半分以上のエレベーターが止まった。聯合ニュースは、政府庁舎では、ある公務員が「暗くて暑くて死にそうだ。仕事の効率は全然上がらず、何も考えられない」とぼやいていると伝えた・・
国境と海峡を越えて、電気を融通できればよいのですが。日本も余裕はありませんが、困ったときにはお互い様です。国境をまたいだ電気の融通は、ヨーロッパでは既に行われ、東南アジアでも計画されているようです。

メーカーの利益、小売店の利益、消費者の利益

日経新聞連載「経済史を歩く」8月11日は、「新宿カメラ戦争(1975年)、もう一つの流通革命」でした。
東京新宿を舞台に1970年代後半、カメラ専門店が、激烈な安売り競争を広げました。それは、現在の家電量販店の競争「新宿家電戦争」に続いています。
・・「ライバルとの競争もあったが、メーカーとの戦いが厳しかった」。ヨドバシ社長の藤沢昭和は振り返る。
ヨドバシの当初の仕入れ先は、各地の二次問屋やブローカー。手形決済が主流だったカメラの流通市場で、現金を早く手にしたい問屋や小売店が横流しした商品を「現金即日払い」でかき集めた。
メーカーが価格を統制し、利幅の厚い商売だった当時のカメラ業界で、ヨドバシの安売りは蛮行と映った。メーカーは一般小売店の抗議と価格維持を理由に、ヨドバシへの商品供給を拒む。「社員を順番にヨドバシに行かせて、店頭の自社製品を買い占めた。製造番号から仕入れ先を突き止め、圧力もかけた」。あるメーカーOBの証言だ。
結局は、大量販売と現金決済の前に、メーカーは屈した。夜中にこっそり搬入したり、ダミーの問屋を経由したりしながら、ヨドバシへの商品供給は膨らんでいく。1980年ごろまでには、主なメーカーとの直接取引が実現した。
オリンパスでカメラ事業を率いた小島佑介は「消費者の支持で食べているのだからメーカーの言うことを聞く必要はない、というのがヨドバシの主張。それは正論だった」と話す・・

最低気温30度

東京でも、毎日のようにすごい夕立が来ることを、紹介しました。毎晩、暑い日が続いて、寝苦しいです。もっとも、私は寝ることにかけては苦労したことがなく、毎晩ぐっすり寝ています。ただし、疲れはすっきりとは、とれていないようです。
なんと、11日は、東京都心の最低気温が30度。最高気温の間違いではありません。明治以来、138年間で最も高くなったそうです。最高気温は、38度でした。すごい夕立も来たそうです(私は、福島にいました)。
最高気温が40度を超えた地方もあります。皆さん、体調に気をつけてください。といいつつ、私も、冷たい麦茶を飲み続けています。それが、ほとんど汗に出ているようです。

福島、国と県との協議会

今日は、福島市で、「原子力災害からの福島復興再生協議会」を開きました。復興庁からは国が取り組んでいる諸施策についての報告、県からは復旧の現状と来年度予算への要望が出されました。資料は、おって復興庁のHPに載せます。
今回で、8回目になります。2年前、原発事故が起きた年の8月に、第1回を開催しました。当時は事故直後、全く先行きが見えない頃でした。会議自体が、なかなか難しい状況での開催でした。その後、徐々に事態が見えてきて、会議も議論がかみ合うようになってきました。
もちろん、避難している方にとって、いつ帰還できるかわからないという厳しい状況にあります。今日の会議で出た意見も、第1原発での汚染水対策、除染、賠償、風評被害などで、原発事故の収束、放射線対策が主でした。復興の前に、これらを片付け、めどを立てる必要があります。