年別アーカイブ:2026年

リキッド消費

2026年5月12日   岡本全勝

4月20日の日経新聞経済教室、久保田進彦・青山学院大学教授の「若者世代の消費行動、「リキッド消費」で流動的に」から。ものや情報があふれると、このようになるのでしょうか。

・・・「リキッド消費」という言葉をご存じだろうか。現代の消費スタイルを的確に表現した新しい概念であり、2017年に英国在住の研究者らによって提示された。日本には19年に紹介され、25年には一般向け解説書「リキッド消費とは何か」も出版された。
リキッド消費は短命で、アクセスベースで、脱物質的な消費と定義される。

短命性とは物・サービス・情報・体験の価値がそのときの場面や状況に左右されやすく、長続きしない傾向を指す。その結果、消費は移り変わりやすくなり、次々と新しいものを求めやすくなる。

アクセスベースとは、物やサービスなどを所有せずとも、その価値にアクセスできればよいとする考え方である。レンタルやシェアリング、サブスクリプション型の音楽配信などをイメージすると分かりやすい。
アクセスベース型の消費には(1)所有に伴うお金・手間・心理的な負担を避けられる(2)手が届きにくい高額な製品でも気軽に利用できる(3)気分や状況に応じて様々なものを試したり使い分けたりしやすい――といったメリットがある。

脱物質とは同じ価値や機能を得るために、物質を少ししか(あるいは全く)使わないことである。例えば写真はプリントではなくスマートフォンに保存され、現金も紙幣や硬貨ではなく電子マネーとして持つことが一般的になった。物質に頼らない生活が広がることで価値観や心理も変化している。物を持つことよりも経験や体験のほうが満足や幸福につながると感じられやすく、ぜいたくな物よりも特別な体験のほうがラグジュアリーとして価値づけられる傾向がある。

3つの特徴で、現代の消費傾向の少なからぬ部分を説明できる。物事の価値がはかないものとなり、所有に意味を感じず、形あるものを必要としなくなることで、消費は流動化し、気まぐれで移り気な様相を強めていく。リキッド消費は一時的な流行ではなくデジタル化、グローバル資本主義、プラットフォーム経済といった複数要素に支えられた中長期的現象である。

筆者は前述の3つに加えて「省力化」も重要な特徴だと考えている。ここでいう省力化とは、消費に伴う時間や労力をできるだけ少なくしようとすることである。気まぐれで移り気な消費を実現するには、時間や労力のコストを下げる必要があり、そのためには手軽さが必要となる。
現代の消費は、できるだけ時間や手間をかけない方向へと進んでいる。「おすすめ」やランキング、ワンクリック購買といった仕組みは選択や判断の負担を軽減する。また取扱説明書を読まなくても直感的に使える製品は、使用時の認知負荷を軽くする。リキッド消費の実現は省力化によって下支えされている・・・

大和大学で講義

2026年5月11日   岡本全勝

5月11日は、大和大学に行って政治経済学部で講義をしてきました。大学は大阪府吹田市にありますが、奈良県の西大和学園が経営しています。総長・創設者である田野瀬良太郎・元衆議院議員のお招きです。

まだ新しい大学ですが、代表的企業の経営陣による実学講座や、政治家や元官僚による特別講義などに力を入れています。私の講義も、その一つです。
我が身を振り返って、学生時代は社会を知りませんでした。大学では、本を読んで知識を得ること、考える力をつけることだと思っていました。しかし社会人になると、それら知識だけでは不十分で、組織や社会を知らないことを痛感しました。偉人の歴史や伝記は学ぶのですが、普通の社会人の暮らしは、知りません。親が自営業なら仕事ぶりを見ることもできますが、勤め人では両親が会社で何をしているのか知らないのです。
なにより公務員も会社員も「集団作業」であり「接客業」だと知りました。勉強ができても、仕事は進まないのですよね。その経験と反省に立って書いたのが、『明るい公務員講座』です。この本を読んでおれば、私も出勤恐怖症にならずにすんだのに・・・。

それを踏まえて、私の公務員経験、特に彼ら彼女らは知らない東日本大震災対応をスライドを見せて話すとともに、社会人になるためにはどのようなことを知っていた方が良いかを話しました。
280人もの学生が、熱心に聞いてくれました。満席でした。質問時間を取ったら、次々と適確な質問が出ました。全てに答えられなかったことが、残念です。ごめん、手を挙げた学生。彼ら彼女らが、将来のことを考えるきっかけになると、うれしいです。

利上げ臆病な日本

2026年5月11日   岡本全勝

4月20日の朝日新聞オピニオン欄、原真人・編集委員の「長引く戦争と経済危機 利上げ臆病な日本、持続可能な財政を」から。詳しくは記事を読んでいただくとして。
・・・持続可能な財政の大前提として、世界では税や社会保険料などの「国民負担」と、年金や医療、介護や子育てへの「社会保障給付」の水準のバランスをとろうと努めている。例えばフランスのように「高福祉高負担」の国もあれば、米国のような「低福祉低負担」の国もある。
日本はと言えば、社会保障を一定レベルに保ちつつ国民負担を低く抑える「中福祉低負担」路線を続けてきた。そんな都合が良すぎる政策を永遠に続けられる「魔法の杖」は存在しない。迫り来る世界的な危機の嵐を、この無責任な財政のままで乗り切れるはずがないと肝に銘じるべきだろう・・・

・・・巨大地震や感染症のパンデミックなど重大危機はいつでも起きうる。「Xデー」が来れば想定外の巨大支出を迫られるかもしれない。もし財政余力が乏しいままでその時を迎えたら、政府は十分に機能を果たせず、最も弱い立場の人々の生命や生活を守ることさえできなくなる恐れもある。
何より深刻なのは、将来の危機が懸念されているのに政権や与野党が手をこまねいていることだ。財政再建は有権者に不人気なテーマだが、国政に携わる者なら必ず挑まねばならない課題である。

先日、政府の経済財政諮問会議が世界的に著名な米国の経済学者2人を招いた。会議は高市政権が掲げる「責任ある積極財政」を理論的に支える立場で、メンバーに積極財政と金融緩和を志向する「リフレ派」が陣取っている。会議事務局は当初、高市政権が描いている路線に著名学者たちのお墨付きを得ようともくろんでいたようだ。国債の追加発行も辞さず、危機管理投資を増やし、経済成長によって税収を増やす。そんな「お手盛り」構想である。
ところが2人の学者が発したのは甘い構想への苦い忠告だった。
ブランシャール・マサチューセッツ工科大名誉教授は「危機管理投資は重要だが明確な財政的収益が見込めない。成長を押し上げるかもしれないし、そうでないかもしれない。それだけを根拠に国債を財源とすることを正当化できない」とクギを刺した。
ロゴフ・ハーバード大教授は政権への注文を聞かれ、「制度面で一つだけ選ぶとすれば中央銀行の独立性が尊重されること」と述べた。日銀に超金融緩和を継続させようと圧力をかけてきたリフレ派にとっては耳が痛い指摘だ。
泰斗たちの提言を待つまでもなく、財政をまともな水準に回復させることは今の日本にとって最大の、そして最低限の課題である・・・
参考「消費税ゼロ、経営者「反対」66%

言葉は人をつなぐか、離すか

2026年5月10日   岡本全勝

人は、言葉を使って会話することで、他者とつながりをつくります。ところが、人を離す機能も持っています。
一つは、外国の方と話す場合です。言葉が通じず、困ります。

もう一つは、日本語なのに、意味が通じない場合です。私の意図と違って取られる場合があります。言葉足らずの場合もあります。同じ単語を、別の意味に取ってしまう場合もあります。
時には「そんなことを言っていない」と、険悪になる場合もあります。しかも、親しい人との間で起きるのです。

親しくない人との会話は、通じるかどうかを気を遣って話します。また、通じないこともあるので、それを織り込んで話します。なので、行き違いは減ります。ところが親しい人との会話は、お互いがわかっているだろうとの前提で話すので、行き違いが生じます。主語を省略することも多いので。親しいが故の、行き違いです。
みなさんも、そんな経験はありませんか。

SNSはたばこと同じ運命か

2026年5月10日   岡本全勝

4月24日の日経新聞、サラ・オコナーさんの「SNSはたばこと同じ運命? 喫煙、低所得者は抜け出せず」から。

・・・SNSは2026年に入って、かつての「ビッグ・タバコ・モーメント(たばこ業界が社会的責任を問われるようになった重大局面)」が到来したときのような論調に直面している。規制当局や裁判所によるテクノロジープラットフォームへの監視が厳しくなっていることが背景にある。そのためSNSを批判する人々が、たばこに対する世論が「よくない」という方向へ転じたように、同じような変化がSNSにも訪れることを期待するのもよくわかる。
20世紀中ごろの米国では成人のほぼ半数が喫煙者だったが、その割合は2020年には13%前後にまで低下した。しかし、喫煙率が低下したとはいえ、そこには1つ、不都合な事実があった。
最も貧しい人々の多くが、依然として喫煙から抜け出せずにいたという事実だ。では、SNSの利用についても同じことが起こるのだろうか――。

米国の医学史学者、アラン・M・ブラント氏が著書「たばこの世紀」(邦訳未刊)で指摘しているように、たばこはかつて「まさしく大衆が好む商品で、喫煙は人々の典型的な習慣行動だった」。米誌「アメリカンマーキュリー」は1925年に、たばこを「日常的に使われる最も平等な商品だ」と評し、多くの場合、銀行家も靴磨きもたばこの好みが一致していると記している。
しかし、喫煙と肺がんに因果関係があることを学者たちが指摘し始めると、その情報をいち早く受け入れたのは大学卒の人々だった。ある調査によると、米国ではこの問題が初めて一般メディアで取り上げられてから間もない1954年に、高学歴層の間ではすでに喫煙率は低下し始めていた。
その記事には、その後の動向を予測するコメントもいくつか紹介されていた。ある学者は、喫煙者が減っていくペースは一定ではないものの、「今後20〜25年の間に消滅するだろう」との見方を示していた。別の識者は、喫煙のパターンが社会経済的な格差をさらに固定・強化することになると指摘し、「喫煙に起因する疾患は、今後、ますます階層によって左右される現象になっていくことは間違いない」と語っていた。
そして今、後者の予測が正しかったことが明らかになっている。しかも、それは米国に限った話ではない。
十分な教育を受けられなかったり、支えてくれる仲間がいなかったり、適切な医療を受けられなかったりすると、依存性のある習慣を断ち切ることや、そもそもそうした癖が身につかないようにすることはさらに難しくなる。

SNSの利用も同じような道のりをたどっていく可能性があるのだろうか――。
「スマホとは無縁の子ども時代」やスマホの利用時間に制限を求める動きは、主に中間層の親が推進しているように思える。彼らは、SNSの利用が若者のメンタルヘルスに悪影響をもたらすことを示す新たな研究(ただし、依然として議論の余地はある)に極めて強い関心を寄せている。また、経済的に恵まれない若者がSNSで好ましくない体験をしやすいことを示す証拠もいくつかある。
それでも、喫煙とSNSの間には重要な違いがある。喫煙者になるかどうかを決定づける大きな要因の一つは、親が喫煙していたかどうかということだ。だがSNSの場合、たとえ子どもに利用を制限していても親自身が利用する習慣を断ち切っているということを示す証拠は(まだ)あまり目にしない。これはもっともかもしれない。

いずれにせよ、喫煙の減少が所得層の違いを超えて均一のペースでは進まなかったことは有益な教訓だ。中毒性のある製品は、あまり注目を浴びなくなっても長く存続する。そして、それらが中毒性があるうえに有害性も併せ持つ場合、それは社会の不平等を映し出す鏡となるだけでなく、それを増幅させる要因にもなり得るということだ・・・