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連載「公共を創る」第247回

2026年1月22日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第247回「政府の役割の再定義ー地方創生が進まない要因」が発行されました。人口減少と活力低下という地方の一番の問題に対して、政府や地方自治体が取り組んできた政策について議論しています。

地方の活力低下と東京一極集中の問題に関して、新聞社の取材を受け、私の考えを述べたことがあります(2025年6月8日付読売新聞「あすへの考」「人口減 令和の処方箋 地方創生 本気で 大胆に」)。
ふるさと創生事業に始まる地域おこし政策は、全国各地で活発になり、各地で自らの地域について考える引き金になったと思います。その点だけでも、大きな成果がありました。ただし、地域の魅力の発見だけでなく、経済面を含めた活力向上や人口増加については、幾つかの特徴ある小規模自治体を除いて、目に見えるような成果は挙がっていないようです。一部の地域で人口が増えても、日本全体の人口が減少する中では、地域間の奪い合いでしかありません。

2024年6月10日に内閣府地方創生推進事務局などが公表した「地方創生10年の取組と今後の推進方向」では、この10年間の取り組みについて一定の成果があったと評価しつつ、「国全体で見たときに人口減少や東京圏への一極集中などの大きな流れを変えるには至っておらず、地方が厳しい状況にあることを重く受け止める必要がある」と、政府の機関としては珍しく十分でないことを認めています。

私は、次の三つが大きな原因だと考えています。
一つ目は、地方自治体の力不足と、自治体の政策でできることの限界です。二つ目は、産業・経済の事情です。三つ目は、国民の意識です。

三つ目の点に関して、幸福度調査で常に上位に来る富山県でも、若い女性が戻って来ません。その理由を聞くと、意外なことに、「暮らしにくさ」を挙げるのです。それは、家庭や地域に残る「古風な意識」が原因です。夫の親との同居や、家事と育児を当然のように妻の仕事とするといった意識と生活です。昭和時代の標準とされた「夫は働きに出て妻が家庭を守る」という偏った性別役割分担が、共働きが多くなった現在にも残っていると感じているようです。地域のしきたりも変わらず、女性にとって不自由な社会だという認識があるのです。

やらないリスクとやるリスク

2026年1月22日   岡本全勝

1月10日の日経新聞、東哲郎・ラピダス会長の「日本の半導体復権、最後のチャンス」から。

・・・日本が、かつて世界一だった半導体産業の復活に挑んでいる。その中心は最先端半導体の国産化を目指すラピダスだ。北海道に建設した工場で2025年に試作を始め、官民から7兆円もの投資をつぎこむ一大プロジェクトに突き進む。半世紀近く業界に身を置き、自らラピダスを設立した東哲郎会長は「これを逃すと後はない」と強調する。

日本は1980年代に半導体販売額で世界首位となったが、その後は韓国や台湾との投資競争に敗れシェアを失った。2000年代前半に先端開発から撤退し、技術は停滞した。

―技術が何世代も止まっていた日本で世界最先端の2ナノ(ナノは10億分の1)メートル品の量産を目指している。危険な賭けではないのか。
「リスクがないとは言えないが、やらないリスクとやるリスク、どちらが大きいのか。我々はリスクをとってでもやると決意した。日本を技術立国として再生する」
「最先端品を国内で生産できることが非常に重要だ。日本企業のトップと話していると、海外から半導体を調達すると納期などで競合より後れを取るという悩みを聞く。さらに、半導体メーカーと顧客が協調しなければ技術開発は進まない。いまの日本にはそのチャンスがない。それが日本企業の競争力を失わせる大きな原因ではないか」
「1989年時点の世界の時価総額上位50社に日本企業は32社入っていたが、2025年時点ではトヨタ自動車の1社だけ。ぬるま湯で徐々に水温を上げても死ぬまで気づかない『ゆでガエル』という表現があるが、今まさに日本がそういう状況に陥りつつある」

冷めた風呂現象?

2026年1月21日   岡本全勝

ゆでガエル現象」ということは、聞かれたことがあるでしょう。
カエルを水に入れてゆっくりと温度を上げると、カエルは気がつかずに、そのまま茹でられて死ぬという話です。実際は、逃げ出すでしょうが。緩やかな変化は気づかずに、致命的な状況に陥るという警告に使われます。

この30年間の日本経済の停滞は、これに当てはまりますが、温度が下がるので逆だと思います。徐々に経済力が落ちて、国際的には先進国と言えない状況にまでなりました。国内では給与は上がらず、非正規が増え、貧しい国になりました。しかし、徐々に変化した、というか変化しないうちに世界は成長していたので、危機感を持ちませんでした。

この状況は水温が上がったのではなく、暖かいと思って浸かっていたお風呂が、徐々に冷めて冷水になったと言った方がよいでしょう。どこかで風呂から出なければならなかった、そして追い焚きをしなければならなかったのですが、外も寒いので「もうしばらく浸かっていよう」と考えたのです。「冷めた風呂」とでも呼びましょうか。
「ゆでガエル」という表現に対比するなら、どんどん冷たくなって、ついには凍ってしまう「冷凍ガエル」でしょうか。

と書いたら、肝冷斎が、「まあまだいいか」という言葉を使っていました。
そうですね。気づかないうちに危機になる場合と、気づいていても対策を先送りする場合とがあります。もう一つ、間違った対策を打ち続ける場合もあります。この30年間の日本は、二番目と三番目だったようです。

「パートは低待遇」当たり前ではない

2026年1月21日   岡本全勝

2025年12月7日の朝日新聞「「パートは低待遇」当たり前ではない 日独の経済史研究、田中洋子さんに聞く」から。

フルで働けないのなら、転勤ができないのなら、非正規雇用で低賃金――。日本社会で長くまかり通ってきたこの常識が、働く人を貧しく、忙しくしてきたと、日本とドイツの経済史を研究する田中洋子さんは指摘します。名目GDP(国内総生産)で日本を抜いたドイツの働き方から学べることとは。

―パートなどの非正規雇用の待遇が異なるのは「当たり前」という感覚があります。
パートやアルバイトは、「男性が大黒柱として働く」という日本的な雇用が安定化した1970~80年代までに、「女・子どもの賃金は安くていい」という補助的な働き方として広がりました。バブル崩壊後には正規雇用を非正規雇用に置き換える人事政策が多くの産業に拡大します。人件費削減は「善」となり、リストラすると株価が上がる。この流れが30年続き、完全に社会に定着し、もはや疑うことすらできなくなっています。私がおかしさに気付けたのは、たまたまドイツの研究をしていたからです。

―どんな違いがあるのですか。
ドイツのパートは「非正規」ではなく、「正規のパート」です。「働く時間が短い正社員」とも言えます。パートであっても、仕事が同じなら同じ給与表にもとづいて、働いた時間分の賃金が支払われ、無期雇用です。
日本のパートの賃金は「最低賃金プラスアルファ」程度で、基本的にはずっとそのままでたいした昇給もない。そのかたわらで、2、3年で異動していく正規の人は、同じ仕事をしていても全く異なる賃金体系で、昇給も昇格もある。現場について誰よりも詳しくても資格があっても、働く時間が短いというだけの理由で「非正規」となり、低待遇が正当化されています。

―なぜドイツではそんなことが可能なのでしょうか。
90年代まではドイツも日本と似ていました。パートは「主婦の補助的な仕事」というイメージがあり、給料の低い仕事が与えられていました。
大きく変わったきっかけは、2001年の「パートタイム法」です。この法律によって、短く働くことは、労働者の権利になりました。男性も女性も、管理職でも裁判官でも、誰でもです。経営者は労働者の希望を実現する責務を負います。「パートは低賃金」というイメージはどんどん崩れていきました。
日本はドイツと正反対に、「現場労働者を安く使う」ことが広がり、正規と非正規の分断や処遇の格差が大きく広がってしまいました。でも、これは企業が勝手に始めたことです。だから、企業は「勝手にやめる」こともできる。変える気になれば変えられるのです。

―日本がドイツのようになったら、経営がたちゆかなくなるのでは。
日本は既成の仕組みを「絶対」と考え、その仕組みの中でなんとかしようとする人が多いですね。その結果、社会に不可欠な「エッセンシャルワーカー」とされる人たちは、構造的に過重労働と低賃金に追い込まれてしまっています。例えば訪問介護は人手不足で、スケジュールのやりくりも厳しく、賃金は上がらず、辞めていく人も増える。事業者は高い紹介料を払って人材会社から人を調達せざるを得ない。するとその分、元々働いている人にお金をまわせず、賃金は低いまま。うるおうのは人材会社だけです。
このままでは、現場で働く人が足りなくなり、サービスを受けたくても質量ともに十分に提供されなくなります。家族がやるしかなくなれば、仕事を辞めざるを得なくなるかもしれない。この悪循環を断ち切るには、人々の暮らしを現場で支える人たちの生活と仕事を守っていく必要があります。きちんとした水準の報酬のもとで、働く人が自らの希望に合わせて働く時間を選べる働き方へと、変わっていくべきです。

―「働く時間を自由に選べる正社員」で、現場が回るのでしょうか。
パートが多ければ、その分多くの人数を雇ってやりくりする。日本企業が非正規雇用を使ってやっていることと同じです。日本では長時間労働が難しい人の多くが非正規になってきましたが、非正規ではなくて「短時間働く正社員」でいいじゃないですか。「ワーク・ライフ・バランスが重要」と言っておきながら、バランスを取ろうとすると非正規になるしかないとは、おかしな話です。

池本大輔著『サッチャー』

2026年1月20日   岡本全勝

池本大輔著『サッチャー「鉄の女」の実像』(2025年、中公新書)を紹介します。
宣伝文には、次のように書かれています。
「サッチャーは、20世紀後半を代表する政治家だ。1975年に保守党党首となり、79年にはイギリス初の女性首相に就任。「鉄の女」の異名をとり、10年以上在任した。サッチャリズムと呼ばれた政策は、「英国病」を克服したと言われる一方、レーガン米大統領とともに新自由主義の急先鋒だとして批判も招いた。本書は、激動の生涯を追い、経済から外交までの政策を俯瞰したうえで、彼女の「遺産」を浮き彫りにする。」

サッチャー首相は、私にとっては同時代人でしたが、すでに歴史になりました。新書なので、若い人には適切な入門書です。
政治家の場合は、どのようにして上り詰めたかという過程もありますが、伝記として取り上げられるのは、困難なことを成し遂げたからでしょう。彼や彼女は何に対して戦ったか、どのようにして困難を乗り越えていったか、そして何を成し遂げたかです。
サッチャー首相の評価はさまざまありますが(最近も見直しがされているようです)、英国病と戦い、新自由主義的改革を進めた点では、一致しているでしょう。フォークランド紛争までは、支持率も高くなく、政権運営に苦労していたのです。労働組合との対決も、困難なことでした。それらを乗り切ることで、支持を固め、改革に進みます。

伝記について考えてみました。
伝記は、その人の一生を描くのですが、その対象に行動と内面があります。どのような環境で育ったのか、また大きな仕事を成し遂げる人格はどのようにできたかです。その際に、行動は外から見てわかりますが、内面は他者にはわかりません。本人が執筆する回顧録には書かれる場合がありますが、それも「後付け理屈」となることもあります。そして政治家の場合は、難しい判断をしなければならない場合に、どのように考えて、また周囲との関係を考えて、そのような結論に至ったか。それも重要です。
もう一つは、その人の行動を描くだけでは、評価になりません。どのような課題に対してどのような判断をしたのか、それがどのような変化を社会にもたらしたかです。本人の行動を描くだけでなく、外部への影響を描かなければなりません。ここにも「内包と外延」があります。

サッチャー首相に関しては、次のような記事も書きました。「サッチャー改革の見直し」「サッチャー首相の評価、敵は身内に