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最高裁判断を国際水準に2

2026年6月13日   岡本全勝

最高裁判断を国際水準に」の続きです。

江島 近年海外では、新たな憲法を作る際に、国際機関や外国の憲法制定支援を受けながら、過去を反省して憲法裁判所を歯止めとして作ることも一般的です。しかし、46年公布の日本国憲法にはそうした機会がありませんでした。違憲審査権が導入されたものの、どう運用していけばいいのか、先例もありません。初の法令違憲は73年と、時間がかかったのは、最高裁においても模索が続いていたということでしょうか。

泉 戦前の裁判官が公職追放もなく、戦後もそのまま裁判官となり、上層部を占めていましたからね。

―裁判所が、国際人権条約を生かした判断をあまりしないのはなぜでしょうか。

泉 裁判官は人権条約についてきちんとした教育を受けておらず、民事や刑事事件で目にすることはほとんどありません。条約は「国と国の約束」で、法的効果を国民一人ひとりに与えるものではないという誤った観念が強いのだと思います。
裁判官は、裁判所も国家組織の一部で自分たちも統治機構の一部という感覚を持ちがちで、国会や、内閣を頂点とする行政庁との摩擦を避けようとする傾向があります。

―司法の判断を国際水準にするための制度改正に何が必要ですか。

泉 一つは個人通報制度の導入です。人権を、条約に違反して侵害された個人が、被害を条約機関に通報して、救済を求める仕組みです。裁判所が人権条約に正面から向き合うことになり、そのことを通じて、同じ人権問題に対する諸外国の取り扱いに目を向けることになります。
例えば、夫婦同氏を定めた民法750条の合憲性が最高裁で争われてきましたが、女性差別撤廃条約に違反するとして、規定を改めるように、国連の女性差別撤廃委員会などから日本政府は繰り返し勧告を受けてきました。個人通報制度が導入されれば、こうした見解を裁判所も真剣に受け止める必要が出てきます。

江島 世界の裁判官との対話も大事ですね。裁判官対話は、世界的に活発です。最高裁も、性同一性障害特例法の憲法適合性を考える際に、ヨーロッパ人権裁判所の17年判決に触れています。19年の合憲決定では補足意見としてでしたが、23年の違憲決定では多数意見の中で言及されたことを特筆したいです。グローバルな人権法をてこにして、裁判官が国境を越えて対話する可能性が示されていると思います。

江島 そして、国会です。旧優生保護法は制定時から違憲だったのですから、本来作るべきではなかった。作ったことが誤りであったならば一刻も早くそれに気づき廃止し、被害者を救済すべきだった。そのいずれも後手に回った国会は、二度と同じことを繰り返さないための仕組みを真剣に考えて欲しいと思います。先ほど言われた国連が推奨する国内人権機関はその筆頭です。

泉 最高裁に憲法調査官を常置し、世界の判例や制度を継続的に調査・研究できる態勢を制度化して欲しい。最高裁判事に憲法学者や行政法学者を複数任命することも検討に値します。

人工知能と競争する

2026年6月12日   岡本全勝

連載「公共を創る」は、これまで書いたことの要約に入っています。ある知人曰く「人工知能にさせれば、すぐにやってくれますよ」。なるほど、そうですね。
かつて行った講演を、主催者が機械で文字に起こし、要約を作って送ってきたことがあります。「確認してください」とのことでした。読んでいくと、よくまとまっています。「すごい」と思ったのですが、読み進めていくと、変なところがでてきました。さらには、私が話していないことまで書いてあります。「なんじゃこれは??」
便利だけど、信用してはいけないと言うことでしょうか。

しかしこの指摘を受け、人工知能に負けてはいけないと、闘志がわきました。「そうだ、単純に要約するのではなく、長期にわたって書き続けたことを現時点で振り返り、その視点でもう一度考え直そう」と思い至りました。しんどいことなのですが。

要約する機能以上に、人工知能(AI)が発達して、人の代わりに文章を考えてくれるそうです。しかしこれも、広く世の中にある文章を要約しているのですよね。
新しいことを述べたり、自分の考えを語ったりする際に、過去の蓄積(本や論文)を元にします。全くの無から、新しいことを生み出すことはできません。その際に、かつては自分で論文を探す、知っている人に聞くことが主でしたが、インターネットが発達してからはネットで検索することが便利になり、さらに人工知能は検索しなくても過去の文章を探して書いてくれるのです。

すると、人工知能には書けない内容を書こうと、これまた闘志がわきます。すでに書かれてている事実や主張を元にするのですが、それを越える「付加価値」をつけなければなりません。

最高裁判断を国際水準に

2026年6月12日   岡本全勝

5月19日の朝日新聞オピニオン欄、泉徳治・元最高裁判事と江島晶子・明大教授の対談「最高裁判断を国際水準に」から。

旧優生保護法をめぐる違憲判決をはじめ、「憲法の番人」としての最高裁の存在感が近年、増しているようにも見える。しかし、これで十分なのか、司法の判断は国際水準といえるのか。制度改革について発信を続ける元最高裁判事の泉徳治さんと、憲法・国際人権法に詳しい明治大学教授の江島晶子さんが語り合った。

―今年は日本国憲法の公布から80年、自由権規約が国連で採択されて60年の節目の年です。人権を守るとりでである最高裁はその役割を十分に果たしているでしょうか。

江島晶子さん 障害のある人たちに不妊手術を強いた旧優生保護法を、立法当時から違憲だった、と判断した2024年7月の最高裁判決が考えるヒントを与えてくれます。賠償請求権が不法行為から20年の除斥期間経過により消滅したものとすることは、「著しく正義・公平の理念に反し、到底容認することができない」と述べて、被害者の救済を図ったことは画期的でした。とはいえ、救済にあまりに時間がかかりすぎました。司法だけではなく、人権侵害を救済する仕組みを社会全体でどう整えていくか、という問題を投げかけました。

泉徳治さん いま振り返れば、被害救済すべきだというのは当然のことです。問題はなぜ、当たり前のことに気づけなかったのか。法律で制度が作られると、国民はそれが正しいものと思い込んでしまいます。被害者は声をあげるのが難しい。時間はかかったけれども、被害救済へつながったのは、世界の動きの影響があったからでしょう。例えば、1998年に国連の自由権規約委員会が日本に補償を勧告し、99年にスウェーデンで「不妊手術患者への補償に関する法律」ができています。

江島 外からの目と、当事者や被害者支援団体など内からの声が結びついたことが、被害者救済の推進力になったということですね。

泉 人権は世界共通の課題です。国連の条約機関の勧告に謙虚に耳を傾けること、世界の人権状況を把握して日本国内の人権の向上を図るために、国内人権機関を設置することが必要だということを、旧優生保護法の問題から学ぶべきです。

―戦後の最高裁の違憲判決を振り返ると、法律を違憲としたものが14件、裁判手続きなどを違憲としたものが15件で、計29件です。全体的にどう評価されますか。

泉 大きく三つの時期に分けられます。(1)1973年の尊属殺重罰規定を違憲とする裁判が出る前の段階(2)この判決が出てから2001年の司法制度改革審議会の意見書が出る前の段階(3)その後、です。(1)では自白のみによる有罪判決を違憲とするなど裁判手続きを問題にしました。戦後新しくなった刑事訴訟法が定着しておらず、修正が必要でした。(2)の時代に薬事法の薬局開設距離制限規定の違憲判決(1975年)、「一票の格差」が最大約5倍になった、公職選挙法の議員定数配分規定を憲法14条に違反すると初めて判断した判決が出ます(76年)。
(2)の時期で注目したいのは、中村治朗さんという英米法に造詣(ぞうけい)の深い人物が最高裁の首席調査官にいたということです。いずれの違憲判決もドイツの連邦憲法裁判所の判決や米連邦最高裁の判決などを参照していて、中村さんの影響が大きかったとみられています。
政府の司法制度改革審議会の意見書は、違憲審査制が十分に機能していないとして、憲法問題など重大事件に裁判官が専念できる態勢作りの検討などを提言しました。それ以降、法律を違憲と判断したケースが9件に上ったのは、意見書の影響があったと考えています。裁判官は当然、意識しますから。
この項続く

連載「公共を創る」第260回

2026年6月11日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第260回「これまでの議論ー平成の変化─ICT、家族形態、男女共同参画」が発行されました。
「平成の変化」に関する記述を続けます。「昭和の変化」では身の回りの物が劇的に増え、私たちの暮らしを大きく変えました。それに比べると平成の変化では、物は大きくは増えていないように見えます。ところが社会の中では、大きな変化が始まっていたのです。物ではなく、暮らしの形が変わり始めていたのです。

その一つが、情報通信技術(ICT)、すなわちコンピューターとインターネットの飛躍的な発展です。パソコン、携帯電話、スマートフォンは、いつの間にか、私たちの暮らしだけでなく社会の仕組みまで変えました。
それまで職場や家庭を単位に連絡を取っていた個人同士が、移動しながら直接会話するという形が出来上がりました。仕事の仕方が、体を使うことから、パソコンに向かってキーボードを叩たたくものになりました。職務内容によっては、職場に出勤しなくても、自宅でも外出先でも仕事ができるようになりました。商品の購入も、電子決済と宅配便の普及で購入者と直接取引ができるようになりました。クレジットカードとICカードの普及は、現金を持ち歩かなくても良くなりました。

インターネットとスマホの発達は、情報を入手したり知人同士で連絡を取ったりするだけでなく、世界に向けて情報発信することを可能にしました。一億人が記者に、出版社に、映画監督になることができます。万民に対して「表現の自由」を実質化したとも言えます。
ところがその発信内容には、十分考えたものではなく、思い付きや感情のままの発言、過剰な表現もあります。匿名なので、嘘や誹謗中傷も書かれます。他者とのつながりを便利にするスマホが、それを阻害する状況さえ表れました。つながっている先は、携帯電話では人でしたが、スマホでは娯楽性の高い映像や商品の宣伝画像などです。
子どもが有害な情報を見たり、見知らぬ人にだまされて被害に遭ったりしています。いじめに使われる場合もあります。詐欺被害も多発し、被害額も巨額になっています。

平成時代の暮らしのもう一つの変化は、家族形態の変化です。「昭和の標準的家庭」は夫婦と子ども2人でしたが、未婚化や晩婚化、配偶者と死別した高齢者の増加で、単身(単独)世帯が増えました。生き方の多様性が認められるようになったのですが、一人暮らしでは、家族による支援がなくなります。

佐藤仁・前南三陸町長の回想2

2026年6月11日   岡本全勝

佐藤仁・前南三陸町長の回想」の続きです。

―他にも制度に疑問を持っていたことはありますか。
佐藤 政府は復興にあたって「創造的復興」という理念を掲げましたが、この内容には疑問がありました。政府がいう創造的復興とは、基本的にインフラに関しては原型復旧です。元の場所に復旧させろということです。
例えば、海岸近くにあった運動公園は津波で約3分の1が流失しました。安全性を考えれば別の場所への移転が合理的なのは明白です。しかし制度上は「元の場所に復旧すること」が原則であり、移転が簡単には認められませんでした。この調整に2~3年を要しましたが、最終的には復興副大臣に直接働きかけ、内陸部への移転が認められました。

南三陸町の人口はかつての約2万人から、今は約1万2000人に減少しています。それでも制度上は、2万人時代の施設を前提に復旧を進めようとする。これは将来世代に過重な負担を残します。私たちが目指した創造的復興は、より立派にすることではありません。身の丈に合った町をつくることでした。やめるものはやめる、縮小するものは縮小する、統合するものは統合する。それが本当の意味での創造的復興だと思っています。

―そのようなことを踏まえて、復興において重要なことは何でしょうか。
佐藤 発災後だけでなく、平時の時から考える「事前復興」を含めた総合的な対応が重要です。復興庁は東日本大震災を契機に設置された組織ですが、今後はこの11月に発足すると報道されている防災庁が、災害前の備えから発災直後の対応、復旧・復興のプロセスまでの役割を一体的に担うことに期待しています。

―復興を通じて、官民の役割分担はどうあるべきだと考えますか。
佐藤 大災害の復興では、自治体だけでは何もできません。役割は明確に分かれます。自治体は、道路や住宅地などのインフラ整備を担います。一方、漁業・農業・林業・観光・商業といった産業の再建は、基本的にその分野に携わる人々が主体となる必要があります。

大災害時には、行政職員自身も被災者であり、家族を失ったり自宅を流されたりしています。その中で行政機能の再建とインフラ整備を担うため、すべてに手を回すことは現実的ではありません。南三陸町では、それでも職員は愚痴を言わずに働き続けました。私は彼らを「スーパーヒーロー」だと思っています。だからこそ自治体の職員にすべてを背負わせてはいけない。自治体では、制度や資金に関する情報提供などはしますが、産業の再建は民間主体に委ねるという役割分担が不可欠です。
そして、そのような役割分担をうまく機能させるためには、再建に向けて同じ方向を向くことです。南三陸町は小さな町で顔の見える関係があったこともあり、自治体と民間の間で信頼関係が築かれていました。「この人なら任せられる」という関係性が機能していたことは大きかったです。