両論併記は客観的な報道か

2026年7月13日   岡本全勝

6月20日の朝日新聞オピニオン欄「「係争中」がもたらすもの」から。
・・・「係争中」。その一言が、表現や報道の現場に萎縮と自粛をもたらすことがある。提訴が言論を封じる手段になる場合も。裁判で争われているということは、議論を封印する理由になるのか・・・

高田昌幸・専修大特任教授の「後ろから弾、恐れず真相へ」
・・・見解が対立する問題を取り上げる際、双方の言い分を両論併記する。それが「客観的な」報道だと思われています。しかしそれは記者にとって最も安易な道です。場合によっては一方の訴えに明らかに理があるかもしれないし、両者の主張の間に真実があるかもしれない。それを徹底的に調べる作業を怠り、どちらからも距離を置いた記事は公正な報道とは言えません。
特に、一方が政治家や官庁、大企業の場合、両論併記的な報道では、ジャーナリズムの本務である権力監視を果たせません。水俣病をめぐっては、1959年に熊本大研究班が原因を有機水銀と突き止めた後も、在京メディアは根拠薄弱な非水銀説を「中立的に」併記し続け、国とチッソによる原因確定引き延ばしに結果的に加担しました。
圧倒的な力の不均衡がある対立構造の中では、まずは弱き側の声なき声に謙虚に耳を傾け、調査報道によって真相に迫る。それが報道の本来の責務です。

しかし、調査報道はリスクや困難を伴います。権力は組織防衛のためにあらゆる手段を尽くす。そして企業メディアの記者にとって最も怖いのは、後ろから弾が飛んでくることです。
北海道新聞時代、道警の裏金問題を徹底的に報じました。道警側の「反撃」はすさまじいものでした。事件の取材は拒否の連続。道警の元総務部長からは名誉毀損で訴えられました。
その過程で最もこたえたのは、道新幹部らが道警との関係修復のため元総務部長と秘密裏に交渉し、記事について社内調査すると約束していたことです。道新は取材班による一部記事に非があったとして謝罪し、私は処分を受けました・・・