月別アーカイブ:2026年8月

SNS子どもの利用時間制限、アメリカの裁判

2026年8月29日   岡本全勝

8月28日の朝日新聞が「米メタ、子のSNS2時間まで アメリカの訴訟、2.8兆円で和解」を伝えていました。実施されれば画期的ですが、年齢確認の方法をどうするかといった問題があり、他社も同様の措置をとることを条件にしているので、先行きは不透明でしょう。

・・・子どもの依存対策を怠ったとして提訴されていた米国のSNS大手メタ(旧フェイスブック)は26日、和解金として10年間で最大180億ドル(約2兆8600億円)を支払うことで48州と和解した。18歳未満の子どもがインスタグラムを使える時間を1日2時間に制限する措置も設ける。悪影響への懸念が強まるSNS業界全体の転換点となる可能性がある。

テック企業による和解金としては、過去最高額とみられる。ただ、メタは敗訴した場合、制裁金が2千億ドル(約32兆円)規模に上る可能性もあり、経営上の大きなリスクとなっていた。
原告の48州は、メタが自社製品の中毒性を知りながらも利用者拡大を優先し、子どもたちに依存症や精神的な害を及ぼしたとして提訴した。
和解に基づき、メタは米国内で、インスタグラムやフェイスブックに1日合計2時間の利用制限を設けるほか、深夜0時から午前6時までは利用を禁止する。年齢確認をより厳しくすることなどでも合意した・・・

・・・SNSはたばこと同様に中毒性があり、子どもに睡眠障害やうつ病、摂食障害などを引き起こしている――。今回の裁判は、「欠陥的な設計」を作り、そうした事態を誘発した企業の責任や是正策が問われていた。
メタは和解案で、18歳未満の利用者を対象に、1日2時間の利用や深夜の利用を制限する措置などに踏み切った。
「子どもや親に求められていた責任が、企業やその設計に移った。非常に画期的だ」と、カリフォルニア大学サンフランシスコ校小児科のジェイソン・ナガタ准教授は話す。「他の国々や他のSNSも含めて適用していくべきだ」とも言う。

子どもへの健康被害を知りながら放置していたとされるメタに不利な証拠が裁判で明らかになりつつあった。
サンタクララ大ロースクールのエリック・ゴールドマン教授(サイバー法)は、「和解金は、メタの企業規模からすれば経営に影響を与えるような金額ではない」と話す。メタは和解に合意したものの不正行為と子どもの被害への責任を認めてはいない。ゴールドマン氏は「メタが責任を認めないのは、他にも訴訟を抱えているから。ここで認めれば、防御が難しく、あるいは不可能になる」と話す。
メタは和解金の一部の支払いについて、ティックトックやユーチューブが同様の安全措置を導入することを条件とした。
自社だけが厳しい規制を受ければ、若者が競合サービスに流れるリスクがあるからだ。国や州政府が競合にも同水準の対策を求め、業界全体に共通のルールが広がるか、今後注目される・・・

豊かになるために働くと2

2026年8月28日   岡本全勝

豊かになるために働くと」の続きです。漁師の逆襲に笑ってしまいますが、「たくさん儲けたので、引退して悠々自適」という人は、あまり見かけませんねえ。昔は、ある年齢になると隠居するという風習もありましたが。定年で退職、再就職先も終わって仕事がなくなった状態が、それに当たるのでしょうか。少し違うような気もします。

幸せや満足とは何かを、考えさせられます。「人工知能で浮いた時間は仕事に」を考えると、人生に目標を持つのかどうか、足るを知るかどうかによるのかもしれません。目標がないと、いつまでも仕事を続けるのです。
人間は、じっとしていられない動物のようです。子どもを見ていると、特にそう思います。常に動き回る、先に進みたくなるのです。すると、手に入れた幸せ(現状)に留まらず(満足していても)、さらに先を目指して活動します。
ただし老人になると、さらなる活動が難しくなり、またおっくうになって留まります。そこで、満足を認識するのでしょう。

次のことも、思い出しました。
新地方自治入門』(2002年)で、梶山静六・元官房長官が、大平正芳・元総理の次のような言葉を紹介しておられることを書きました(『破壊と創造』2000年、講談社)。
「梶山君、日本人はずっと貧しい社会を生きてきたから、貧困の中で美しく生きることは知っているが、豊かさの中でどう生きるかは知らないんじゃないか」

経済同友会提言「人口減少時代の地方自治」

2026年8月28日   岡本全勝

8月17日に、経済同友会が「人口減少時代の地方自治 ―単独・自前型から連携・分業型への転換―」を提言しました。

・・・本会では、2024年11月に公表した報告書「地方創生の加速に向けて~近隣地連携・遠隔地連携のさらなる推進を~」において、人口減少下で地域の持続可能性を確保するためには、自治体間連携が必須である旨を指摘しました。その後、引き続き、地域共創委員会を設置し、地方自治体等との意見交換を重ねる中で、自治体間連携の必要性は広く認識されているものの、具体的な連携像の共有や連携を後押しする財政制度、企画・実装を担う人材の不足といった課題を確認しました。

本提言は、こうした課題に対して、自治体間連携を実装段階へと進めるための制度改革を示すものです。人口減少時代の地方自治に求められるのは、各自治体が全ての機能を抱え続けることではなく、住民に必要なサービスを地域全体として安定的かつ効率的に提供することであるとの考の下、「単独・自前型」からサービスごとに最適な主体・規模・手法を選択する「連携・分業型」へと地方自治のあり方を転換することを提言しています。そのための第一歩として、行政サービスごとの連携モデルとコストの可視化、地方交付税制度の改革、自治体間連携や官民連携を企画・実装する半官半民の「公務・公共サービス法人」制度の創設を求めています。また、「連携・分業型」への転換の基盤として、「地域の未来予測」の策定の義務化、人材健全化指標の導入、ローカル・ルールの見直しと業務標準化を進めることを求めています。・・・

経済界が地域の課題について関心を持ってくださるのは、ありがたいことです。できれば、地域の疲弊を招いている東京一極集中、大企業の本社が東京に集中していることにも、取り組んでほしいです。「東京一極集中「学」の勧め

連載「公共を創る」第268回

2026年8月27日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第268回「これまでの議論ー人間らしい生き方とは」が発行されました。
前回から、第1次安倍晋三内閣で取り組まれた、再チャレンジ政策について説明しています。私が、格差や社会生活問題など「人間らしい生き方への被害」に関心を持ったのは、これに従事したことからだったのです。古典的なリスクとは違った対応が必要でした。しかし、行政はそれを全体として把握していませんでした。

再チャレンジ政策に取り組んでいると、弱者や困っている生活者を生んでいる原因として、日本社会の特性も見えてきました。どこにも明文はないのですが、国民の多くが信じている(あるいは信じていた)「通念」です。
一つ目の問題は、日本社会は「単線型社会」であり、標準型に乗らないと負け組になると考えられていたことです。日本社会の問題の二つ目は、「外部に冷たいムラ社会」ということです。 三つ目は、「仕事優先社会」「会社優先社」だということです。

再チャレンジ政策に取り組んだころは、その背景にある単線型社会、外部に冷たいムラ社会、会社優先社会という「この国のかたち」を変えることは、とてもできることとは思えませんでした。ところが私の予想に反し、この20年間に社会は大きく変わりました。
一つ目の単線型社会については、転職が増え、中途採用も普通になりました。 二つ目の外部に冷たいムラ社会については、疑似ムラであった会社が、従業員の家族を含めて面倒を見ることができなくなりました。三つ目の仕事・会社優先社会も、急激に変化しました。それを崩したのは男女共同参画の進展だと、私は考えています。
男女共同参画も働き方改革も、政府が方向性を示し、法律をつくったりして誘導しました。それは国民の意識改革を後押しする効果がありましたが、何といってもその原動力になったのは、女性の社会進出です。働く女性が増え、男社会の昭和の職場が変化せざるを得なくなったのです。

憲法には男女同権が定められましたが、半世紀の間、実態は変わらず、この20年間に急速に進みました。これは驚異的なことです。
「夫は会社、妻は家庭」という「この国のかたち」を崩したのは、政治の力や指導者層というよりは、国民、特に女性の行動であったように見えます。社会の指導者層は単線型社会での勝者であり、ムラ社会を取り仕切る側であり、仕事優先社会の代表であり、何より男性でした。そのように見ると、これは「男性支配」「男社会」を崩した「革命」なのです。

コンビニの存在

2026年8月27日   岡本全勝

8月9日の朝日新聞「コンビニと:1」「人々の暮らし 社会のニーズ映す鏡、変幻自在」から。
・・・米国を起源とするコンビニエンスストアが日本で誕生してから半世紀余り。全国に約5万6千店を数える現在、その機能は物販にとどまらない。コンビニとはいかなる存在か。建築、ファッションなどの視点から、全5回で考える。

コンビニジャーナリストとして長く業界を見つめてきた吉岡秀子さんは「コンビニは日本社会を映す鏡」だと語る。
セブン―イレブンを率いた鈴木氏は、顧客目線や変化対応を提唱した。吉岡さんによると、「小さな商店主の集まりであるコンビニでは、地域や時代ごとの細かなニーズが、商品ラインアップや機能の拡充といった形で反映されてきた」。

経済成長下の1970~80年代、黎明期のコンビニが提供したのは「時間」という価値だった。長時間労働が広がる中、深夜まで営業するコンビニは働く人に重宝され、社会に定着していく。
バブル崩壊後は、各社は「質」の追求にかじを切る。セブン&アイのプライベートブランド「セブンプレミアム」のように、価格を抑えながらも高品質な商品が人気を集める一方、店舗はATMやコピー機、宅配の窓口など生活を便利にするサービスを次々に実装。2000年代以降、自治体と包括連携協定を結ぶ動きも広がり、社会インフラ化した。
11年の東日本大震災ではライフラインとしての機能に注目が集まり、近年は、こども食堂の支援や過疎地への出店といった地域社会の課題をビジネスチャンスと捉える動きが加速している。

公的な性格を強める背景には、ドラッグストアやホームセンターといった競合との競争激化もある。ただ吉岡さんは、その社会的責任の範囲を考え直す段階に来ているのではないかと指摘する。
「大型スーパーとの差別化を目指して登場したコンビニは、今や縮小する街や行政の機能の多くを肩代わりし、人々の『居場所』にもなる存在へと変化した。ただし過剰な期待はオーナーや従業員ら現場の負担にもなりかねない。何をどこまで任せるべきか、改めて考える必要がある」

ではこの半世紀、コンビニの「便利さ」は、人々の生活感覚にどんな変化をもたらしたのか。
不便益システム研究所代表で、京都先端科学大学の川上浩司教授(システム工学)は、「食の外部化」が与えた影響を次のように説明する。
「かつてコンビニ弁当やおにぎりは、あくまで自炊を補う手段として存在した。だが今は選択肢が反転し、出来合いの弁当や総菜がデフォルト(規定値)という人も少なくない」
最近、学生が初めて自炊した時の感動を語るのを聞いて驚いたという。
「コンビニ弁当が当たり前だったから、自炊の価値に気づく機会も与えられなかった、と。便利さがデフォルト化すると、手間のかかる他の手段や価値は不可視化されていく。コンビニがなかったらと想像することすら難しい時代を、私たちは生きているのかもしれません」・・・