月別アーカイブ:2026年8月

日本社会の平等を支えたもの2

2026年8月15日   岡本全勝

日本社会の平等を支えたもの1」の続きです。「異論や逆張りの発想の重要性」の続きにもなります。
村の中では、みんなと変わったことをすると、批判されました。なるべく、みんなと同じことをすることがよいとされました。村の中の団結を保つためでしょう。

日本人論は流行らなくなりました。しかし、社会の通念は社会や家族を通して引き継がれ、「この国のかたち」を続けているようです。周囲に合わせる横並び意識、それを強制する同調圧力です。
例えば、雇用慣行です。日本はメンバーシップ型雇用で、新卒を一括採用し、組織内で配置転換し、年功序列の昇進を行います。そして、定年まで面倒を見ます。村の中で、共同で稲作をしたのと同じです。所属が、農村から企業に代わったのです。
この雇用慣行は、経済発展の過程でできあがったようです。そして、工場生産のような職場では、効果的に機能したようです。
社員には能力の差、意欲の差、会社への貢献度の差があるのですが、極端な者を除いて、なるべく平等に扱うようにします。しかしそれは、部下の評価にも現れます。なるべく差をつけず、ほとんどの部下を真ん中くらいに評価するのです。

若者も起業せず、勤め人を選びました。私が大学時代に、アメリカの経営者が「なぜ日本の若者は、企業勤めを選ぶのか。しょせんは従業員ではないか。結構な事業をしている家の息子が、大学を出て、家を継がずに会社に入るのは理解できない」といった趣旨の発言をしました。そんなものかと思いました。ジョブ型とメンバーシップ型雇用の違い、そしてその背景に個人の能力を重視する「狩猟民族」と、集団への同一化を良しとする農耕民族の違いがあるようです。

教育もまた、一定の水準の生徒を育てることを目標としました。画一的教育です。そこからは、突出した若者は生まれません。「平等ではトッププレーヤーは生まれない

経済成長の過程で、多くの若者が会社勤めになったことも、平等を進めました。親から農業や事業を受け継ぐと、出発時点で差がついています。しかし、新卒採用では同じ出発点に立ち、会社での処遇も大きな差をつけませんでした。しかも、それは社員だけでなく、家族の面倒を見ることで、社会が平等な豊かさと生活に向かったのです。「一億総中流」という言葉もありました。

新憲法が平等を謳ったこと、戦後改革で財閥や大地主をなくしたこと、教育制度や社会保険、相続税制などで平等を支えたことなど、政治や制度が日本の平等を支えました。「世界で最も成功した社会主義」とも言われました。他方で、上に書いたような、国民の「横並び志向」が平等を支えたのでしょう。その後の長期停滞での非正規労働者の増加は、平等を壊しました。ジョブ型雇用への転換は、平等志向を崩していくでしょう。
この項続く。

相変わらず文化予算の少ない日本

2026年8月15日   岡本全勝

7月27日の日経新聞オピニオン欄に、坂本英二・特別編集委員の「文化軽視の政治いつまで 「日本美術館」は不要ですか」が載っていました。詳しくは原文を読んでいただくとして。そこについている表に、各国の代表的な美術館の来館者数や大きさ、職員数が載っています。

職員数について。
フランスのルーブル美術館は2000人、オルセー美術館は880人。
アメリカのメトロポリタン美術館は2000人、ニューヨーク近代美術館は750人。
日本の国立近代美術館は職員数74人、東京国立博物館は114人。

う~ん。そんなにも差があるのですね。経済大国と言っていたのは、何だったのでしょうか。「エコノミックアニマル」という蔑称もありました。

美術館、日本の特徴」で、博物館・美術館は、訪日外国人にとって観光名所となり、日本の文化の歴史や水準の高さを知ってもらうよい方法だと書きました。

東京都美術館、大英博物館日本美術コレクション展

2026年8月14日   岡本全勝

キョーコさんのお供をして、「大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱〜海を越えた江戸絵画」を見に、東京都美術館に行ってきました。行列に並び、30分待ちでした。館内も混んでいました。それだけの価値のある内容でした。お勧めです。

これだけもの立派な絵画が、ロンドンで残されているのですね。国内にも、これだけそろえている美術館はないでしょう。イギリス人が、幕末維新のころに、これらを手に入れ、収蔵したのです。貧乏した社寺が売りに出し、当時はそんなに価値があると思われずに、海を渡ったのでしょう。でも、大英博物館にあるから、残ったのですよね。

海を越えたふすま絵、約150年ぶりの再会」は、以前にニュースで見ました。元の所有者である談山神社は、明日香村(石舞台の横の道)を登った山の上にあります。立派な絵があったのですね。

教育の政治的中立性

2026年8月14日   岡本全勝

7月31日の朝日新聞オピニオン欄は、「「政治的中立」に潜む政治性」でした。
・・・沖縄・辺野古沖で平和学習中の生徒らが死亡した事故をめぐり、文部科学省が異例の「違法」認定を下した。「政治的中立」に反するとの判断だが、見落とされていることはないか・・・

手塚洋輔・大阪公立大学教授の「行政と現場、見解交わして」から。
・・・政治的中立は使い方や時期によっても異なり、たえず変化し、多義的です。
政権与党の考える中立、野党にとっての中立、教育現場にとっての中立と、それぞれの中身は違っていて、何が違反なのかは行政と教育現場の対話によって探り、「相場観」を作りあげるしかありません。
しかし、文部科学省の違法認定は、どう中立を判断するのかという枠組みを確立させないままであり、行政組織として拙速でした。自民党やメディアからの非難の高まりを回避するための判断だったようにみえます。学校側への聞き取りはしたものの、正式な見解が出る前に判断をし、対話を軽視してしまった。教員は、自ら省みる能力と責任を持つ専門家集団であり、その「自律性」をまずは重視すべきです。

もしも今回のことが辺野古でなかったら、政治的中立の問題ではなく、安全管理が中心に問われていたかもしれません。もしも当事者の学校法人が大学を運営していなければ、文科省ではなく、都道府県の私学担当部署に判断が委ねられていたと思います。森友学園で園児に教育勅語を暗唱させていたことなど、過去には政治的中立が問題視される事案がありましたが、文科省が是非を示すことはありませんでした。今回の判断は、様々な条件が重なった結果でもありました。

学校側の対応にも問題があったと思います。弁護士だけで第三者委員会を構成しましたが、民間企業の不祥事の対応ならば、それでいいのでしょうが、ここで問われているのは平和学習という正解が一つではない問いです。弁護士だけでなく、他校の教員や教育の専門家を入れるべきでした。
行政も学校も、教育の専門性に関する検証を放棄したことが問題で、今後の参考になりません。これは文科省と一学校法人だけの問題ではなく、広く教育に関わるからです・・・

教育基本法
(政治教育)
第十四条 良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

日本社会の平等を支えたもの1

2026年8月13日   岡本全勝

戦後の経済成長は、日本を世界最高水準の豊かな国にしました(その後は低下して、現在は上の下、中の上くらいでしょうか)。同時に、自由で、平等で、安全な社会も達成しました。過去や他国と比較してです。産業化で豊かになり、職業選択の自由や住む場所の自由も手に入れました。勤め人になって豊かになる過程で、平等になりました。これは、誇るべきことでしょう。
その中で、平等についての考察です。日本の「平等」には、経済発展だけでない要因があったと思うのです。まずは「日本人論」から。

各国の国民性を笑う小話に、沈没船の話があります。沈没しかけた船の乗客に、船長が海に飛び込むよう説得します。いくつかの型があるのですが、ここではその一つを。
アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄ですよ」
イギリス人には「紳士はこういうとき海に飛び込むものです」
ドイツ人には「規則なので飛び込んでください」
フランス人には「飛び込まないでください」
日本人には「みんなそうしていますよ」

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という、笑いのネタもありました。自分で判断するのではなく、他人の行動を見て同調するのです。考えてみると、この思考と行動が、横並び・平等を尊重する通念をつくったようです。「世間を気にする」です。「集団主義」とも呼ばれますが、積極的に集団をつくり貢献しようというのではなく、集団に従っていたらよいという「消極的集団」です。

かつて流行った日本人論に、農耕民族と狩猟民族との違いがありました。日本は農耕民族で、村の中で稲作について同様の作業、共同作業をします。他方で、西欧は元は狩猟民族で、能力ある者が獲物を捕ります。獲物を捕るために、競う必要があるというのです。西欧でも狩猟生活はずいぶん昔になくなったと思うのですが、気質として引き継がれているのでしょうか。
村で共同して生きていく日本と、共同するが個人の判断が強い西欧との違いは、「この国のかたち」の違いを説明するにはわかりやすいです。「厳密な話でないな」と、批判しないでください。
この項続く