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『解(ほど)けていく国家―現代フランスにおける自由化の歴史』

2024年1月15日   岡本全勝

解(ほど)けていく国家―現代フランスにおける自由化の歴史』(2023年、吉田書店)を読みました。
宣伝文には「公共サーヴィスの解体と民衆による抵抗運動…自由化・市場化改革の歴史を新たに描き直す」とあります。巻末についている、訳者である中山洋平教授による解説がわかりやすいです。

フランスにおける、この40年間の経済の自由化・市場化・国際化を解説したものです。第二次世界大戦後のフランスは、「ディリジウム」(国家指導経済)という言葉で表された、経済に対する強力な国家介入で知られていました。鉄道、通信、電力と行った社会インフラだけでなく大きな企業(金融、自動車、製鉄)といった企業も、国有でした。そして、政府とともにそれら企業の幹部を、特定の有名大学出身者(高級官僚)が占めていました。日本より、自由化は強烈な打撃だったのです。

本書では、第Ⅰ部(1945年~1992年)で、介入型国家が成立した過程を描きます。それは政府が一方的に主導したのではなく、人民戦線やレジスタンスの民衆動員(デモ)に基礎をおいていて、平等を求める国民の支持があったのです。これを、社会国家と表現しています。フランスは私たちの思い込みとは異なり、労働組合が弱く、デモがその代わりを務めます。フランス革命以来、民衆が街に出るのです。
しかし介入型国家が行き詰まりを見せ、官僚主導による自由化が徐々に進められます。その過程では1968年の五月事件も起きます。ドゴール政権に対して左翼が蜂起するのですが、総選挙でドゴール派が勝って、逆の結果になったのです。ミッテラン左派政権も、社会主義的な政策を掲げていたのですが、自由化へ転換します。

第Ⅱ部(1993年~)は、自由化、国際化の過程が描かれます。国家の後退、改革する国家から改革される国家へ、規制国家から戦略国家へなどという言葉が使われます。地方分権も含まれます。
この本のもう一つの軸は、民衆動員です。フランスの伝統でしょう。五月事件もその代表例ですが、政府は民衆動員を抑えようとします。規制国家は、秩序維持国家に変身します。それは、大量の移民の増加、社会の治安の悪化も理由として進みます。

サッチャー、レーガン、中曽根首相による新自由主義的改革、1980年以降先進国で進められたニュー・パブリック・マネジメントは、日本でも採用されました。
私は、フランスでどのようなことが起こっていたか、不勉強で知りませんでした。戦前の日本並みの中央集権国家(知事が官選)だったフランスが、ミッテラン政権で大胆な分権に踏み出したことは知っていたのですが、上記のような文脈にあったのですね。勉強になりました。

早朝も校庭・学童開放

2024年1月15日   岡本全勝

12月22日の朝日新聞に「早朝も安心、子どもの居場所 校庭・学童開放、共働き家庭のニーズ高まり」が載っていました。詳しくは記事を読んでいただくとして、このような需要もあったのですね。

・・・早朝の校庭開放など、朝の子どもの居場所づくりが広がっている。登校時間より早く保護者が出勤する家庭では、短い時間でも子どもが1人になってしまうからだ。共働き家庭の増加や、教員の働き方改革で、かつてより開門時間が遅くなっていることなどが背景にあるようだ。

東京都八王子市の市立由井第一小学校の校庭に、子どもたちが駆け込んできた。10月末の平日午前7時45分。人数はあっという間に50人以上に。サッカーをする子、おしゃべりする子……。3年の男子児童は「早起きも全然平気」。
同小では5月、朝の校庭開放を始めた。午前7時45分から8時15分まで校庭で過ごせる。地域の団体に委託し、毎朝5人体制で子どもを見守る。
2年ほど前まで開門は午前8時で、外で20~30人が待っている状態だった。緒方礼子校長は「教員の勤務時間前で、何かあっては困ると門の中には入れない対応だった」。ところが、近隣から「道路に出て危ない」などと意見が来るように。昨年からは門を入った所で待たせていた。
この地域は都心で働く保護者が多く、出勤時間が早い。1人でカギを閉め登校する子や、保護者と家を出て校門で待つ子が多かった。地域の要望も受け、朝の校庭開放に踏み切った。保護者からは好評だ。早起きをする子も増えた。不登校気味だった子も来るように・・・

・・・背景には何があるのか。社会学者で早稲田大招聘研究員の品田知美さんは「過去10年ほどでフルタイムで働く母親が急増したことが大きい」とみる。国民生活基礎調査によると、正社員で働く母親は2010年の16・9%から、21年は29・6%に増えた。
「以前は一番早く家を出て最後に帰るのが父親だったが、母親も同じように早く家を出るようになったということでは」と品田さん。「男女の格差が一部でも是正されたということで、自治体や学校の取り組みは支えになる」と評価する・・・

エッセイとessay

2024年1月14日   岡本全勝

エッセイと聞くと、随筆と考えますよね。でも、英語のessay、フランス語のessaiは随筆ではないのです。
インターネットで、Oxford Learner's Dictionariesをひいてみたら、「a short piece of writing by a student as part of a course of study」とあります。

色摩力夫書『黄昏のスペイン帝国ーオリバーレスとリシュリュー』(1996年、中央公論社)342ページに詳しく書かれていました。「フランス語の明晰性とその限界
ラテン語のexagiurnを語源として、本来の意味は「試みること」で、文書の上では「試論」です。純然たる学術論文ではなくて、必ずしも根拠をすべて明示せずに書かれた論文だそうです。日本語では「評論」と言えるとのこと。
モンテーニュの「エセー」は、随筆ですが。

佐伯啓思先生「日本の方向を決めるのは」2

2024年1月14日   岡本全勝

「佐伯啓思先生「日本の方向を決めるのは」1」の続きです。

・・・さて、この「神」の代わりになるもの、それは、日本の場合、概して海の向こうからくる「高度な普遍文明」であった。時にふれ、また陰に陽に、日本は、海外の普遍文明を必要とした。古く言えば卑弥呼の時代、倭の五王の時代から推古天皇の遣隋使、さらには奈良、平安時代の遣唐使へと続く。かくて、中国という「海外の高度な文明」を取り入れた人々が日本の支配層をなし、中国の権威を背景に、日本社会の秩序と方向を与えてきたのである。
その際、日本という周辺国が高度な普遍文明に対抗するには、普遍文明に学びつつも、それを「日本化」する必要があった。だから、古代日本は、中国から多様な文物だけではなく、仏教や律令制度などを取り入れたが、決して中国皇帝に臣従したわけではない・・・

・・・明治時代とは、いうまでもなく日本近代化の時代であり、近代化の手本は西洋であった。中国に代わって、西洋こそが高度な普遍文明となってたち現れ、あらゆる分野で、日本は、実に勤勉に西洋を学び「日本化」することで近代へと船出した。日本にとって、「西洋」は価値の源泉となる。明治の天皇制国家とは、日本の「現人神」を西洋の「立憲君主」に見立てるといういささか無謀な構想によって成立したものであった。

では、天皇主権国家が解体した戦後はどうであろうか。日本という国家の基本的な秩序を与え、その方向を示したのは「アメリカ」であった。現人神である「天皇」に代わって民主主義の「アメリカ」が疑似主権者になった。「アメリカ」こそが高度な普遍文明の象徴であり、日本はもっぱらこの普遍文明に学び、それを「日本化」することで、日本のあるべき方向を決定できた。

それでは、今日、われわれは、何を価値の基準にしているのであろうか。冷戦以降、世界はいわゆるグローバリズムの時代となり、われわれは「グローバルな世界」をとりあえずの価値基準にした。「アメリカ」が「グローバルな世界」へと変形されたといってもよい。それこそが普遍文明であり、日本はその周辺国家なのである・・・
・・・しかし、「グローバルな世界文明」はいくらまつり上げられても、誰もそれを実感として捉えることはできない。確かに、今日、われわれは世界中の情報にさらされ、日々の生活品は世界中のサプライチェーンによってもたらされている。だが、われわれの日常の経験のもたらす実感は、決して「グローバルな世界文明」と直結したものではない。
端的にいえば、庶民大衆は「グローバルな世界」なるものを担ぎ上げてはいるものの、「天皇」や「民主主義」と同様、誰もそれを信じてはいないのである。おまけにその「グローバルな世界文明」は、いまやあちこちにほころびを見せ、機能不全に陥っている。

おそらく、日本の歴史上、これほど、国をまとめ、国の進むべき方向を指し示す価値基準が見えなくなった時代は稀であろう。
「海外の高度な普遍文明」を指標とし、それを学び「日本化」することで国の秩序と価値を維持してきた日本のやり方がほとんど意味を失ってしまった。大きく言えば、それこそが、今日の日本にあって、政治家は方向感覚を失い、官僚は影響力を失い、知識人やジャーナリズムは確かな言葉を失った理由であろう。
だが考えてみれば、それはまた日本の長い歴史を貫いてきた「海外の先進文明に追いつく」という不安な心理的前提からの解放をも意味しているだろう。「中国」も「西洋」も「アメリカ」も、そして「グローバルな世界」ももはや価値基準とはならないのである。「追いつくべき先」などどこにもない。そうであれば、今日こそ改めて、われわれはわれわれの手で、自前の日本の将来像を描くほかなかろう・・・

最後の段落は、なるほどと思います。課題は、これまで「輸入」をもっぱらとしてきた知識人や指導者たちが、そのような訓練を受けていないこと。誰が、どのような方法で、実現するかです。私も連載「公共を創る」で、これまでの問題と今後の課題までは書いているのですが、今後の筋道を書けていません。

蟹ブックス

2024年1月13日   岡本全勝

蟹ブックスを紹介します。高円寺にある小さな本屋さんです。
この本屋も、店主の花田菜々子さんも、新聞などで紹介されているので、ご存じの方もおられるでしょう。「ダ・ヴィンチのインタビュー」2022年9月17日。朝日新聞読書欄2023年12月25日「花田菜々子「モヤ対談」」。

我が家の近所、600メートルほどでしょうか。高円寺駅南の商店街にあります。アーケード街には面していない建物の2階なので、乳母車を押しているときは、入りにくいのです。
「一度は覗かなければ」と思いつつ、時間が経ってしまいました。最近は、本屋に行く回数を減らしています。行くと買ってしまうので。

先日、入ってみました。小さな本屋さんですが、品揃えに納得。店主の哲学と見る目の良さが、よくわかります。で、数冊買ってしまいました。

高円寺の商店街では、私が引っ越してから(約18年)、いくつかの古本屋が閉店しました。大きな本屋もあったそうですが、私が来る前に薬局になってしまいました。南阿佐ヶ谷駅前の大きな本屋、ここは社会科学系がそろっていたのですが、建物の再開発で閉店し、戻ってきませんでした。