もう12月

今日は11月30日、明日から12月です。困ったものです、時間が経つのが早いのは。
「私の許可なく、いつの間に11月が終わったんだ」と、叫びたいところです。この台詞、かつては職場でよく連呼していました。

この秋が忙しかったことは、先日「ホームページ、遅い記事紹介」に書きました。講演や執筆以外にも、何かと雑務が入って。キョーコさんのお供の旅行もありました。夜の意見交換会が続きますが、自分で設営しているので、文句は言えません。

お呼びがかかることは、うれしいことです。でも、時間に余裕がないことは、仕事にも精神衛生にもよくありません。読もうと思って取ってある資料なども、貯まるばかり。好きな読書も進みません。困ったことです。

連載原稿は、右筆さんの協力で、何とか締め切りに間に合っています。
喪中はがきを書き終えて投函したので、これは12月に楽ができます。

法令順守疲れ

11月20日の日経新聞に、「不正対策 絞って強化 「コンプラ疲れ」解消」が載っていました。これは、多くの職場で役に立ちます。何か不始末があるとそのたびに確認や対策が積み重ねられる役所では、よくある話です。詳しくは原文をお読みください。

・・・コンプライアンス(法令順守)対策を効率化し、不正防止の効果を高めようとする企業が増えている。三菱電機は品質不正問題を機に、社内監査の質問数を大幅に減らし、リスクが高い項目に絞る手法に転換した。イオン銀行は営業員の報告書チェックに人工知能(AI)を活用している。法改正や不祥事の度に増える社内規定や研修を負担に感じる「コンプラ疲れ」を解消する狙いもある・・・

・・・社内の雰囲気を一変させたのは、21年に発覚した長崎県の工場での大規模な品質不正問題だった。不正検査やデータの虚偽記載が判明した。外部の弁護士らによる調査は約1年4カ月に及び、不正は最終的に同社単体だけで197件見つかった。
三菱電機の経営陣にとって衝撃だったのは、21年の品質不正問題が「再発」だったことだった。18年度に発覚した子会社の不正を受けて、他に品質不正がないかを点検してグループ全体で再発防止策を講じたばかりだった。その前の16、17年にも他社の品質問題を受けて品質不正の有無をチェックしていた。
3度にわたって徹底的に点検したのに、なぜ不正が見つけられなかったのか――。再発防止策の機能不全や対応する中間管理職の疲弊などの問題も浮かんだ。日下部聡常務執行役は「やり方を抜本的に変える必要を痛感した」と振り返る。
たどり着いたのが社内リスクを調べ、重要な事象を優先して対応する「リスクベース・アプローチ」だ。不正を受けて設置したガバナンスレビュー委員会にも同様の提言を受け、正式に方針を決めた。本体の各部門や子会社に想定リスクを尋ね、リスクの高い部門や事業を特定して先に対応にあたるやり方に改めた・・・

・・・コンプラ強化を目指す企業は多いが、一方で社内ルールや研修の負担が業務を圧迫する「コンプラ疲れ」の問題も指摘される。一橋大学経済研究所の森川正之特任教授が21年、政府の規制や社内、業界も含むルールが過剰だと思うかどうかについてネット上でアンケート調査を実施したところ、回答した20歳以上の労働者5707人のうち29.7%が「過剰感がある」と回答した。業種別にみると、金融・保険業(40.6%)や情報通信業(36.9%)で、過剰感が高かった。
調査では、就労者全体で労働時間の約20%がコンプラ業務に費やされるとの結果も出た・・・

生物学的なヒトの寿命は55歳

11月12日の読売新聞「あすへの考」、小林武彦・東大定量生命科学研究所教授の「老いて病む 人間の進化」から。哺乳類の総心拍数が種が異なっても同じという説は、「象の時間、鼠の時間」として何度か紹介しました。

・・・哺乳類の心臓は、総心拍数が20億回ぐらいに達すると終わりになるという仮説があります。60年生きるゾウも、2年しか生きないネズミも、トータルで約20億回は同じ。だからゾウの心臓はゆっくり2秒に1回ぐらい拍動するのに対し、ネズミの心臓は「トトトトトッ」と1秒間に10回ぐらいものすごい速さで打つ。
人間の総心拍数が20億回に達するのは、大体50歳前後です。また、がんで亡くなる人が55歳あたりから増えることや、女性の閉経年齢が50歳前後であることを踏まえ、私は生物学的なヒトの寿命は55歳ぐらいではないかとみています。

とはいえ、ヒトは最大で120歳ぐらいまで生きますよね。これは進化の過程で老いた個体、あるいは老いたヒトがいる集団の方が生存に有利に働き、選択されて長生きできるようになったためと考えられます。
もっとも、寿命にも限界はあります。世界中で115歳を過ぎた人は非常に少ない。どれだけ健康で体が丈夫でも越えられない壁がある。今なら120歳前後です・・・

・・・そもそも寿命がある、つまり「死」があるってことは、生物の進化に必要なんです。生物学的に考えると死があるから進化できた。古い世代が死に、新しい世代が生まれ、環境に適応するよう進化していくことで生物全体の生命が連続していく。ちょっと逆説的に聞こえるかもしれませんが、死ぬものだけが進化できて、今、存在しているのです。
進化は「変化」と「選択」から成り、変化は多様性であり、選択は、たまたまその環境で生きることができたものだけが生きてほかは死ぬということです。そこには意図も目的もない。キリンの首が長いのは、上のものを食べようと必死に努力したからではありません。変化により、たまたま首の長いのが誕生して、たまたまいい場所に葉っぱがあって、選択により、たまたま首の長いのが生き残った。生物学ではそう考えます・・・

校閲さんの驚異

連載「公共を創る」の執筆裏事情です。毎回難儀しながら書き上げていること、そして右筆が内容を精査するとともに文章を磨いてくれていることは、「連載「公共を創る」執筆状況」でしばしば紹介しているところです。

もう二人、お世話になっている人がいます。一人は編集長です。私の原稿を適当な長さに切って1回分に収め、3本目の表題を作ってくださいます。
もう一人は、校閲さんです。文章の間違いを正すとともに、読みやすいように加筆してくださいます。それが、神業なのです。
毎回、鋭い指摘を受けて、倒れています。先日は、図表を撃たれました。「調査対象30か国中32位」という表記があったのです。この図表は、この3年ほど講演会で使っていたのですが、ついぞ気がつきませんでした。「そんなのも気がつかないのか」とあきれるでしょうが、間違いとはそんなものです。

「職人の矜持」と言えば良いのでしょうか。脱帽です。
文章も、多分もっと気になるところがあるけれど、執筆者の意向を尊重してくださっていると思われます。「遠慮なく手を入れてください」とお願いしたら、ズタズタになるかも。
私が執筆する際に、「どうせ直してくださるので、原稿はいい加減でも良いか」と思ってはいけないのですよね(苦笑)。

で、全体を振り返ると、執筆割合度は次の通り(編集長を除く)。
私60%、右筆30%、校閲さん10%でしょうか。