平等社会の負の機能2

平等社会の負の機能」の続きです。平等社会という思想が、経済停滞とともに負の機能を発揮している二つ目です。それは「縛られる日本人2」に書いた長時間労働です。

家庭を顧みず、私生活を犠牲にして働くことを、一般の労働者に求めることの「ひどさ」です。私は、エリートが時に長時間労働を求められる場合や、私生活より仕事を優先しなければならない場合はあると思います。それが、エリートの務めです。企業にあっては経営者や幹部、役所にあっては幹部とその候補生・・・。他方で、一般の労働者は、勤務時間内に言われたことを処理すればよいのです。

なぜ日本で、長時間労働や会社など組織への忠誠が求められたか。そこには、「平等社会」の負の機能が働いていると思います。
「上司も部下も分け隔てなく」「上司も部下も一丸となって」といった表現は、うまく機能しているときはよいのですが、そうでないときは逆の機能を発揮するのです。勤務時間が決まっている労働者、給料分だけ働いている労働者に、幹部やエリートと同様の労働と忠誠を求めたのです。
幹部と一般職員とに、はっきりした区分があれば、こんなことは起こらなかったでしょう。

相続土地国庫帰属制度

4月27日から、相続土地国庫帰属制度が始まりました。4月28日の日経新聞「所有者不明の土地抑止 相続時、国への譲渡制度開始 国土の2割が登記未了」が解説していました。

・・・相続で譲り受けた田畑や森林などの土地を国に引き渡せる制度が27日、始まった。管理困難といった理由で手放したい場合、所有権に争いがないなどの10要件を満たせば国の管理下に移せる。法務省などに寄せられた相談は既に3000件超。管理が行き届かず「所有者不明土地」になることを防ぐ効果が期待される・・・

所有者不明土地は、2016年時点で410万ヘクタール、全体の24%にも上るそうです。2040年には720万ヘクタールに増えるとの推計もあります。
かつて土地は、最も重要な財産でした。生産の基盤である田畑や山林を巡って、争いが起きたのです。その財産が、一部の地域では負動産になってしまいました。

平等社会の負の機能

戦後の民主主義がもたらした素晴らしいものの一つに、平等があります。
憲法による法的な平等の保障も重要ですが、暮らしを平等に近づけた経済発展の方が重要だったと私は考えています。いくら法の前では平等と言われても、貧富の差が大きかったり、就くべき職業が決まっていたりすると、実質的な平等は実現できません。
昭和後期の「一億総中流」は、大金持ちが貧乏になったというより、貧乏な人たちの所得が上がったのです。農村で貧しい暮らしをして古いしきたりに縛られていた人たちが、都会に出て勤め人になり所得も上がり、社会の拘束からも自由になりました。

ところが、平等社会という思想が、経済停滞とともに負の機能を発揮しています。
一つは、「「庶民感覚」が商売の足を引っ張る」で書いたことです。
発展している時期には、「あの人も金持ちになったんだから、私も頑張ろう」とか「あの家も子どもを大学に行かせたから、我が家も努力して行かせよう」と、成功した人をうらやましく思いつつ、自分も努力しようと考えました。
ところが経済が停滞すると、「どうせ私が努力しても、あの人のようになれない」と思う人もでてきます。そこに、あの記事に書いたように、「庶民感覚」なるものを基準に、成功した人をやっかむという暗い言論が出てきます。

各人の思いを遂げることができるようにするためには、自由な社会が必要です。そこでは、努力の差、持って生まれた能力の差、環境の違い、そして巡り合わせという運によって、成果の違いが出ます。100メートル競走、大学入試、会社での出世などなど。「結果の平等」は望むことができません。それをしたら、多くの人が不満を持つでしょう。
他方で、あまりの不平等は、社会に不満を生みます。必要なのは、出発点での一定の平等「機会の平等」です。

「芸人のクセに作家気取り」

日経新聞夕刊「人間発見」、「芸人・又吉直樹さんが語る「普通とは何か」表現手段としてのお笑い、文学」。4月27日の「「芸人が芥川賞」の偏見」から。

・・・受賞後「芸人のクセに作家気取りですよ」などとテレビ番組で発言されたことがあります。そうした偏見は驚きません。驚いたのは、一部の文学者の反応でした。
性別や年齢や国籍や職業などあらゆる事柄が平等であるべきだと言ってきたのが言論人です。ところが「芸人が小説を書いた」という面だけを切り取って語る文学者がいたのです。失望しました。それは「今の時代、差別はダメです」と形式的に言うのと同じです。差別はいつでもダメに決まっている・・・

大型連休終了

春の大型連休が終わりました。長いと思っていたのに、あっという間でしたね。いつも同じことを言っています。
皆さん、行楽に出かけたり、休養をとったり、家庭の用事にと、有意義に過ごされたことでしょう。一部を除き天気もよく、新型コロナの行動制限も緩くなり、多くの人が出かけたようです。
飲食店や運輸関係の方は、休むどころではありません。病院や警察、消防も、休みとは関係ない仕事をしておられます。そのおかげで、平穏な暮らし、休みが過ごせます。感謝しなければなりません。残念ながらいくつか事故も起き、石川県の地震では大きな被害が出ています。早期の復旧を期待しています。

私は、締め切りが迫っていた原稿2本を、右筆の協力を得て、連休の初めに完成させました。やれやれ。そのあとも続きに挑戦していますが、またまた難渋しています。結論に入っているのですが、どのようにまとめるか悩んでいるのです。150回にわたりさまざまなことを書いたので、一苦労です。これまでの誌面を読み返し(それも労力が必要です)、「ここで、こんなことを書いたなあ」と思い返しています。
ホームページも少し書きためました。連休中も、結構な数の方が見てくださったようです。ありがとうございます。

一番の仕事は、孫のお守でした。運動不足解消の散歩にもなります。娘家族がやってきて、賑やかな食事も。じいさまにとっては、行楽地に出かけるより楽しいことです。
原稿は進みませんでしたが、連休中に執筆を進めようという発想が間違いだと思いましょう。肝冷斎は、休みなしで頑張っています。