『縛られる日本人』2

縛られる日本人」の続きです。本の6ページと21ページに、次のような日本人の発言が紹介されています。
「日本は、人間ファーストではなく、労働ファーストです」

これは正鵠を得ています。
貧しい時代は働かないと食べていけないので、多くの日本人は、百姓として朝から晩まで働きました。会社勤めになっても、その勤勉さを持ち込みました。勤勉は、日本人の美徳です。

これがおかしくなったのは、バブル期から平成時代です。「24時間戦えますか」と栄養ドリンクの宣伝が流行ったのは1989年でした(もっとも同時期に「5時から男」も流行っていました)。経済成長期の象徴である「サザエさん」では、波平さんもマスオさんも家で晩ご飯を食べています(時々、駅前で飲んでいますが)。

長時間労働は、霞が関の官僚の代名詞でした。それはまた、一部のエリートの「自己満足」でもありました(私もそうでした。が、年がら年中長時間残業をしていたのではありません。そうでない時期もある「季節労働者」でした)。「エリートなんだから仕方ない」と、本人も家族も社会もそう考えていたのです。
ところが、その長時間労働が、従業員一般に広まったのです。従業員は、勤勉さを会社に対して主張させられたのです。美徳どころか、家庭や私生活を犠牲にするという、変なことがまかり通るようになったのです。これは「男社会」でしかできないことであり、家族を泣かせていたのです。経営者たちが、それを変だと思わなかったことに、問題があります。
もちろん、これは都会の会社などに当てはまる事象であって、地方で家庭と仕事を両立させている人もたくさんいます。

私は官民を問わずエリートは存在し、その人たちは時に長時間労働が避けられないと考えています。しかし、それを従業員一般に求めることは間違いです。またエリートが残業するのは、意味がある目的のために行うべきで、無駄な仕事で残業するのはやめましょう。