競争が動物の進化を促す

3月26日の日経新聞科学欄「体サイズ急変、絶滅リスク 島の哺乳類、人類の狩猟も影響」が、興味深かったです。

・・・ドイツのマルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルクや東京大学などは、生物が体のサイズを極端に変える進化は絶滅につながりやすいとの分析をまとめた。島のような特殊な環境では大きい動物が小型化したり小さい動物が大型化したりする・・・
・・・大陸の祖先と比べて体重が1%程度になったゾウや、祖先の200倍の大きさになったジャコウネズミは絶滅した・・・

へえ、そんな進化もあったのですね。
私が注目したのは、「大陸から離れた島では捕食者がおらず、脳の縮小や走行能力の低下も起きる」という指摘です。
そこに人類が渡っていくと、簡単に捕まえられて、滅んでしまいます。

教育委員会の閉鎖体質

3月30日の朝日新聞夕刊「どうなる寄宿舎4」「廃止の決定 当事者抜きで」から。

・・・2022年5月20日、栃木県立那須特別支援学校(那須塩原市)の体育館に保護者が集まった。県教育委員会は21年11月、那須、栃木(栃木市)両特別支援学校の寄宿舎を23年3月末で廃止する、と全校の保護者に通知した。通知から4カ月後の22年3月に1回目、この日が2回目の保護者への説明会だった。

約7年かけて廃止を検討してきた、と県教委の特別支援教育室長が説明すると、父親の1人が質問した。「検討の過程でなぜ、寄宿舎生とその親の意見を聞かなかったのですか」
室長が「検討の場には保護者の代表にも入っていただきました」と返すと、体育館はどよめいた。「聞いていない!」。母親の1人が立ち上がり、「ここ15年間のPTA会長がこの場に来ています。誰も聞いていません」と言った。

朝日新聞が開示請求で入手した県教委の会議録によると、21年5月、非公開の有識者会議が1度限りで開かれていた。特別支援学校の保護者1人が参加していたが、子どもは寄宿舎を利用していなかった。
県教委は、当事者の意見を聞かずに廃止を決めた過程をどう総括するのか。阿久沢真理教育長に取材を申し込んだが、「どの社の取材も受けていない。お断りします」(総務課)との返答だった・・・

「どの社の取材も受けていない。お断りします」が、取材を受けない理由になるのですかね。
議会はどのような議論をしたのでしょうか。知事や市町村長が責任を持たない教育委員制度は、問題が多いです。

(追記)
と書いたら、31日の夕刊に「5 密室の審議、存続の願いは」で、県議会の審議が書かれていました。委員会審議は、すべて非公開だそうです。会議録の開示も、ほとんどが塗りつぶされていたそうです。なぜこの議題が、秘密にしなければならないのでしょうか。

古語解説「気配り」

「気配り」とは、かつて日本にあったとされる慣習。
周囲の人が困らないように、あるいは行動しやすいように、自ら行動すること。相手の行動を予測し「気を配ること」から来た語。例えば通路で並ぶ場合は、端に立って他の人が通りやすくすること。
スマートフォンの普及によって、公共の場でもスマホに熱中し、周囲に気を配らない人が増えて、この言葉はほぼ死語となった。先の例で言えば、電車の扉近くに陣取りスマホに熱中し、他人の通行の邪魔になっても気づかない。通路でもスマホを見ながら歩き、他の人とぶつかるなど。

「気配りはやめよう」と、政府が推奨したり法律で禁止しても、ここまで徹底できなかったでしょう。
スマートフォンが普及して、まだ20年も経ちません。この短期間に、何百年も続いていたと思われる「気配り」の習慣が「絶滅危惧種」になるとは、スマホの威力はすごいです。その分野にノーベル賞やギネスブック認定があれば、第一位になるでしょう。

追記
読者から、次のような指摘がありました。
「気配り」は「仲間内ですること」としては生きているので。古語ではなく意味がずれた言葉(古今異義)なのでしょう。

インターネットにのめり込み心身を壊す人

読売新聞は、3月28日から1面で「情報偏食 ゆがむ認知」という連載を始めました。
・・・インターネットが普及しSNSで誰もが発信者となり得る「情報過多」の現代。個人の興味・関心に合わせて押し寄せる情報が、時に人々の行動を左右する。第2部では、偏った情報に流され心身に傷を負った人たちの姿を通じ、ネットやSNSが認知に及ぼす影響を考える・・・

28日第1回は「「激やせ」検索 壊れた心身」で、美しくなりたいとSNSにはまり込み、摂食障害になったり、過度な美容整形を行った女性の事例が紹介されています。
29日第2回は「ゲーム依存 入院3か月」で、インターネットゲームの中毒になり、医療センターに入院した事例が紹介されています。画面にはまる仕掛けがされていて、若者がのめり込んでしまうのです。

学校教育で、予防策を教えることが必要です。しかし日本の教育界は、そのような対応が遅くて、不得手なのです。

意識を変える難しさ

女性の昇進を阻む男性たち」「人は何に従うか」の関連にもなります。
人の意識を変えるといった場合に、二つの状況があります。
例えば、「たばこのポイ捨てをやめましょう」という呼びかけは、たばこを吸う人向けです。たばこのポイ捨てがなくならず、エスカレーター問題に見られるように、呼びかけだけでは効果が少ない場合にどのように働きかけるか。これが課題です。
ところが、女性の昇進を進める場合は、呼びかける相手は女性ではなく、それを阻んでいる男性に向ける必要があるのです。すると、喫煙者向けより、難しくなります。
すなわち、本人の課題か、周囲の課題かです。

少子化問題についても、よく似た課題があります。生まれる子どもの数が減っています。しかし、夫婦から生まれる子どもの平均数は減ってはきていますが2人程度で推移しています。すると、夫婦に向かって「子どもを産みましょう」と呼びかけても、大きな効果はないでしょう。
結婚した夫婦から生まれる子どもの数が減っていないのに、子どもの数が減っているのは、結婚する若者が減っているからです。
夫婦に働きかける以上に、独身者に結婚する気になるように働きかける必要があります。「若者には結婚したい意識がある」という調査結果もあります。彼ら彼女らが結婚に踏み切れない課題を解決する必要があります。それは、彼らに問題があるのではなく、社会の仕組みに問題があります。
「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」のような昭和の標準的家庭は、過去のものになりました。非正規の若者は結婚が難しいです。それを変える必要があるのです。