NHKウエッブ「解説委員室」に、神野直彦・東京大学名誉教授の「人間が幸福になる経済を求めて」が載っています。1月5日に掲載されたようです。
そこに、人間の欲求には「所有(having)欲求」と「存在(being)欲求」があることが説明されています。
「所有欲求」とは、人間の外側に存在する自然などを、所有したいという欲求です。
「存在欲求」とは、人間と人間とが、さらには人間と自然とが、触れ合い、調和したい、あるいは愛し合いたいという欲求です。
「所有欲求」がみたされると、人間は、「豊かさ」を実感します。
「存在欲求」がみたされると、人間は、「幸福」を実感するのです。
工業社会とは、存在欲求を犠牲にして、所有欲求を追求した社会だと、いうことができます。
つまり、「幸福」を犠牲にして、「豊かさ」を追求した社会なのです。もちろん、それは人間の歴史に、忌わしく纏わりついていた欠乏を、解消する必要があったからです。
しかし、工業化によって、欠乏の解消が進むと、自然資源を多消費していくことに、限界が生じてきます。
しかも、所有欲求が充足されていくと、人間の人間的欲求である存在欲求が高まっていきます。
コロナ危機からの復興にあたって、「より良き社会への復興」や「新しい資本主義」が掲げられるのも、根源的危機を克服して、新しい人間の社会を形成する使命が、認識されているからだと考えられます。
しかし、そうした新しい社会のヴィジョンを、構想しようとすれば、「それで人間は幸福になるのか」という根源的問いを、発し続けなければならないはずです。
というのも、この根源的問いを等閑にし、「幸福」の追求へと社会目標を転換しなかったために、二つの環境破壊という根源的危機を、つくり出してしまったからです。
生活困窮も、所得貧困というよりも、生存を支える自然環境や、人間の絆が破壊されることによって陥っています。
そうした生活困窮をコロナ危機が深刻化させましたので、その救済は現金を配るだけでは不可能で、自然環境や社会環境が支えていた生存条件を整備しなければならないことになるはずです。