連載「公共を創る」第127回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第127回「政治・社会参加の重要性」が、発行されました。
前回に引き続き、税金に関心を持ってもらう話を続けます。イタリアでは個人所得税の千分の8を宗教団体に、5を非営利団体に、2を政党などに納めることができます。スウェーデンでは、毎年の年金納付額が所得の一定割合に固定され、それが積み重なって本人の年金受給権が増えていくことを確認できます。

なぜ、このような政治参加や社会参加、そしてその国民の意識を議論するのか。それは、現在の日本社会の不安は、社会の仕組みと国民の暮らし方や意識によって生じているからです。そして、政府、行政による公共サービス提供では、解決しないのです。

ところで、政治学と行政学は政府の役割について、経済学と財政学は市場の役割と政府の関与について大きな蓄積があるのですが、社会については、社会学が分析はするのですが、どのように改善すべきか、政府や私たちはどのように変えるべきかの議論はあまりしません。
社会学は、哲学のような深遠な議論をするものから、格差や孤独なの身近にある具体問題を扱うものまで、様々なものを含んでいます。その全体像を系統的・分類的に示すことは難しいでしょう。私が期待するのは、社会学のうち「実用の学」と思われるものを集めて、分類し、それらを全体的に議論することです。政治学、経済学(の一部)が「実用の学」であると同様に、社会学にもそれを期待したいのです。「公共社会学」という学問分野の考え方もあるようです。それが発展することを期待します。

気仙沼市で講演

昨日25日は、気仙沼市の「東日本大震災からの復興とその先の未来へ」で、基調講演をしました。
大震災の復興で、政府と自治体、住民、企業、非営利団体は何をしたのか。従来の復興と何を変えたのか。さらに、流された町を復興する過程で、町とは何か、町のにぎわいはどうしたらつくることがわかりました。これは、今後の町の発展や住民の暮らしを考える際に、よい勉強になりました。それを簡潔にお話ししました。
その後、大西隆・東大名誉教授、大滝精一・東北大名誉教授、関満博・一橋大学名誉教授(このお三方は気仙沼市の復興会議委員でした)、菅原茂市長の討論会の司会を務めました。

震災から11年余りが経ちました。震災後に現地に行ったときは、被害の大きさと膨大ながれきの山に、「この先どのようにしたら復旧、復興するのだろうか」と思案に暮れました。今、その時を知らずに気仙沼を訪れた人は、震災を感じることはないでしょう。それくらいに、見事に復興しました。関係者の努力のおかげです。また、高速道路や大島架橋など、以前よりよくなったものもあります。被災という悲劇を経験し、これまで以上に強く、立派なまちをつくって欲しいです。
いつも思うのですが、先は長く思えますが、過去は短く感じられます。
このあと、気仙沼市をはじめ被災地が発展するかどうか。それは、産業にかかっていると思います。働く場があって、人が暮らせます。にぎわいも、それによります。もう一つの鍵は、若い女性です。仙台や東京に学びに行った後、ふるさとに帰ってくる人が少ないのです。この風潮をどう変えるか。

気仙沼は、去年のNHK朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」の舞台になりました。
久しぶりの気仙沼なので、いくつか復興の進んだ姿を見てきました。朝、気仙沼駅で一関行きの列車を待つ間に、そこから先の鉄道を引き継いだバス(BRT)が、南と北へと出発していきました。

個人の不満を吸い上げていない民主政治

8月12日の朝日新聞オピニオン欄、山腰修三・慶應大学教授の「安倍元首相銃撃 民主主義という参照点から掘り下げて」から。

・・・また、「事件は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に恨みを抱いた容疑者が引き起こしたものであり、安倍氏の政治信条への異議申し立てではないのだから、民主主義とは関係がない」との反論もあるだろう。だが、これも7月18日付の朝日のインタビューでの政治学者・宇野重規氏の言葉を借りるなら、あまりに「表層的」である。
宇野氏によると、個人の不満を吸い上げる政治的な回路が機能不全を起こし、本来社会全体で解決すべき問題が、あたかも個人の問題であるかのように捉えられるようになった。政治と切り離され、漂流するこうした不満が今回のように暴力の形で噴出してしまったのであれば、それは「民主主義の敗北」にほかならない。今回の事件を読み解くうえで重要な指摘である。

近年、世界的な民主主義の退潮が繰り返し指摘されてきた。日本だけがこの潮流と無縁であることなどありえない。トランプ現象のような分かりやすい形で大規模に展開しなかっただけで、人々の不満や要求を政治につなげる回路は着実に衰退してきた。
日本では安倍政権下の官邸主導によってさまざまな政策が実現する一方で、民意を代表しているはずの国会での議論が軽視された。思い返せば、今世紀初頭の小泉純一郎政権下の経済財政諮問会議を通じた「改革」をメディアも世論も大いにもてはやした。だが、それもまた政党や国会を迂回し、一部の専門家やビジネスの論理を政治に反映させる手法であった。
一般の人々の不満や要求を政治につなげる回路たるべき組織や制度が徐々に衰退し、民意は漂流を始めている。人々は選挙も伝統的なマス・メディアも、自分たちを代表していないと考えるようになった。

かつての大衆社会論に基づけば、中間集団を喪失した大衆は、政治的な無関心と熱狂との間を揺れ動く存在となる。こうした状況は現代社会において、今回のような暴力だけでなく、ポピュリズムや陰謀論が活性化する条件を形成することになる・・・

日系人リーダー 日米の懸け橋

8月14日の読売新聞、ポール与那嶺・米日カウンシル理事長の「日系米国人の歴史と未来 日系人リーダー 日米の懸け橋」から。

・・・41年12月の真珠湾攻撃後、米国では日系人に対する差別と偏見が激しさを増し、翌42年の強制収容につながりました。米本土では西海岸を中心に約12万人が、ハワイでも約2000人が収容所に送られました。
日系人が味わった苦悩は、想像を絶するものでした。とりわけ日系2世への影響は大きかったと思います。米国籍を持つ米国人でありながら収容所に入れられ、米国への忠誠心を示すために、約3万3000人が米軍に志願しました。苛烈な欧州戦線に派遣され、そこで多くの死傷者を出しながら、戦果を上げて日系人の評価を高めたのです。
そんな2世から戦後、日系人初の連邦議会議員にダニエル・イノウエ元上院議員(2012年死去)、初の閣僚にノーマン・ミネタ元運輸長官(今年5月死去)といったリーダーが生まれました。次の世代の私たち3世には優れたリーダーがあまりいないようです。3世は一般的に2世の親から、「目立ちすぎるな」「完璧なアメリカ人になれ」と言われて育ちました。強制収容の影響もあったのでしょう。多くは日本語を話せず、日本の知識もありません・・・

・・・日本人は戦後も、「ジャップ」と蔑称で呼ばれることがありました。イノウエ氏が一番誇りに思っていたのは、彼が議員になって以降、政治家がジャップという表現を使わなくなったことだそうです。
日系社会がアイデンティティーを保ち、米社会で存在感を発揮するには、国の中枢で活躍する日系人リーダーが絶対に必要です。それは日系社会のためだけではありません。日系人リーダーの存在は、米国で暮らす他の人種と同様、米国の多様化や米国をより良くするために不可欠なのです。
次世代のリーダーとして期待されるのは、日系4世と5世です。この世代は完全な米国人です。彼らには「言うべきことは言う」という米国人らしさがあります。一方で、和食やアニメなどのブームもあり、良い意味で日本に高い関心があります。
私が理事長を務める米日カウンシルは、民間交流などを通じて日米関係の強化を図る非営利団体です。10月に日系人リーダー候補50人を日本に招き、日本の政財界の人らと交流させる計画です。全員が40歳未満で、4、5世がほとんどです。

日本企業は戦後、自動車に家電と、あらゆる分野で米国に進出し、成功を収めました。でも、日本のビジネスマンは一般的に、北米のビジネスマンと個人的に密な関係は築けていませんでした。日本の会社名や商品名は知っていても、役員の名前を知る米国人は少ないのです。
日米間にいまだ横たわる言葉や文化の溝を埋めるには、人と人とのつながりが大切です。10月に訪日する日系人リーダー候補は、日本人の血を受け継ぎ、日米両国の文化や慣習も理解しています。日米の懸け橋となるには、これ以上ない人材です。彼らは今後、両国をつなぐ太いパイプとなり、両国に相乗効果をもたらすでしょう。人と人との交流が深まれば、過去に日本企業が苦労してきた言語や商習慣の違いというハードルも低くなるはずです。彼らの活動を支援することは、米国だけでなく、日本にも大きなメリットをもたらす「未来への投資」だと捉えてほしいのです・・・

アベノミクスの本質を問う

朝日新聞ウエッブ「論座」、原 真人・朝日新聞編集委員の「アベノミクスとは何だったのか 正体つかめぬ政策、その本質は」(8月11日)から。

・・・第2次安倍政権の7年8カ月のあいだ、政権が掲げた経済政策の目標は「3本の矢」(大胆な金融緩和、機動的な財政出動、民間投資を促す成長戦略)に始まり、「新3本の矢」(強い経済=GDP600兆円、子育て支援=出生率1・8、安心につながる社会保障=介護離職ゼロ)へと広がった。
さらに一億総活躍、女性活躍、働き方改革、観光立国……。掲げるテーマが次から次へと登場するたびに官邸には直轄の担当部門が設けられ、霞が関からスタッフが集められ、部屋に看板がかけられた。一時は注目されるが、いつしか話題にもならなくなる。政策目標があまりに軽く消費されていった。
その結果、内閣機構の肥大化が進んだ。今年7月時点で内閣官房に置かれた政策担当室は36室にのぼる。全世代型社会保障構築本部事務局、デジタル市場競争本部事務局、孤独・孤立対策担当室……。
どこかの省庁に担わせればすむようなテーマが首相直轄となっているものも少なくない。政権の「やってる感」を見せるのにこれほど楽な方法はない・・・

・・・第2次安倍政権の初期に経済界がアベノミクスを強く支持した最大の理由は「円安の進展」だ。安倍政権が発足する直前の2012年夏には1㌦=70円台後半の円高ドル安となっていた。リーマン・ショック後の立ち直りが遅れていたこともあって多くの企業が業績悪化に苦しんでいた時期だった。平均株価も8千円台にまで沈んでいた。
ところが第2次安倍政権が発足した2012年12月以降、急速に円安・株高が進展し、企業業績は好転した。財界も市場関係者たちも、口をそろえてアベノミクスを歓迎するようになった。
とはいえ、物事が起こった時期が符合していれば、必ず因果関係があるとは言えないことに注意すべきだ。このときの円安はアベノミクス(異次元緩和)の効果がまったくなかったとは言えないが、要因の多くは米欧経済の著しい回復に伴うドル高、ユーロ高だった。その裏返しとしての円安だったのだ。
安倍氏が政権の功績と誇り続けた「400万人超の雇用増」も、すべてアベノミクスの成果と単純化するのは短絡的だ。雇用統計上の好転の背景には、この間の著しい生産年齢人口の減少が大きく影響している。他にも高齢者や女性の就業率の向上、共働き世帯の増加(つまりは夫婦間のワークシェアリング)など多くの要因があった。
まちがいなくアベノミクスの成果と言っていいのは株価上昇だ。なにしろ日銀のマイナス金利政策は、企業や投資家に格安の投資資金を提供した。ETF(上場株式で構成される投資信託)の大量買い入れは「株価が下がれば日銀が買い支えてくれる」という安心感を投資家たちに過剰なまでに与えてきた。
ただし、株価が大きく上昇した割に、日本の実質賃金や1人当たりGDPは低迷し続けている。日本経済の足腰はむしろ弱まってしまった。

そうした分析もしないまま、当時の安倍首相は円安・株高、雇用環境の改善をもって「アベノミクスの成果」「アベノミクスの果実」と言い続けた。時の首相が国会答弁や記者会見のたびにそう宣伝し続ければ、多くの国民が無意識のうちにそう信じてしまうのも無理はない。
メディアも結果的にそれに加担した。安倍政権当時、新聞でもテレビの報道番組でも「アベノミクスによる円安・株高」「アベノミクスによる好景気」という言い回しが日常的に使われた。
本誌2020年12月号「アベノミクスの亡霊はスガノミクスの悪夢に続く」でも書いたが、安倍政権の7年8カ月の間に、全国紙4紙(朝日、読売、毎日、日本経済)で「アベノミクス」が記事中で使われた例は3万件近くあった。
このうち見出しになった記事も2500件以上ある。多くは批判的な記事内容ではなく、政権の「アベノミクス」キャンペーンに乗ってしまっていた。
メディアがデータをとことん検証しないまま首相の主張内容を垂れ流したことで、結果的にアベノミクスの支持押し上げに貢献した可能性が高い・・・