最善の策と次善の策

連載「公共を創る」で、日本人の政治に関する意識、特に政治を「汚いもの」と見る通念について書きました。理想を求める人や原理原則にこだわる人は、妥協を汚いものと見るのです。「潔くない」とです。「第120回 社会と政府ー政治への嫌悪感とゼロリスク信仰」。それに関連してです。

「最善の策だけど実現しそうにない案」と「次善の策だけど実現しそうな案」がある場合に、どちらを取るか。
理想をいう人は、前者を主張します。でも、実現しません。もちろん、誰だって理想を実現したいです。しかし、実現しないなら、何もしないことと同じです。
行政の世界でも、しばしばこのような職員がいます。ある人の案について、理想像を元に欠点を指摘します。まことにごもっともですが、その場合には解決策を提示してくれないと、前に進みません。

理想を求めつつ、今回はひとまず次善の策で妥協することも必要です。それに反対して理想を求める人には、「では、理想を実現するために、何をしましょうか」と聞いてください。

佐伯啓思先生「国を守るとは何を守ることなのか」

7月1日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「普遍的価値を問い直す」から。

・・・ かなりラフなスケッチではあるものの、これが今日の世界の近似だとすれば、不安定な世界にあって、日本はどのように国を守ればよいのか。いや、そもそも何を守るのであろうか。
政府も多くのメディアも、日米同盟の強化によって日本も「国際社会」を守れという。現実に着地すれば、確かに日米同盟の強化しかないだろう。だがもしも、本当にこの戦争を専制主義から自由・民主主義を守る戦いだとみなし、「自由、民主主義、人権、法の支配」こそ人類の至上の価値だというのなら、それを守るためにも、その敵対者と対決するだけの軍事力を持たねばならないであろう。

実は憲法前文も次のように謳っている。「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。……われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって……」
まさしく、「自国のことのみに専念」するわけにはいかないとすれば、国際社会のためにも専制や圧迫と闘わねばならない。世界平和のためにも悪と戦う必要がある。安倍晋三元首相は、それを「積極的平和主義」と呼んだのであった。

だが多くの人はいうだろう。闘うとは命を賭す覚悟を決めることである。われわれは、自由や民主主義のために死ねるだろうか。国際社会のために死ねるだろうか。無理であろう。では、われわれは何を守ろうというのであろうか。
これは難しい問いである。ウクライナの多くの市民は、自由や民主主義のために戦っているわけではない。生命、財産のために戦っているわけでもあるまい。戦争の背景に何があるにせよ、眼前に出現した自国への理不尽な侵略、自国の文化や己の生活の理由なき破壊に対して命を賭けようとしているのだろう。そこにあるのは、理不尽な暴力に屈することをよしとしない矜持であろう。福沢諭吉的にいえば「独立自尊」である。

今日、世界の構造は著しく不安定化している。日本の憲法9条の平和主義は事実上条件付きのものである、なぜなら、9条の武力放棄は、前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」を受けているからだ。だが今日の世界ではもはやこの条件は成立していない。
何かのきっかけで日本もいつ他国の侵攻を受けるかわからない。その時、己の矜持や尊厳が試される。そういう時代なのである。とすれば、「9条を守れ」というより前に、「国を守る」という事態に直面する。その時、「国を守るとは何を守ることなのか」という問いを己に向けなければならない・・・

変な人たち、男性社員編

今回もまた、このホームページで定番のお話しです。

電車の中や駅で、変なおじさんやお兄さんを見かけます。この夏は例年にまして暑いです。なのに、黒や紺の背広上下を着て、汗をかいている人です。
暑い夏に、黒の背広はやめませんか。上着を着たいなら、もっと涼しいのがあるでしょう。あるいは、上着をやめてシャツだけにしませんか。ネクタイは締めないのだし(中には、ネクタイをしている人がおられますが、何か事情があるのでしょうね)。

私は夏は、薄い青色やネズミ色系の上着にしています。シャツは青の縦縞模様が多いです。ボタンダウンで、ネクタイをしません。
後輩たちが黒の背広で来たら、「君たちが貧乏でスーツをたくさん持っていないことは分かるけど、夏に黒はやめてくれ。夏用の上着を持っていないなら、黒の上着を着てくるなよ」(笑い)と忠告します。

女性がさまざまなおしゃれをしているのに、男の人はなぜこんな暑い格好をしているのですかね。「熱帯地方」の日本に、黒の背広上下は罪です。

事業成果の水増し?

日経新聞連載「国費解剖」、6月25日は「スポーツ貢献実績を水増し 対象外も含め「1300万人恩恵」」でした。

・・・19年6月、日本の著名ミュージシャンがバングラデシュの難民キャンプを訪れ、サッカーボール126個を贈った。スポーツ庁と外務省による国際貢献事業「スポーツ・フォー・トゥモロー(SFT)」の一環だ。発表によると、12万人が恩恵を受けたという。
ボール1個を約1千人で使う計算だ。外務省人物交流室に根拠を問うと、寄贈直後に使用状況を聞き取り、数カ月間同じ頻度で使われた想定で、かけ算したという。つまり延べ人数の推計だ。実績の過大計上ではないか。同室は「可能な範囲で実態に即した実績把握に努めた」とするが、推計を検証していない。

東京に聖火が届くまでに、スポーツの喜びを100カ国・1千万人に届ける――。SFTは13年の国際オリンピック委員会(IOC)総会で当時の安倍晋三首相が掲げた国際公約で、スポーツを通じた国際協力や人材育成が柱。政府資料によると、事業で恩恵を受けた人数(受益者数)は19年に目標を前倒しで達成し、21年9月時点は1319万人。行政事業レビューシートでSFT向けと明記した予算は15~21年度の累計で80億円だった。

国は別予算をスポーツ貢献事業に充てたり、スポーツと無関係の事業の実績をSFTの実績に算入したりしている。国費の使い方や成果の測り方はずさんだ。日本経済新聞がSFT事務局を担った独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)への情報公開請求で入手した資料を調べると、ボール寄贈のような受益者の過大計上とみられる事例が相次ぎ見つかった・・・

気配り破壊器

変な人たち、地下鉄編」の続きにもなります。
混み合った車両に、無言で人を押しのけて乗ってくる人。その多くは、スマホを操作しながら、前の人に声をかけることなく、乗り込んできます。周囲の人に気配りができない人たちです。そんなに、スマホが重要なのですかね。それとも押し入る際に、ばつが悪くスマホを見ているのですかね。
周囲を見渡して、混雑した場所を避ける、通路を確保することはできませんか。混み合っているときは一声かける、「お願いします」とか。

私は、スマホを「猫背・近眼製造器」「脳力低下装置」「時間泥棒」と呼んでいますが、「周りが見えない人製造器」「気配り破壊器」という名称も加えましょう。
新技術は、悪いことも普及させます。「スマホ使用による脳の低下」「現代社会の時間泥棒」「テレビとスマホ、低俗?の程度」「スマホの副作用